第30話 「私、豊胸してないんですよ」――湯気の向こうで、彼女は俺の手を導いた
保奈美は、湯の中でゆっくり立ち上がった。
泡が肌をすべり落ち、浴室の照明に白く光った。彼女は狭い浴槽の中で静かに向きを変えると、山城と正面から抱き合うように向かい合った。
湯気の向こうに、保奈美の身体があった。
泡に隠れてはいたが、それでも長くこの業界で見られてきた女性の存在感は、隠しようがなかった。山城は一瞬、言葉を失った。
やはり、その姿は、美しく、色気があった。
何よりも、その形のきれいな、乳房が山城の視線を誘った
保奈美は、そんな山城の視線に気づいたのか、少し笑った。
「身体が資本なので、鍛えてますよ。私の体形は、ちょうど、日本人好みらしいんです
身長が157cm 台、バストも86センチで比率としては「バスト:ウエスト:ヒップ ≒ 1:0.7:1」が黄金比らしいんですが、一応、黄金比の身体です。」
「昔は、もっと大きかったんですけどね」
保奈美はそう言いながら、湯の中で両手を自分の胸に添えた。下からすくうように寄せ、ぐっと持ち上げてみせる。泡がこぼれ、白い肌が湯気の向こうに二つの山を作った。
「ほら、こうすれば、まだ」
悪戯っぽく笑う。山城は思わず視線を奪われ、咄嗟に目を逸らそうとして、結局逸らせなかった。
「……ずるいですね、その見せ方」
「ずるいんです、私たち」
保奈美はくすりと笑って、手を解いた。寄せられていた胸が湯の中でゆっくり戻り、泡がまた表面に広がる。
「でも、私は豊胸していませんよ」
そう言うと、彼女は山城の手を取った。
山城が戸惑う間もなく、保奈美はその手を自分の胸元へそっと導いた。
濡れた肌が、山城の手の甲に触れる。泡の下の柔らかさが、指の腹にゆっくりと押し返してきた。
「分かります?」
山城は正直に首を振った。
「いや……分かりません」
声が、自分でも少しかすれた。
保奈美は笑った。
「ですよね。最近の豊胸は本当に分かりにくいんです。いろいろなやり方があって、自分の太ももの裏の脂肪を使う方法もありますし。触っただけでは、もうほとんど分からないと思います」
「へえ」
山城はそう答えるしかなかった。
本当に、それ以外の言葉が出てこなかった。
保奈美は続けた。
「昔は、少し分かりやすかったんです。弾力が不自然だったり、硬かったり。でも今は、技術も変わりました」
その口調は、どこか仕事の話をしているようだった。
それなのに、彼女の指は、山城の手をまだ離さない。
山城は不思議な気持ちになった。
男なら誰もが興味を持ちそうな話を、保奈美は驚くほど淡々と語る。そこには媚びも、照れも、過剰な演出もなかった。長くその世界で働いてきた女性が、自分の身体さえ仕事道具として見てきた時間の重さがあった。
山城は、彼女の言葉に返事をしながらも、胸の奥で別のことを考えていた。
この人は、どれだけ多くの視線にさらされてきたのだろう。
褒められ、値踏みされ、期待され、消費されてきた。それでも、今こうして笑っている。
その笑顔が、強さなのか、諦めなのか、山城には分からなかった。
「山城さん」
保奈美が言った。
「はい」
「洗ってあげます」
「いや、そんな」
山城は反射的に遠慮した。
保奈美は小さく首を振った。
「大丈夫です。ちょっと上手いですよ」
「ちょっと、ですか」
「自慢ではないので」
その言い方に、山城は思わず笑った。冗談なのか、本気なのか分からない。だが、保奈美の声には相手を安心させる柔らかさがあった。
彼女は泡を手に取り、山城の肩にそっと触れた。
その手つきは、想像していたような露骨なものではなかった。急がず、押しつけがましくもなく、ただ山城の緊張をほどくように、ゆっくりと肌の上をすべっていく。
山城は、言われるままにしていた。
「肩、凝ってますね」
「そうですか」
「ここ、固いです」
指の腹が、首と肩の境目を押した。山城は思わず声を漏らした。
「……うまいな」
「言ったでしょう」
保奈美は笑った。
若い女性に触れられる高揚とは違う。真里の時のような、どこか試されている感覚とも違う。
