俗物三羽烏 6
「ジョーカー覚醒したか?」
俺がそう尋ねると、ボーイは少しだけ目を伏せ、それから顔を上げた。
「わかんないまんまっすが……」
答えは頼りない。
だが、その目は強かった。
さっきまで青肌ちゃんに振られて半泣きになってた男とは思えないくらいに。
腹が据わっていて、覚悟を決めた人間の目だった。
「ボクサーの俺なら行けるっす」
ああ、そういえばこいつ、高校までボクシングやってたんだっけ。
普段は女の子だの巨乳だのばっかり言ってるけど。
かつて、この男の本質はリングの上にあった。
硬派っていう、こいつの言を信じるのならば。
「あいつは人型っす。なら、懐に潜り込んでの一撃は、ボクサーの領分っす」
言い切った。
自信満々ではない。
だが、自分が出来ることと出来ないことを知っている人間の言葉だった。
「ボーイは」
隣で李野くんが静かに口を開く。
「所属ジムの不祥事に巻き込まれ、ライセンスを取り上げられなければ、ストロー級のタイトルを狙えた男です」
「そんな凄かったの?」
「やはは。凄かったのですぞ」
「まあ、小っちゃい奴同士の間ではって話っすけどね」
本人は照れ臭そうに頭を掻いている。
知らなかった。
いや、強かったらしいと聞いてはいた。
でも実感が無かった。
目の前のこいつはただのボーイだったから。
巨乳好きの残念な少年だったから。
「話を戻すっすよ」
ボーイが場を改める。
「あのサイズが問題なんす」
ゴーレムを見る。
三メートル超。
4トンパンチ。
威圧感の塊。
「パンチを回避してから脇まで到達する頃には、もう一動作取られてしまうんすよ。どう考えても、どう立ち回っても」
なるほど。
「だから一撃目を引き付ける誰かが、どうしても必要なんす」
俺が前に出る。
ゴーレムに攻撃させる。
その隙にボーイが側面から潜り込む。
理屈は分かる。
だが。
「そもそもお前、あの硬そうな岩肌から文字を削り取れるの?」
「あ……」
ボーイが固まった。
「到達までしか考えてなかったっす」
「そこは考えなしかよ!」
思わずツッコんだ。
危ねえ!
確認してよかった!
勢いだけで命懸けるな!
ていうか俺の命まで賭けさせるな!
「いや……いけますぞ、その作戦」
ここまで黙っていた李野くんが顔を上げた。
「削るのはゴーレムを倒す場合。停止だけで済ますのならば……エの文字を塗りつぶせば良いわけで」
なるほど。
エメス。
エを消してメス。
削れば永続的な停止。
塗りつぶせば潰せている間だけの、一時的な停止。
「ボーイが学者さんの墨壺からインクを拝借してエの文字を、エの文字だけを塗りつぶせたなら」
理論上は勝てる。
俺がトチらなければ、多分。
ただ、確認すべきは全部しとこう。
「学者先生質問ですが。この結界って人間の出入りは可能です?」
「そんな便利な道具じゃないよ。出たら入れないね」
「「「…………」」」
一度出たら終わり。
戻れない。
ドゥー・オア・ダイ。
生きるか死ぬか。
気分はハムレットだ。
「もう一つ。回復魔法とか、それに類する薬品や道具はありますか?」
「薬はあるな。あくまで体力回復用で、蘇生用ではないが」
すると別の学者先生が懐をごそごそやった。
「あー、私の虎の子なんだが、おとり役のキミにはこれを貸してあげよう。シールドの指輪だ」
銀色の指輪。
「攻撃を感知して1000ダメージ分吸収する盾を発動させる」
「1000ダメージ?」
「私は私なりにアイツの攻撃を観察してたんだが……あいつのパンチの丁度一発分」
「おお!」
希望が見えた。
「……に、ちょっと足りないくらい」
希望が死んだ。
いや死んでない。
瀕死だ。
でもあるだけマシ。
俺は指輪を借り受けた。
ボーイと二人、回復薬も二本ずつ預かった。
*
挑戦開始。
まずは俺が飛び出すタイミング。
李野くんの言葉を脳内で反芻する。
『これまでのヤツの動きを見てますと、拳は必ず左右交互に放たれておりますな』
信じるぞ李野くん、リドラーの観察力を!
ゴーレムの右拳が結界を叩いた。
ガン!
今だ。
俺は飛び出した。
ゴーレム正面へ。
黒曜石みたいな目がこちらを向く。
でかい!
怖い!
圧倒的!
奴はすり足で角度を調整した。
左腕を振りかぶる。
圧力!
迫力!
死の予感!
