第38話 3618、海を見にいく
日曜の朝。
高速道路に入る手前のコンビニ駐車場で、山城はハザードを点けて祐未を待っていた。
約束の時間から五分ほど経った頃、少し小走りで走ってくる小柄な影が見えた。
「お待たせしました!」
濃紺のスキニーデニムに、白いブラウス。
上から薄手のカーディガンを羽織り、足元はスニーカーだ。
前回のワンピースとは違う、軽いカジュアルスタイル。
「大丈夫だ。まだ時間通りだ」
「ちょっと、服悩んじゃって」
「よく似合ってる」
「ほんとですか。
“ドライブデートっぽい格好”で検索しました」
「検索するのか、今どきは」
「しますよ。なんでも検索です」
そう言って笑うと、祐未は助手席のドアを開けた。
シートに座ると、車内に柔らかい香りが広がる。
「どこまで行くんでしたっけ」
「熱海だ。海の近くに、美術館がある」
「いいですね。熱海、久しぶりかも」
シートベルトを締めさせ、山城はエンジンをかけた。
***
首都高に乗ると、窓の外の景色が少しずつ変わっていく。
ビルの密度が減り、空が広くなる。
「音楽、かけてもいいですか」
「好きなのをかけてくれ」
「じゃあ、遠慮なく」
祐未は、自分のスマホを接続してプレイリストを開いた。
軽快なリズムの、最近のポップスが流れ始める。
「分からないだろうなぁ、こういうの」
「タイトルを見ても、歌手の名前を見ても分からない」
「ですよね。でも、テンポだけでも楽しんでください」
祐未は、音楽に合わせて軽く指先でリズムを取った。
その横顔を、山城は横目で見る。
「学生の頃は、どんな音楽を聴いてた」
「私ですか?そのころは、もっとバンド系とか、洋楽とか……“いかにもミスキャンっぽい”やつですね」
「ミスキャン、か」
「はい。その話、ちゃんとしてなかったですよね」
「少し聞いたな。大学のミスコンで優勝した、と」
「優勝というか、“キャンパスクイーン”みたいなやつですね。いろんな大学の代表が集まるやつ」
「すごいじゃないか」
「まあ、過去の栄光です」
祐未は、サイドミラーの自分の顔をちらっと見て、笑った。
「そのころは、フォロワー増やして、イベント出て、写真撮られて……楽しいっちゃ楽しかったけど、けっこう大変でした」
「男がいっぱいいただろう」
「はい。いっぱい“いいね”はくれましたね」
「“いいね”か」
「でも、“いいね押す男”と、“ちゃんと向き合ってくれる男”って、全然違うんですよ」
祐未は、窓の外を見ながら続けた。
「コメントは山ほど来るし、DMも来るし。でも、そのほとんどは、“自分の欲しいもの”しか見てない人たちで」
「欲しいもの?」
「“可愛い子と絡んでる自分”とか、“ミスキャンと飲みに行ったって言いたい自分”とか。 そういう、“自分のための私”ですね」
「なるほどな」
「だから、ミスコンやってたからって、恋愛がうまくいったかというと……微妙です」
「そうか」
「山城さんは、そういう世界、どう見てました?」
「ミスキャンの世界か」
「はい。たぶん、娘さんと同じくらいの世代ですよね」
「そうだな……」
山城は、前方の景色を見つめながら言った。
「正直、よく分からないままだったな。
自分の若い頃にはなかった世界だし」
「ないですよね」
「ただ一つだけ思ってたのは——“すぐに消費される世界だな”ってことだ」
祐未が、少しだけ目を丸くした。
「消費」
「若くて、可愛くて、目新しい女が求められて。次から次へ、新しい“顔”が出てくる。
その中の一つとして扱われるのは、大変だろうと」
「……びっくり」
「何がだ」
「ちゃんと分かってる人がいるんだって」
祐未は、少し笑った。
「でも、たしかにそうです。“今だけの私”みたいな感じ。フォロワーも、数字も、全部、今だけ」
「しんどくなかったか」
「途中から、しんどくなりました。“今の自分”を維持するために、お金も時間も使わなきゃいけなくて」
「男は、スポンサーになろうとしただろう」
「しましたね。“撮影手伝うよ”とか、“車出すよ”とか、“コラボしよう”とか」
「断ったのか」
「全部じゃないですけど。でも、“この人は何を欲しがってるのか”っていうのは、すぐ分かるようになりました」
「それで、どうした」
「めんどくさくなって、やめました」
祐未は、あっさりと言った。
「続けてる子もいたけど、私は途中で降りました。“自分の生活までコンテンツになる”のは、ちょっと怖かったから」
「賢い選択だと思うがな」
「そう言ってくれる大人、あんまりいなかったですけどね」
「大人の男は、そういう世界に詳しくないからな」
「もしくは、自分が楽しむ方に回りたかったか」
「それは、そうかもしれない」
二人で笑った。
***
車は高速を降り、海沿いの道路に出た。右手に、きらきらと光る海が見える。
「わあ……」
祐未が、窓の外に顔を向けた。
「海、久しぶりです」
「東京にいると、意外と来ないものだからな」
「そうなんですよ。インスタやってた頃は、“映え”のために来てたんですけど」
「今は、違うのか」
「今は、普通に見たいだけです」
その言葉には、少しだけ寂しさと、少しだけ解放感のようなものが混じっていた。
美術館の駐車場に車を止める。
