第8話 みどりとホテルで 軽いノリでも、淡白な夜
真理の時とは、まったく違う感覚だった。
真理との時間は、どこか緊張していた。自分がちゃんとできているか、彼女を満足させられているか、そんなことばかり考えていた。
だが、みどりとは違う。
彼女は、山城に何かを期待しているわけではない。ただ、金を払ってくれる男として見ている。
その割り切りが、かえって楽だった。
そう、自分に言い聞かせた。
しばらくして、みどりがバスルームから出てきた。
タオルを巻いた姿は、思った以上に色っぽかった。写真で見た通りの、見事な身体のラインだった。
「お待たせしました~」
「ああ」
山城は立ち上がり、みどりに近づいた。
みどりは、ベッドに入ってから、少し態度が変わってきた。
山城の少ない経験ながらも、みどりに感じたのは、男に抱かれながらも男性への警戒心があるのではないかということだった。
男性というより、人にあまり弱さを見せたくないのかもしれない。
彼女はあまり自分を触らせなかった。
暗がりの部屋の中で、みどりは自ら山城の上に跨がっていた。
リズミカルに上下する彼女の長い黒髪が、柔らかな間接照明に照らされて艶やかに揺れた。見事なバストと引き締まった腰のラインが、影と光のコントラストの中で浮かび上がる。白く滑らかな肢体が、まるで波打つように動く。
「綺麗だ」
とは感じた。
写真で見ていた通りの、モデル級のプロポーション。高学歴の慶應大学で、若くて柔らかい肉体。映画やアダルトビデオのワンシーンに使っても十分に通用する素材である。
だが、山城は下からその光景を眺めながら、なぜか妙に冷静だった。
しかし、それ以上の熱は湧いてこなかった。
真理の時とは、明らかに違う。
あの時は、相手を喜ばせようと必死になり、緊張と興奮で頭がぼうっとした。
だが今は、ただ下から眺めているだけのような、醒めた感覚があった。
みどりの長い黒髪が、汗で少し肌に張り付いている。
彼女の吐息が少し乱れている。
声が漏れる。
でも、その瞳はどこか遠くを見ているようにも感じられた。
身体を重ねていながらも、心には壁があり、心を開いている気がしなかった。
(この子は、本当はこんなことしたくないのかもしれないな……)
山城はそんなことを考えながら、静かに彼女の動きを受け止めていた。
男としての欲求は確かに満たされつつあったが、心は不思議と冷めていた。
それは、ただの行為でしかなくなっていた。
山城は、少し起き上がると、彼女の顔を優しく正面から見た。
考えてみると、その行為の間、彼女は山城の顔を正面から一度も見ていない。目をつぶっているか、明後日の方向を眺めていた。上に乗ってもうつむくようにしながら、腰を動かしていた。
山城は、上乗りしている彼女をそのままに、頭だけ起こして彼女の顔を正面から見ると、優しくキスをした。
そして、もう一度、彼女をベッドに横たわらせて、上に乗ろうとすると
「ダメ、私が上になっていかせてあげる。」
と再度、山城を押し倒した
終わった後、二人はしばらく黙っていた。
みどりは、すぐにシャワーを浴びに行った。
山城は一人、ベッドに残された。
満足したのか、していないのか。
自分でも、よく分からなかった。
ただ、明らかに、部屋に入ってきた時とは、みどりの態度は変わっていた。
食事の時は、あっけらかんとして、何でも壁なくしゃべると思ったのに、肌を重ねると、突然に心に鍵がかかってしまったような感じだ。
その応対は怖いほど分かりやすかった。
みどりが戻ってくると、山城は封筒を渡した。
「今日はありがとう」
「ありがとうございます」
みどりは封筒を受け取ったあと、少しトーンを変えて言った。
「この交際クラブは、実は三回目くらいなんだけど、みんな女をはけ口みたいに扱うんだけど、山城さんは違うね。せいちゃんって呼んでいい?」
そして、照れたような笑みを浮かべながら、彼女は続けた。
「私が、軽い女に見えるからかなぁ~ また会えますか?」
山城が「もちろん。この歳になると、ちょっと生意気な女性も面白い」と冗談めかして答えると、みどりは、笑わずに急に真剣な目になった。
今まで、一度も山城の目を覗き込むことはなかったが、彼女は山城の目をまっすぐ見つめ、静かに、しかしはっきりと言った。
「私は、意外に一途で、いい女だよ」
その言葉が、山城の琴線に触れかかった。
一般的なキャバクラで交わされるような言葉だったが、この二人だけの空間で、みどりの心を伝えようとする気持ちが、一瞬、部屋の空気を変えたように感じた。
明るく軽いキャバクラ調の女が、急に素の顔を見せたような——あるいは、計算された素顔を見せたような——そんな瞬間だった。
「一途……か」
みどりの心を感じつつ、山城の頭は冷静に動き、苦く笑った。
そんな言葉を簡単に信じるほど、山城は若くなかった。
慶應卒で、六本木のラウンジで働き、ブランドバッグを衝動買いして金が尽きる女が、一途?
言葉の裏側に、何か別の意味があるような気がしてならなかった。
「いい女だよ」という響きは、甘く聞こえる。
でも、それは「これからもよろしく」という契約の確認のようにも感じられた。
真理の時と同じだ。
優しい言葉、甘い視線、胸に響く一言。
すべてが心地よく、すべてが危うい。
山城はまた、同じ場所で足を滑らせそうになっている自分に気づいた。
(深入りするな。
また、心を許して、
また、安心した瞬間に温度を下げられて、
また、金と孤独を残されるだけだ。
相手はビジネスだ。情を入れるな)
胸の奥で警鐘が鳴っていた。
真理の残像が、まだ完全に消えていない。
あの敗北感、あの虚しさ、あの「やられた」という屈辱。
それをもう一度味わいたくはない。
絶対に。
それでも、みどりの瞳は揺るがなかった。
どこか真剣で、どこか寂しげで、どこか「本気で言っている」ようにも見えた。
それが山城にとって一番厄介だった。
完全に嘘だと言い切れない、ほんの少しの真実味が、そこにあった。
頭と心の葛藤が始まっている自分が分かった。
山城は軽く微笑み、できるだけ穏やかな声で答えた。
「また連絡するよ」
それ以上、踏み込まなかった。
深入りする言葉も、期待を持たせる言葉も、すべて飲み込んだ。
みどりが部屋を出て行ったあと、山城は一人、ベッドに腰を下ろしたまま、暗い天井を見つめた。
「一途で、いい女だよ……」
その言葉が、耳の奥にこびりついて離れなかった。
真理の「自慢しないところです」という言葉と同じように、胸の奥に、小さな火を灯してしまう——そんな危うい響きを持っていた。
山城はため息をつき、スマートフォンを握りしめた。
真理の名前はもう表示されない。
未練たらしく連絡しないようにすべてを削除している。
今は、みどりの名前が新しく登録された。
(また、同じ過ちを繰り返すのか?
それとも……今度こそ、ただの遊びで済ませられるのか?)
窓の外に広がる東京の夜景が、冷たく輝いていた。
山城は目を閉じ、静かに息を吐いた。
答えは、まだ出せなかった。