ボーイの声が脳裏によみがえる。
『放つ前の拳の挙動だけをしっかり観察するっす。振り上げたら叩き潰し、引いたらストレートパンチ』
信じるぞボーイ、ボクサーの戦闘知識を。
拳は……
拳の挙動は……
……引かれた!!
『『振り上げたら左右に転がれ! 引かれたら地面に倒れ込め!』』
知識と経験。
リドラーとボクサー。
二人が一致した対応だ。
なら間違いない。
俺は迷わず五体投地した。
頭上を巨大な影が通過する。
遅れて襲う風圧。
奴の腕だ。
俺の上を通り過ぎている。
避けた!
かわし切った!
顔を上げる。
その先。
がら空きの脇に取り付くボーイ。
行け!
届く!
インクまみれの掌がエの字へ叩きつけられ。
――ようとした。
その瞬間。
巨体が、傾いだ。
ボーイの伸ばした墨の手が、宙を泳ぐ。
わざとだ。
弱点に迫った羽虫を拳では打てぬと理解したゴーレムは、
自らの身体を倒すことで弱点に触れられることを防ぎ。
その転倒の勢いで。
自身の圧倒的な重量で。
羽虫を――ボーイを圧壊することを選んだんだ!
ずううん。
地響き。
「ボーーーーーーイ!」
ぐじゃ。
湿った音。
数トン。
いや数十トンか。
その重量で。
空へ伸びていたボーイの手が。
俺から今、唯一見えるそのボーイの証が。
ぱたり。
地面へと落ちた。
墨まみれの手が。
届かなかった手が。
「市籠くんっっ!!」
李野くん再びの絶叫。
一瞬遅れて声の対象が俺であることに気づき、我に返る。
風圧。
倒れたままのゴーレムが。
つま先を放っていた。
指輪が光る。
魔法の盾、展開。
だが一撃で砕けた。
そして。
ゴッ!
サッカーボールみたいに、俺の体が吹き飛んだ。
背中から遺跡の柱に直撃。
背中が分からない。
感覚が無い。
なのに打ってもいない腹の方が焼けるように痛い。
「かはっ」
吐血だ。
ってことは内臓がやられたってことか。
ポーション。
飲まなきゃ。
脇ポケット。
手を伸ばせ。
伸ばせ。
動け。
動かない。
四肢が言うことを聞かない。
その間にもゴーレムは左へ転がる。
起き上がったら、くるぞ、止めを刺しに。
動け、動けよ体!
ゴーレムが右へ転がる。
立ち上がらない。
左へ半回転。
右へ半回転。
ごろごろ。
ゆらゆら。
転がるってより、揺れてる。
ゆりかごみたいに。
なにやってんだあいつ?
ゆらゆら。
じたばた。
ゆらゆら。
じたばた。
駄々っ子か!?
……いや、違うな。
こいつのボディはまっ平らの茶筒仕様。
腹筋も背筋も無い。
足も短いし、足首関節もどうやら左右可動域がないっぽい。
だから、倒れたら起き上がれないのか。
その事実に気づいたのは俺だけじゃなかった。
「わあああああ!」
李野くんだ。
飛び出した。
じたばたする巨腕が彼を掠める。
それでも止まらない。
へっぴり腰で前へ。
手足をみっともなくばたつかせながら前へ。
そうして李野くんはゴーレムの脇にたどり着き。
涙と絶叫を迸らせながら墨を塗りたくった。
べたりと、エの字へ。
ゴーレムのごろごろが止まった。
遅れて、四肢がだらりと垂れた。
最後に、黒曜石の目が白濁した。
「「「うぉおおおお!」」」
学者たちの歓声。
歴史的大発見。
大勝利。
生還。
その喜びと興奮に。
結界を飛び出して、李野くんを取り囲んで。
「リドラー!」
「リドラー!」
「日本人!」
でもボーイは。
あのボーイ性に満ちた自称硬派の幼一郎は、もう、二度と……
「あ、体動かないんすか市籠先輩。ポーション流し込むっすね」
あれ?
変だな?
あそこでつぶれてる筈のボーイがここにいるぞ?
あれ?
やっぱどう見てもあそこの血だまりにボーイの腕、あるよな!?
んんん!??
「あー、あれ、我ながらグロいっすよね」
「大事な仲間の頑張ったご遺体を悪く言うな!」
「や、ごめんっす。でも、あれ、俺のダミーなんで」
「ダミー?」
「なんか命のギリギリの瀬戸際で起死回生の一手が打てる。その時その瞬間まで何が起きるのか本人にも分からない」
幼一郎は少し照れながら、こう開示した。
「それがジョーカーの特殊スキルみたいっす」
んーーーーーー。
結果オーライ!!




