第35話 会員番号3618、選ばれる側になる
第六章は、最終章になります
ご期待ください
山城が、そのメッセージを受け取ったのは、金曜の午後だった。
交際クラブの担当・加藤から、珍しく長い文面の案内が届いていた。
「山城様 日頃のご利用に感謝を込めまして、会員様・登録女性様双方がご参加いただける 少人数制パーティーを企画いたしました。」
パーティー。交際クラブで、そんなものをやるのかと、最初は眉をひそめた。
これまで山城が知っているのは、あくまで一対一の世界だ。
あまり、知られたくない世界で、大っぴらに人に会うものではない気がするがする
プロフィールを見て、女性を選び、お食事ところやホテルのラウンジで待ち合わせをする。
店に入れば、そこは二人だけの時間になる。
他の男の顔も、他の女の素顔も見えない。
それが、この世界の暗黙のルールだと思っていた。
続きの文面をスクロールしながら、山城は椅子の背にもたれた。
「今回は、女性の方にも“男性を選ぶ”機会を持っていただきたいと考えております。会員様のプロフィール(一部)を会場でご紹介し、女性側から『お話してみたい男性』を選んでいただく形式となります。セキュリティの高いマンションの一室で行います」
——女に、男を選ばせる?
思わず、口の中でつぶやいた。
この世界は、本来「男が選ぶ側」であるが、実際に、この世界に入ると、女性の立場が意外に強いことも分かる。
女性にも選ぶ権利はある。気に入らなければ最初から会わないし、続けたくなければ次の約束を断る。山城は、経験がないが、一度、会っただけで、LINEをブロックされる人も多いようだ。
それでも、スタートラインはいつも、男の側の指先にあった。
リストをスクロールし、誰か一人を選ぶ。
金額と条件を確認し、クラブに申し込む。
それが、交際クラブのルールだった。
「面白いことを考えるな……」
山城は、画面を見つめたまま小さくうなった。
続けて目に入ってきた一文が、さらに彼の意識を引きつける。
「また今回は、日頃からお付き合いのあるご友人を、お一人までご同伴いただけます。ビジネスオーナー同士の交流の場としてもご活用ください。」
なるほどな……
クラブの狙いが、何となく見えた気がした。
優良会員たちに、同じような男を連れてきてもらう。
新しい会員を獲得するチャンスでもあり、女性側には「ちゃんとした男が多いですよ」とアピールできる。
その一方で——
男たちは、いつもと違う立場に置かれる。
女を選ぶ側から、女に選ばれる側へ。
胸の奥に、久しぶりの種類の緊張が生まれた。
——五十八にもなって、いまさら「選ばれるかどうか」にドキドキするとはな。
自嘲気味に笑いながらも、心のどこかが少しだけ騒いでいるのを、山城は認めざるを得なかった。
デスクの上で、スマートフォンが小さく震えた。加藤から、追いLINEが入っている。
「山城様のような方にこそ、ぜひご参加いただきたい会です。女性側も、いつもとは違う顔ぶれをお呼びしています。」
「いつもとは違う顔ぶれ」
その言葉に、真理やみどり、恵美、保奈美の顔が、一瞬だけ脳裏をよぎった。
(もういいだろう、という気持ちもある)
関わるたびに、何かをもらい、何かを失ってきた。
金も、心も、時間も。
紗季に「入り込みすぎ」と笑われたばかりだ。
——そろそろ、引き際を考えた方がいい。
そんな理性の声が、確かに自分の中にある。
だがその一方で、画面に並ぶ文字列が、新しい好奇心を刺激してくる。
「女性側からのアプローチ」
「男性も見られる側」
「いつもとは違う顔ぶれ」
(……最後に、一度くらいは覗いてもいいか)
山城は、タバコ代わりのミントタブレットを一つ口に放り込み、加藤に返信した。
「面白そうですね。参加したいと思います。友人一人、連れていきます。」
送信ボタンを押した瞬間、胸の中で、どこか懐かしいざわめきが立ち上がった。
