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交際クラブの男 ~会員番号の3618~  山城誠四郎  作者: 山城誠四郎
第五章 2000本超に出演したセクシー女優 保奈美
33/42

第33話 元セクシー女優と暮らしてみたら、白いタオルで俺の生活が消えていった

保奈美は、セクシー女優を辞める決意をした。


山城と一緒に暮らす話が現実味を帯びてからも、彼女はしばらく迷っていた。十年以上続けてきた仕事である。嫌なことも多かったが、それでも樫村保奈美という名前は、彼女の人生そのものになっていた。


事務所に引退の意思を伝えると、意外にも引き止めは強くなかった。


ただし、事務所は最後まで商売だった。


「樫村保奈美、完全引退」


その看板で、最後の作品を作ることになった。引退記念、ラスト出演、永久保存版。そういう言葉が並んだ告知が出ると、ネットではすぐに書き込みが増えた。


「女神の引退」

「本当に辞めるのか」

「結婚か?」

「お疲れさまでした」

「どうせ、また戻ってくるよ」


山城は、それらの書き込みを複雑な気持ちで見ていた。


どこか誇らしさもあった。保奈美が辞める理由の一部に、自分がいる。彼女が静かな生活を選ぼうとしている。そのことが、山城に男としての小さな勝利のように思えた。


だが、心ない書き込みを見るたび、胸の奥が濁った。


「もう、戻ることはないよ」


山城は画面に向かって、声には出さずそう思った。


やがて保奈美は仕事を終え、山城の家で暮らし始めた。


最初の数日は、山城にとって夢のようだった。朝、家の中に女性の気配がある。洗面所に彼女の化粧品が並ぶ。冷蔵庫に、山城が普段買わないヨーグルトや炭酸水が入る。


それだけで、生活が変わったような気がした。


しかし、一緒に住むということは、食事をして、夜を共にすることだけではなかった。


生活には、時間がある。音がある。匂いがある。物の置き場所がある。

そこに、二人の違いが少しずつ現れた。


保奈美は、極端に朝が弱かった。


長年の仕事柄、生活は完全に夜型だった。深夜に目が冴え、朝方に眠る。昼近くまで起きてこないことも珍しくなかった。


一方、山城は朝が早い。


五時半には目が覚める。六時には新聞を読み、七時には会社関係の連絡を確認する。朝の時間を整えることで、一日を支配しているような感覚があった。


保奈美が眠っている寝室の前を、山城はできるだけ静かに歩いた。だが、コーヒーメーカーの音、新聞を広げる音、玄関で靴を履く音。そういう生活の音が、保奈美には気になるらしかった。


「山城さん、朝、もう少し静かにできますか」


ある朝、保奈美が寝ぼけた顔で言った。

山城は少し驚いた。


「そんなに音を立ててる?」


「すみません。私、眠りが浅いんです」


「気をつけるね」


山城はそう言った。

だが、山城にとって朝の生活音は、自分のリズムそのものだった。それを消すことは、自分の一日の始まりを奪われるようでもあった。


保奈美には、潔癖症と言えるくらい、こだわりが強かった。


家の中に置くものは、自分で選んだものでないと落ち着かない。タオルは白で統一。ハンガーも同じ種類で、同じ向きに揃っていないと気になる。

部屋は、ホテルのような雰囲気に変わっていった

綺麗と言えばよいが、生活感がないという感じもする


ある日、山城が長年使っていたタオルが見当たらなくなった。


「あれ、私のタオルは?」


「処分しました」


保奈美は悪びれずに言った。


「だいぶ古かったので。新しい白いものに替えておきました」


「相談してほしかったな」


「ごめんなさい。よかれと思って」


「いいよ」


山城は言葉を飲み込んだ。


タオル一枚のことだ。怒るほどではない。新しいものの方が清潔で、見た目もいい。


だが、自分の物が、相談もなく消えている。


その小さな違和感は、山城の中に残った。


ハンガーも同じだった。山城が使っていた木製のハンガーや、クリーニング店でもらったプラスチックのものは、いつの間にかなくなり、同じ形の白いハンガーに統一されていた。


「こっちの方が綺麗です」


保奈美はそう言った。


確かに、クローゼットは整っていた。だが、山城の生活の跡は、少しずつ薄くなっていった。


インテリアも変わった。


山城が選んだ重い革のソファには、白いカバーがかけられた。壁にあった記念写真は外され、代わりに抽象画のようなものが飾られた。ダイニングの照明も、保奈美の好みで柔らかい色に替えられた。


家は美しくなった。しかし、山城は時々、自分の家に客としているような気分になった。


「保奈美」


ある夜、山城は控えめに切り出した。


「はい」


「家、すごく綺麗になったね」


「ありがとうございます」


「ただ、たまには、私の意見も聞いてね」


保奈美は少し驚いた顔をした。


「あ……すみません。私、つい一人で決めちゃう癖があって」


「いや、悪気がないのは分かってるよ」


「気をつけます」


その夜から、保奈美は山城に何かを尋ねるようになった。

しかし、尋ねること自体が、保奈美にとっては不自然なことのようだった。

保奈美は、山城に金銭的に依存していなかった。


それもまた、山城にとっては予想外だった。


山城はどこかで、自分が彼女を支えるのだと思っていた。仕事を辞めた保奈美の生活を守り、将来の不安を引き受ける。そうすることで、自分の存在にも意味が生まれると思っていた。


