第37話 3618の名前を、スイッチが入った彼女が呼んだ夜
金曜の夜。
ロビーのソファに腰を下ろしてスマホを眺めていると、「着きました」という祐未からのメッセージが届いた。
顔を上げると、ちょうどエスカレーターを上がってくる小柄な女が視界に入った。
村上祐未。
あの日と同じ、体のラインがはっきり出るワンピースだった。
色は、今度は深いグリーン。
胸元から腰のカーブが、布越しにはっきりと分かる。
「お待たせしました」
小走りに近づいてくる祐未は、少し息が上がっていた。
「仕事、押したのか」
「ちょっとだけ。配信のリハが長引いて」
「無理させたか」
「全然。金曜の夜に、社長とご飯なんて、なかなかないですから」
「また“社会勉強”か」
「半分くらいは」
祐未は、悪戯っぽく笑った。
この前とは違う店を選んだ。
同じように落ち着いた雰囲気だが、今日は最初からコース料理を頼んでおく。
「今日は、任せちゃっていいですか」
「もちろん」
ワインを一杯だけに抑え、料理を楽しむ。
会話の内容は、前回より少しくだけていた。
「配信、最近数字がよくて」
「数字?」
「同時視聴者数とか、コメント数とか。“山城さんみたいな人、見てくれてるのかな”って、たまに思います」
「俺は、そういうのは見ないな」
「でしょうね。でも、そういう人にも届くように、ちゃんと喋るのが仕事なんです」
祐未は、手振りを添えて話す。
そのたびに、ワンピースの布がわずかに動き、体のラインが強調される。
「映像の向こうで、キャラを演じるのか」
「“演じる”ってほどでもないですけど……でも、本当の自分をそのまま出したら、たぶん誰も見ないです」
「そういうものか」
「山城さんだって、現場では“社長モード”でしょ。家にいるときとは、ちょっと違う顔するじゃないですか」
「確かに」
「私も一緒です。仕事の顔と、普通の顔。たまに、どっちが本当か分からなくなりますけど」
「あまり分けすぎると、疲れるぞ」
「そうかもしれないですね」
祐未は、そう言いながらも、どこか楽しそうだった。
***
食事を終え、店を出ると、前回と同じように夜風が頬を撫でた。
「今日も、美味しかったです」
「それはなによりだ」
「で——」
祐未が、少しだけ声を落とした。
「このあと、どうします?」
山城は、彼女の目を見た。
「祐未は、どうしたい」
祐未は、ほんの一瞬だけ視線を泳がせ、それからはっきりと言った。
「この前、“次は最後まででもいい”って言ったの、本気ですよ」
喉の奥が、乾く。
「では仲良くなろうか」
「なかよくしてください」
「そうだな。」
「仲良く先ずは、してみないと、分からないじゃないですか。男の人も、仕事も、恋愛も」
祐未は、肩をすくめて笑った。
「それに——」
「それに?」
「山城さん、絶対変なことしないから」
「変なことの定義が分からないが」
「ちゃんと、私を“女の子”として扱ってくれるって意味です」
そう言って、祐未は一歩近づいた。
距離が詰まると、彼女の身長の小ささがよく分かる。
見上げてくる目が、少しだけ潤んでいた。何かを欲しているようにも見えた。
「……じゃあ、行こうか」
「はい」
***
部屋に入ると、祐未はきょろきょろと室内を見回した。
「わあ、広い」
「普通のビジネスホテルよりは、少しましなだけだ」
「え、十分ですよ。ベッド、大きいし」
「ベッドの大きさで決めたわけじゃないが」
「ふふっ」
笑いながら、祐未はヒールを脱いだ。
その瞬間、小柄な身体がさらに小さく見えた。
「シャワー、先にどうぞ」
「いや、祐未からでいい」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
バスルームのドアが閉まる。
水の音が聞こえ始めた。
山城は、ジャケットを脱ぎ、シャツのボタンを一つ外した。