保奈美の手には、経験があった。男を喜ばせるための技術もあるのだろう。だが、それだけではなかった。疲れている人間を休ませるような、妙な穏やかさがあった。
やがて保奈美は山城の目を見て、そっと口づけた。
唇は柔らかく、少しだけ濡れていた。湯気の匂いと、彼女の肌の匂いが、山城の鼻先に届いた。
山城はその瞬間、浴室の湯気と泡と、彼女の体温に包まれたような気がした。
保奈美は焦らなかった。急に距離を詰めることもなかった。ただ、ゆっくりと、山城の身体と心のこわばりをほどいていく。
山城も、自然に彼女の背中へ手を回した。泡をすくい、背中から肩へ、腕へと滑らせる。強く触れるのではなく、洗うように、確かめるように、丁寧に触れた。
保奈美は、わずかに息を漏らした。
その吐息が、山城の耳元にかかった。
山城は胸の奥が静かに熱くなるのを感じた。
彼女は、見られることに慣れている。触れられることにも慣れている。それなのに、今の吐息にはどこか素の響きがあった。
演技なのかもしれない。仕事で身についた反応なのかもしれない。
だが山城は、その瞬間だけは、考えるのをやめた。
保奈美もまた、一人の女性なのだ。
そう思った。
「山城さん」
保奈美が、耳元で小さく呼んだ。
「はい」
「泡流しましょうか?」
彼女はそう言って、浴槽からゆっくり立ち上がった。
泡が、彼女の身体を伝って落ちていく。乳房の輪郭が、湯気の向こうに浮かんで、また消えた。山城は目を逸らさなかった。隠すように見るのは、かえって失礼な気がした。
山城も続いて立ち上がる。
保奈美はシャワーを手に取り、湯加減を確かめてから、山城の肩にそっと湯をかけた。泡が流れ落ちていく。彼女は丁寧に、背中、肩、腕を流してくれた。
その仕草は、やはり慣れていた。
けれど山城には、それが単なる技術には思えなかった。
誰かに身体を洗ってもらうなど、いつ以来だろうか。
子供の頃、母親に風呂へ入れられた記憶。若い頃、妻とまだ仲が良かった頃の記憶。それらが一瞬だけ、遠くから浮かんできた。
山城は驚いた。
欲望の場面で、こんな記憶が出てくるとは思わなかった。
保奈美は、山城の表情を見て言った。
「どうしました?」
「いや」
山城は小さく笑った。
「なんだか、妙に落ち着きますね」
保奈美は少しだけ目を細めた。
「それなら、よかったです」
その言葉は、仕事の決まり文句のようにも聞こえた。だが、山城には不思議とそう思えなかった。
保奈美は自分の身体にもシャワーを当て、泡を流した。山城はその姿を見ながら、彼女がこれまでどれほど多くの現場で、自分の身体を仕事として扱ってきたのかを考えた。
その身体は、商品であり、武器であり、彼女自身でもあった。そして今、山城の前にいる保奈美は、そのどれでもあり、どれでもないように見えた。
「お部屋で、ゆっくりしましょう」
保奈美が言った。
山城はうなずいた。
浴室を出ると、部屋の空気は少し涼しかった。窓の外には、夜の街の灯りが滲んでいた。
山城は、バスローブに袖を通しながら思った。
自分は、またこの女性を肩書きで見ていた。
セクシー女優。男を知り尽くした女。割り切れる相手。本気にならずに済む相手。
そう決めつけていた。
だが、保奈美はそのどれでもなかった。よく笑い、少し照れ、仕事の話を淡々と語り、疲れを隠しながら人を安心させる女性だった。
ソファに腰を下ろした保奈美を見た。
濡れた髪をタオルで押さえながら、静かに笑っている。
その笑顔を見て、山城はまた嫌な予感がした。
割り切るつもりだった。今度こそ、距離を間違えないつもりだった。
それなのに、胸の奥でまた同じ感情が動き出している。
この人を、少し休ませてやりたい。
山城は心の中で、苦笑した。
何も学んでいないのかもしれない。それでも、そう思ってしまうのが自分なのだ。
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設定の仕方を私が理解していませんでした
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