だが、保奈美には十分な蓄えがあった。


長年売れていた女性である。使い方に波はあったが、まったく無計画に生きてきたわけではない。投資も少ししていたし、引退後すぐに困るような状態ではなかった。


「生活費、私も出します」


保奈美は当然のように言った。

山城は最初、それを立派だと思った。


しかし同時に、少し寂しかった。


頼られたい。必要とされたい。自分がいなければ困ると思われたい。


山城の中にあるその欲求は、保奈美の自立によって満たされなかった。


保奈美は、山城の家に来たが、山城に寄りかかるわけではなかった。山城は、保奈美を迎えたが、彼女の人生を背負えるわけではなかった。


二人の間には、奇妙な距離が残った。


寝室も別だった。


保奈美は、一人で寝ないと眠れないと言った。


「人が隣にいると、気になって眠れないんです」


山城は最初、少し傷ついた。


一緒に住むなら、同じ寝室で眠るものだとどこかで思っていた。夫婦ではないにしても、男女として同じ家で暮らすなら、夜は自然に同じ部屋にいるものだと。


だが保奈美にとって、眠ることは自分を守る時間だった。


「嫌いとかじゃないんです」


彼女はそう説明した。


「でも、一人の空間がないと駄目なんです」


山城はうなずいた。

理解しようとはした。


実際、二人の関係が完全に冷えたわけではない。肌を重ねる時は、保奈美が山城の部屋に来ることもあった。あるいは山城が彼女の部屋に呼ばれることもあった。


呼ばれた夜、保奈美はいつもより饒舌だった。


「電気、消していいですか」


「どうぞ」


「明るいと、まだ少し恥ずかしくて」


「今さらですか」


「今さらです」


二人で笑ってから、保奈美は山城の肩に頬を寄せた。

肌の温度は、いつも少しだけ高かった。山城の指が背中を撫でると、保奈美は小さく息を漏らした。


「山城さんに触られると、変な感じがします」


「変、というのは」


「仕事の手じゃない手なんです」


そう言って、保奈美は山城の手の甲に自分の手を重ねた。

その仕草が、山城には妙に切なかった。


身体は近づく。しかし、終わればそれぞれの部屋に戻る。


その流れが、山城にはどこか寂しかった。

身体は近づく。しかし、生活は一つにならない。


外で会う保奈美は、相変わらず魅力的だった。


映画館では山城の腕を取り、ドライブでは助手席でよく笑った。買い物に行けば、山城に似合う服を選んだ。外にいる時の保奈美は、恋人のように自然だった。


だが、家に帰ると少し違った。


「少し部屋で休みます」

「今日は一人で映画を見たいです」

「本を読みたいので、先に寝てください」


そう言って、自分の部屋に入ってしまう。


山城はリビングに一人残される。

同じ家にいるのに、一人だった。


それは、独身の頃の一人とは違った。誰もいない一人より、誰かがいるのに届かない一人の方が、寂しい時がある。


山城はそのことを知った。


ある夜、山城はリビングでウイスキーを飲んでいた。保奈美は自分の部屋にいた。ドアの向こうから、微かに動画の音が聞こえた。


山城は、その音を聞きながら思った。

自分は、何を望んでいたのだろう。


保奈美を引退させたかった。静かな生活をさせたかった。一緒に暮らしたかった。


その願いは、かなったはずだった。

だが、かなった途端に、別の現実が見えてきた。


一緒に暮らすとは、相手を救うことではない。相手の癖や、沈黙や、こだわりや、譲れない部分と毎日向き合うことだった。


山城も保奈美も、独身の時間が長すぎた。


それぞれが、自分のルールで生きてきた。山城には山城の朝があり、保奈美には保奈美の夜がある。山城には古いタオルにも意味があり、保奈美には白で揃った棚が必要だった。


どちらが悪いわけでもない。ただ、合わなかった。


数日後、保奈美が言った。


「山城さん、私たち、少し無理しているかもしれません」


山城は驚かなかった。むしろ、その言葉を待っていたような気がした。

彼女は泣いていた


「そうですね」


山城は静かに答えた。


「嫌いになったわけではないです」


「分かっています」


「山城さんには、本当に感謝しています。辞めるきっかけをくれたのも、一緒に暮らそうと言ってくれたのも、すごく嬉しかったです」


「でも、生活は別ですね」


山城が言うと、保奈美は少し悲しそうに笑った。


「はい。生活は、思ったより難しいです」


山城はうなずいた。

恋よりも、生活の方が難しい。

若い頃なら、そんなことは分からなかったかもしれない。だが五十八歳の山城には、その言葉の重さが分かった。


「別々に暮らしましょう」


山城は言った。

保奈美は小さく息を吐いた。


「その方が、長く仲良くいられる気がします」


山城は、その言葉に少しだけ救われた。

終わるのではない。ただ、形を変える。そう思いたかった。



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