一対一のデートとは違う世界が、少しだけ口を開けた気がした。
——この夜が、後になって、俺にとって「交際クラブ」の意味を変えることになるとは、まだ知らなかった。
***
「パーティー? 例の交際クラブで?」
その日の夜、なじみの居酒屋の個室で、社長仲間の佐伯が眉を上げた。
四十代後半。既婚だが、夜遊びは嫌いではない男だ。
「そういうのもやるらしいんだよ。男女ともに参加で、女の方から男を選ぶんだと」
山城がビールを口に運びながら説明すると、佐伯は声を潜めて笑った。
「女に品定めされる会ですか。いやあ、山城社長も好きですねぇ」
「好きじゃない。興味があるだけだ」
「同じじゃないですか」
佐伯は、揚げ出し豆腐を箸でつまみながら続ける。
「でも、ちょっと面白そうですね。いつもは男が選ぶ側でしょう? たまには“選ばれない痛み”を味わってみた方が、女の気持ちが分かるかも」
「お前に言われる筋合いはないな」
そう言いつつも、山城は笑った。
佐伯とは、長い付き合いだ。
会社の規模は少し違うが、同じように一代で会社を立ち上げ、苦しい時期をくぐってきた。
飲みの席では軽口が多いが、要所ではきちんと筋を通す男だ。
「で、その会に、俺を連れていきたいと」
「嫌なら断ってくれていい」
「嫌なわけないでしょう。 ただ——うちの嫁には絶対言えないですね」
そう言って、佐伯はビールを一気にあおった。
「服装は?」
「私服でいいらしい。ホテルの一室だと」
「なるほど。じゃあ、真面目な顔して行きますか。“業界研究”ってことで」
「お前が一番楽しみにしてるだろ」
二人で笑い合いながらも、山城の頭の片隅には、別の思いもあった。
——女たちは、どんな男を選ぶんだろう。
年齢か。
肩書きか。
金か。
顔か。
喋りか。
男たちは、普段それを意識しながら女を選んでいる。
だが、逆の立場になったとき、自分はどう見えるのか。
五十八歳の、警備会社の社長。
交際クラブで、何人もの女と関わってきた男。
~値札をつけられる側に回るのも、悪くないかもしれないな~
半分冗談、半分本音だった。
***
パーティー当日。
会場は、都心の高級マンションだった。
セキュリティが厳しく、入口から部屋に入りまでに、2度もセキュリティゲートを通過しなければならず、部屋に着くまでに、5分かかってしまった
重厚な雰囲気の廊下を歩いて、部屋に入ると入口には簡単な受付があり、クラブのスタッフが笑顔で立っていた。
レストランでもバーでもないが、高級ラウンジのようなプライベートルーム。20畳以上あるだろうか? 広い部屋は四方を窓ガラスで囲まれた角部屋で、港区のビル群を一望できた。
「山城様。本日はご参加ありがとうございます」
加藤が一歩前に出て、深々と頭を下げた。
「こちらが、ご友人の佐伯様ですね。
事前にお名前を頂戴しております」
「どうも。山城の悪友です」
佐伯が軽く会釈すると、加藤は慣れた笑みで応じる。
「本日は、男性会員様のお名前と、簡単なプロフィールを、会場内に掲示させていただいております。女性の方から、『お話してみたい』と思われた方の番号を、カードにご記入いただく形です」
「男の側も、プロフィール公開か」
山城が言うと、加藤は少し楽しそうに笑った。
「はい。いつもは男性に選んでいただく側ですが、本日は“逆転の日”ということで」
「ずいぶん思い切ったことをするな」
「女性側からも、『たまには男の人を選びたい』という声がありまして」
加藤は、意味ありげに目尻を下げる。
「もちろん、選ばれなくてもお気になさらず。それもまた一興、ということで」
「フォローがうまいな」
山城は苦笑しながら、ネームホルダーを受け取った。
白地のカードには、「山城誠四郎 58歳 警備会社経営」と印字されている。
(ここまで出すのか……)