鏡に映る自分の顔を見る。
——五十八歳。
何度か同じことをしてきたはずなのに、今日は妙に胸がざわついている。
(落ち着け)
自分に言い聞かせるように、ゆっくりと息を吐いた。
***
「お待たせしました」
バスルームから出てきた祐未は、バスローブ姿だった。
ホテルのロゴが刺繍された白いローブ。
細い足首と、ふくらはぎが露わになっている。
ローブの隙間から覗く胸のふくらみは、布越しでもわかるほど豊かだった。
小柄な体に、不釣り合いだった。
「似合ってる」
「本当ですか」
「ニュース読んでそうだ」
「ここでニュース読んだら変ですよ」
ベッドの端に腰掛ける祐未は、少し緊張しているようにも見えた。指先が、ローブの裾をいじっている。
「祐未」
「はい」
山城は、ゆっくりと近づき、隣に座った。
少しだけ距離を空けて。
「いやなことがことがあったら、いつでも言ってくれ」
「言ったら、やめてくれます?」
「もちろん」
「じゃあ、大丈夫です」
祐未は、そう言うと、自分から山城の方へ体を寄せた。
肩が触れ合う。
ローブ越しに、体温が伝わる。
「キス……してもいい?」
「聞くの?」
「聞く」
「変な人」
そう言いながらも、祐未は目を閉じた。
唇が触れた瞬間、小さな吐息が漏れる。
最初は軽く、触れるだけ。
少しずつ角度を変え、深さを変えていく。
祐未の手が、山城のシャツの袖をつまんだ。
力は、意外と強い。
「……思ったより、優しいですね」
唇が離れたところで、祐未が笑いながら言った。
「思ったより?」
「もっと、“オジサンっぽい”感じかと思ってました」
「オジサンっぽいキスってなんだ」
「勢いだけで来る感じ」
「それは、若い男の方が多そうだな」
「そうかもしれないですね」
祐未は、今度は自分から顔を近づけた。
二度目のキスは、最初から少し深かった。
舌先が触れ合う。
その瞬間、祐未の喉から、抑えきれないような小さな声が漏れた。
「……ん」
ローブの中に手を差し入れようとすると、祐未が一瞬だけ身を固くした。
反応が敏感だった
祐未は、もう言葉の代わりに声が漏れていた
言葉とは裏腹に、祐未の呼吸は少し早くなっていた。
胸元の布越しに伝わる鼓動も、速くなっている。
ゆっくりと、ローブの紐を解く。
膝の上に滑り落ちる布。
下に隠れていた肌が、淡い照明の中に現れる。
胸は、想像以上だった。
小柄な身体に、豊かな曲線を描いている。今まで山城が見た胸腺でも本当に映画のように美しく、形が良く、大きなものだった。
「見すぎ」
祐未が、照れたように笑う。
「すまん」
「でも、そんな顔されると……ちょっと、自信つきます」
自分の体を、ちゃんと“綺麗だ”と思って見てくれる視線。
そのことが、祐未の何かを解きほぐしていくのが、山城にも分かった。
***
祐未は、最初は照れながらも、敏感な身体がどこかぎこちなかった。
本能と、まだ残っている羞恥心がせめぎ合っているようだった。
触れられることに慣れていないというより、「どう反応していいのか」を探っているように見える。
だが、一度どこかでスイッチが入ると、空気が一気に変わった。
祐未は、自ら快楽を得らえるように体位を変えた。体位を変えるたびに、祐未の表情が変化する。上に乗るときは、バランスを取りながらも、腰の動きは大胆だった。小さな体の大きな乳房が、ベッドの上で大きく波打つ。
「……っ、やば……」
思わず漏れた言葉が、途中で声に変わる。
「んっ……、あ、これ……ちょっと、好きかも……」
言葉の端々で、祐未自身が“自分の身体の気持ちよさ”を確かめているのが分かる。演技で出す声とは違う、コントロールの効かない響きだった。
「声……大きいぞ」
山城が、苦笑まじりに言う。
「ダメですか……っ」
「ダメじゃないが……廊下まで聞こえそうだ」
「や……でも、止まらない……」