丘の上に建っているその建物は、ガラス張りの大きな窓から、海と空が一望できた。
「すご……」
中に入ると、高い天井と白い壁が広がっていた。
絵画が一定の間隔で並び、ところどころにベンチが置かれている。
「こういうところ、来るんですか?」
「たまにな。仕事で熱海に来たついでに寄ったのが最初だ」
「仕事で」
「昔、こっちのホテルで警備の案件があってな。空き時間に、ふらっと入った」
「社長のくせに、そういうとこ、ちゃんとしてますね」
「社長だから、暇な時間もある」
祐未は、絵を一つひとつ眺めながら歩いた。
真剣に見る絵もあれば、さっと通り過ぎる絵もある。
「この人の、好きかも」
ある一枚の前で、足を止めた。
海をモチーフにした抽象画だった。
青と白と、ところどころに散らばる赤。
「どういうところが」
「ちゃんと“綺麗なだけじゃない海”って感じがするから」
「綺麗なだけじゃない海?」
「台風の日とか、波の高い日とか。そういうのも、この中に入ってる気がします」
祐未は、絵から目を離さずに言った。
「ミスコンやってた頃って、“綺麗な私”しか映しちゃいけない空気があったんですよ。泣いた顔とか、怒った顔とか、疲れた顔とか。そういうの、見せちゃいけない、みたいな」
「インスタの中の自分、か」
「はい。だから、こういう、“綺麗で、でもちょっと怖い”みたいな絵を見ると、落ち着きます」
「落ち着くのか」
「はい。“どっちもあっていいんだ”って思えるから」
祐未は、絵の前でしばらく黙っていた。
山城は、その横顔を眺めながら、ふと口を開いた。
「昔の男の話、聞いてもいいか」
「昔の男?」
「ミスキャンの頃、付き合っていた男だ」
「ストレートですね」
祐未は、少しだけ笑ってから、ベンチに腰を下ろした。
山城も隣に座る。
「一人だけ、ちゃんと付き合った人がいました」
「どんな男だ」
「同じ大学の、サッカー部の人。背が高くて、かっこよくて、頭も悪くなくて。いわゆる、“分かりやすくモテる”タイプ」
「典型的だな」
「ですよね」
祐未は、少し視線を落とした。
「最初は、すごく優しかったです。ミスコンの準備も手伝ってくれたし、撮影も付き合ってくれたし、“俺の自慢だ”って言ってくれて」
「悪くなさそうに聞こえるが」
「でも、そのうち、全部“自分のもの”みたいな顔をするようになって」
「自分のもの」
「誰と飲みに行ったとか、誰にフォローされたとか、そういうの、全部チェックされました。 “お前は俺の彼女なんだから”って」
「束縛だな」
「そう。“可愛い彼女を持ってる俺”が好きなんだなって、途中で気づきました」
祐未は、小さくため息をついた。
「私自身を見てるというより、“ミスキャンの村上祐未”を持っていたかっただけなんだな、って」
「別れたのか」
「はい。ミスコンが終わって、少ししてから」
「どっちから」
「私から」
言い切る声に、迷いはなかった。
「そこからです。“可愛いだけで扱われるのは、もういいや”って思うようになったの」
「それで、今は広報か」
「そう。“可愛い”も仕事のうちだけど、数字も、企画も、ちゃんと自分で考えないといけないから」
祐未は、海の見える大きな窓の方を指さした。
「山城さん」
「なんだ」
「山城さんは、私のこと、“可愛い女の子”として見てますか」
唐突な質問だった。
「……見てるな」
「正直でよろしい」
祐未は笑った。
「でも、“それだけ”ですか」
「それだけ……ではないつもりだ」
「どのへんが?」
「そうだな……」
山城は、少しだけ考えてから言った。
「自分で自分の世界を作ろうとしているところ、か」
「世界?」
「インスタも、仕事の配信も。ミスコンも、途中で降りたことも。全部、“自分の足で立とうとしている”ように見える」
「……」
「そういう女は、可愛いだけの女より、ずっと面倒くさい。でも、俺はそういう面倒くさい女の方が好きだ」
祐未は、一瞬ぽかんとした顔をして、それから吹き出した。
「何ですか、その告白みたいな台詞」
「告白ではない」
「ですよね」
笑いながらも、祐未の目の奥が、少しだけ柔らかくなったように見えた。
「でも、ありがとうございます。そう言ってくれる人、あんまりいないので」
「そうか」
「みんな、“可愛い”“綺麗”“スタイルいい”で終わるから」
「それも大事だろう」
「まあ、大事ですけどね」
祐未は、立ち上がった。
「そろそろ、あっちのカフェ行きません?お腹すきました」
美術館の中にあるカフェは、大きな窓から海が一望できた。
テラス席に座ると、風が気持ちいい。
「なんか、“デートっぽい”ですね」
「“っぽい”、ではないだろう」
「え、これ、デートなんですか」
「違うのか」
「違うと思ってたら、けっこう本気のデートでした」
祐未は、ストローをくわえて笑った。
「でも、こういうの、嫌いじゃないですよ。ちゃんと、“普通の女の子”として扱われてる気がするから」
「普通、か」
「はい。ミスキャンでも、インフルエンサーでも、交際クラブの女でもない、“ただの祐未”として」
その言葉に、山城は小さくうなずいた。
——ただの、祐未。
その“ただ”が、どれだけ貴重なのか。
山城は、ようやく少しだけ分かってきた気がした。