今さら隠すことでもないが、改めて文字にされると、年齢の数字がじわりと重く感じられた。
「さ、行きましょうか」
佐伯に促され、二人の中に入っていった。
***
部屋の中は、すでにほどよく賑わっていた。
壁際には、男性会員の名前と簡単なプロフィールを印刷したボードが並んでいる。年齢、職業、趣味、一言コメント。下には、それぞれの番号が振られていた。よく見ると、昔、テレビで見かけたような人物もちらほらいる
中央には丸テーブルがいくつか置かれ、シャンパンと軽いフィンガーフードが並んでいる。
女性たちの笑い声に混じって、男たちの低い声も聞こえる。
「なんか、合コンみたいですね」
佐伯が小声で言った。
「合コンにしては、年齢層が高いけどな」
「それは言わない約束でしょ」
二人で軽口を交わしながらも、山城は自然と女性たちの方へ視線を向けた。
派手なワンピースにブランドバッグ、見るからに“この世界慣れ”した女たち。
対して、落ち着いた膝丈スカートに、控えめなアクセサリーの女たち。
何人かは、山城がプロフィールを見ている顔だった。
真理とは違うタイプの知的な女、
みどりのように華やかで金遣いの荒そうな女、
恵美のような生活感を匂わせる女、
保奈美のように、一目で「プロ」と分かる女——
そんな記憶の残像が、目の前の光景に重なる。
その中に——明らかに初めて見る女性がいた。
小柄だ。周りの女たちより、一回り小さい。
だが、着ているワンピースは体に沿うように作られていて、華奢な身体のラインが自然に浮かんでいる。色は淡いベージュ。派手さはないのに、目が止まった。
——アナウンサーみたいだな——
最初に浮かんだのは、その感想だった。
整った顔立ち、きれいに通った鼻筋、きちんと整えられた髪。
どこかでニュースを読んでいてもおかしくなさそうな、端正さがある。
ただし——その立ち方は、少しだけ内向きだった。
グラスを両手で持って、わずかに胸の前で固くなっている。
視線が床と天井の間をさまよい、周囲の会話には入りきれていない。
(内気そうな子だな)
そう思った瞬間、その隣で彼女の腕をつつく女性がいた。
以前、山城が一度会ったことのあるクラブ登録の女だ。彼女が、小柄な女性の耳元で何か囁く。
「ほら、さっき話してた社長さん、あの人だよ」
言葉までは聞こえない。
だが、小柄な彼女がこちらを見た瞬間、ぱちりと目が合った。
一瞬、視線が泳ぐ。
次の瞬間——思ったよりも大きな声で、連れの女性に言った。
「え、あの人? 意外と優しそうじゃない?」
その声を聞いて、山城は目を瞬いた。
(……声、でかいな)
小柄で、内気そうで、守ってやらなければいけないタイプに見えた。
だが、その一言は、妙にハキハキしていた。
語尾までしっかり通る、アナウンサーみたいな声だ。
ギャップに、思わず笑ってしまいそうになる。
「あ、今の子、可愛くないですか?」
隣で佐伯が、同じ方を見ていた。
「小さいのに、存在感ありますね。社長、ああいうの好きでしょ?」
「どうだろうな」
否定はせずに、山城の目は彼女から離れなかった。
そのとき、クラブのスタッフが、軽くマイクを叩いた。
「それでは本日、女性の皆様にもお願いがあります。会場のボードに、男性会員様のプロフィールが掲示されています。“話してみたい”と思われた方がいらっしゃいましたら、こちらのカードに番号を書いて、スタッフにお渡しください。」
ざわ、と小さな笑いが起きる。
女性たちが顔を見合わせ、ボードの方へと目を向ける。
山城は、グラスをテーブルに置いた。
——今日は、これまでとは立場が逆だ。
女を選ぶ側から、選ばれる側へ。そのことを意識したとき、五十八歳の心臓が、少しだけ若返ったような気がした。
小柄な彼女が、プロフィールボードの方をちらりと見た。
その視線が、どこに止まるのか——
山城は、自分でも驚くほど真剣に、それを追いかけていた。