ベッドのスプリングが、一定のリズムで軋む。祐未の髪が、汗で頬や首筋に張り付く。
体位を変える。仰向け、横向き、後ろから——
そのたびに、祐未の声のトーンが変わる。
「そこ……っ、そこ、好き……
あ、ちょっと待って……
や、でも、そこ……!」
言葉と声が混ざり合い、途中で途切れる。山城は、自分が主導しているはずなのに、どこか“振り回されている”感覚に陥った。
(今までの誰とも違う)
真理とも、みどりとも、恵美とも、保奈美とも違う。
彼女たちは、どこかで“相手を喜ばせること”に意識を置いていた。
相手の反応を見て、調整する。
祐未は、もっと“自分の感覚”に素直だった。
気持ち良ければ、声が出る。もっと欲しければ、自分から動く。気に入らない体勢なら、
「ちょっと違う」
と言って、平気で変えようとする。
「これ、あんまり好きじゃないかも」
そう言って、笑いながら体勢を変える姿は、どこか無邪気ですらあった。
「嫌なことがあったら、言え」
「ちゃんと言ってますよ。そうじゃなかったら、黙ってます」
「それは困るな」
「困らせないようにします」
そう言って、また腰を落とす。
小柄な身体が、山城の上で軽く跳ねる。
やがて、祐未の動きが、少しずつ乱れ始めた。
「……ちょっと、待って…… やばい、これ……」
手が、山城の肩を強く掴む。
指先に力が入り、爪が食い込む。
「声……抑えろ」
「無理……っ、あ……」
抑えようとした瞬間、逆に大きな声が漏れる。喉の奥から絞り出されるような声。
その瞬間、全身が跳ねる。
小さな身体が、山城の胸の上で震えた。
「……っ……」
言葉にならない息が、何度か繰り返される。
祐未は、そのまま山城の胸に崩れ落ちた。
しばらく、部屋に二人の荒い呼吸だけが響いた。
***
「……廊下、聞こえましたかね」
しばらくして、祐未が布団の中から顔だけ出した。
「どうだろうな」
「恥ずかしい」
「今さらだろう」
「だって、自分で止められなかったんですもん」
「それは、悪いことじゃない」
山城は、枕元の水を一口飲んだ。
「痛いところはないか」
「大丈夫です。ちゃんと、優しかったから」
「優しい優しいと言うが」
「いや、ほんとに。途中で、何回か止めてくれたじゃないですか」
祐未は、シーツを胸元まで引き上げながら言った。
「“大丈夫か”って聞いてくれたの、ちゃんと覚えてます」
「それは、普通だろう」
「普通じゃないですよ。 “男はみんな優しい”って思ったら、痛い目見ます」
その言葉には、どこか実感がこもっていた。
「そういう目に遭ったことがあるのか」
「まあ、多少は」
祐未は、さらりと言った。
「でも、今日は楽しかったです。ちゃんと、“気持ちいい”と思えたから」
「それなら、よかった」
「山城さんは?」
「俺か」
「自分だけ、どうだったか言わないの、ずるいですよ」
祐未が、じっと見つめてくる。
シーツから出た肩が、小さく震えた。
「……正直に言うと」
「はい」
「今までで、一番振り回された」
「それって、褒め言葉ですか?」
「褒め言葉だ」
「じゃあ、よかった」
祐未は、安心したように笑った。
「また、してもいいですか」
「それは……」
「私が、“したい”と思ったら、ですけど」
山城は、少しだけ目を閉じた。
——また、同じことを繰り返すのか。
心のどこかで、そういう声がした。
だが同時に、さっきまでの感覚が、まだ身体のどこかに残っている。
「祐未が、そう思うなら」
「思うかもしれないし、思わないかもしれない」
「ずいぶん勝手だな」
「女って、そういうものです」
祐未は、そう言って目を閉じた。
まぶたの上に、長いまつ毛が影を落としている。
その横顔を見ながら、山城は、ゆっくりと息を吐いた。
——これは、きっと“深くは刺さらない関係”になる。
そう感じながらも、同時に、「それでいいのかもしれない」とも思っていた。




