交際クラブの男 ~会員番号3618~ 山城誠四郎 第三話 銀座のホテル緊張の連続
第3話 銀座のホテル 緊張の連続
扉が閉まると、山城は一人になった。
さっきまでの熱がまだ残っている。テレビをつけ、音量をいつもより少し上げた。バスルームの音を意識していると思われたくなかった。いや、自分がそれを意識していることを自覚したくなかった。
聞き耳を立てる男にはなりたくない。
がっついていると思われたくない。
余裕のない男だと思われたくない。
そう思えば思うほど、余裕がないことに気づく。
ソファに腰を下ろし、テレビを眺める。内容は頭に入ってこない。
腕時計を外し、スマートフォンを裏返し、水を一口飲む。些細な動作で気を紛らわせた。
しばらくして、バスルームの扉が開いた。
真理が出てきた。
大きめのバスタオルを一枚、からだに巻いただけの姿だ。濡れた髪を片側の肩に寄せている。
照明の下で、タオルのすき間からのぞく白い足がすっと伸びていた。
山城は息を呑んだ。
写真で見ていた女とは別人のように思えた。想像していたより、ずっときれいだった。
細く無駄のない脚。その一方で、膝から上には指を埋めたくなるような柔らかさも見える。
タオルの端が太ももの高い位置で辛うじて布を保っているのを見て、そこから先を想像してしまい、慌てて視線を引き上げた。
あまり見てはいけない。
そう思った時にはもう遅く、足首から膝、膝からその上へと、視線は勝手に肌をなぞっていた。
真理は、山城の視線に気づいているのかいないのか、タオルを押さえた片手で髪を払うようにし、静かに微笑んだ。
その仕草だけで、胸元のタオルがわずかに持ち上がり、布の下のかたちを想像させる。
「お先にいただきました」
山城は返事まで一拍、間が空いた。目を合わせ直すのに少しだけ勇気が要った。
「ああ、はい」
山城は少し慌てて立ち上がる。
「テレビでも見ていてください」
もっと気の利いたことを言うべきだろうと思いながらも、その時は余裕がなかった。
それでも、彼は真理に触れなかった。
触れようと思えば触れられる距離だ。だが、触れなかった。
紳士でいたかった。
女には優しくするものだ。嫌がることはしてはいけない。先に手を出してはいけない──若い頃から染みついた考えが、ここでも山城を止めた。
バスルームに入り、ドアを閉めると、大きく息を吐いた。
鏡の中に、五十八歳の男が映っている。髪には白いものが混じり、顔には皺がある。腹も出た。
それでも、まだ悪くないと自分では思っている。いや、そう思いたかった。
普段より長く歯を磨き、シャワーを浴びながら体を確認する。
同年代の男が「もう駄目だよ」と笑うのを聞くたび、どこか他人事だった。若い頃と同じではないが、男としての自信はまだある。薬の助けも要らない。
仕事の肩書きでも金でもなく、自分がまだ男であるという感覚。今夜、それを確かめたい気持ちもあった。
シャワーを止め、体を拭き、部屋に戻ると、真理はベッドの端に腰をかけ、テレビの音だけを聞いていたようだった。
山城が出ると、ゆっくり振り向く。その表情は、店での礼儀正しい笑顔とも、仕事の顔とも少し違っていた。拒んでいるわけではないが、恋人の顔とも違う。
そこからどう進めばいいか、一瞬分からなくなる。
真理の隣に座る。少し距離を空ける。何か言う。手を伸ばす──頭の中では手順を考えているのに、体は動かなかった。
すると、真理の方から静かに言った。
「緊張されていますか」
山城は苦笑した。
「分かりますか」
「少し」
「情けないですね」
「そんなことないです。私も最初はそうでした」
その言葉が、山城の胸に小さく刺さった。
自分だけではない。彼女にとって、自分は初めてではない。この部屋も、この流れも、真理にとっては特別ではない。
分かっていたはずなのに、言葉にされると、胸に冷たいものが通った。
真理は、その空気を察したように、そっと山城の手に触れた。指先がかすかに擦れただけで、肩に力が入る。
「でも、山城さんは、優しいですね」
そう言うと、真理は山城の手を自分の方へ引き寄せた。
細い指が手の甲をなぞるように滑り、やがて人差し指をつまみ上げる。その指先を、唇の近くまでゆっくり持っていった。わずかに開いた口元から、湿った吐息がかかる。
真理の舌が、ためらいなく人差し指をひと舐めした。
指先に、温かく柔らかな感触がまとわりつく。そのまま軽く唇を閉じ、指の腹にキスを落とした。
山城が目を見張るのを、真理は真正面から受け止めていた。
逃げ場を与えない距離で、まっすぐ瞳の奥を覗き込む。指先を口から離したあとも、唇の端にだけ笑みを残した。
そこから先は、ほとんど真理の流れだった。
痩せているが、ただ細いだけではない体。首筋から肩、背中、腰へと流れる線が美しい。
真理は、自分の身体がどう見えるのかを知っていた。わざとらしく見せつけるのではなく、少し角度を変えるだけで、照明の中に線が浮かび上がる。髪を片側に流す仕草、肩をわずかに落とす仕草、近づく時の腰の動き──どれも自然で、しかし計算されているようでもあった。
山城は視線を逸らそうとしたが、逸らせなかった。
華奢な身体の中に、女らしい柔らかさが確かにある。控えめな丸みの胸が、かえって艶めかしく見える。
真理は、山城の視線に気づいていた。
咎めはしない。むしろ、反応を確かめるように、少しだけ身体を近づける。指がそっと触れると、真理は小さく息を揺らした。
その反応は大げさではない。だが、作り物にも見えない。山城の胸を強く刺激した。
真理は、ただ受け身でいる女ではなかった。




