第22話 「彼氏ができても続けて」──交際クラブの“支援者”に告げた残酷な本音
恵美の母親は、以前から娘のことを心配していた。
「いい人はいないの?」
「そろそろ、ちゃんとした人を見つけなさいよ」
電話の向こうから、そんな言葉をかけられている——と、恵美から聞いたことがある。
その「ちゃんとした人」が、ある日、突然現れた。
「山城さん、相談があるんです」
その日も、いつものように食事をしていた。
店内はそこそこにぎやかで、他の客の話し声がBGMのように流れている。
「どうした?」
「お母さんが……彼氏を紹介したいって言ってきて」
恵美は、グラスの水を一口飲んでから、続けた。
「かなりいい人らしいんです。大手商社の方で、仕事もできるって。
昔からのお母さんの知り合いで、『一度会ってみなさい』って」
その一言一言が、ナイフのように山城の胸に刺さっていく。
「それで……私、お母さんに言ったんです。
『私も、いい人いないから、紹介してください』って」
山城は、表情を崩さないようにするだけで精一杯だった。
手に持ったフォークが、少し震えているのが分かる。
…… いい人がいない? 俺は……何だったんだ ……
何度も喉まで出かかった言葉を、かろうじて飲み込む。
恵美は、まっすぐ山城を見つめた。
「もし、その人とお付き合いすることになっても……
山城さんとの関係は、続けてほしいんです」
一瞬、時間が止まったように感じた。
「……え?」
聞き返さずにはいられない。
「山城さんには、本当に感謝してます。
お金のことも、娘のことも。
だから、彼氏ができても……山城さんには、今まで通り、支えてほしいんです」
周りのテーブルのざわめきが、急に遠くなった。
自分の心臓の音だけが、やけにはっきり聞こえる。
…… 俺は——何なんだ ……
それでも、声はできるだけ静かに保とうとした。
怒鳴ったところで、惨めになるのは自分だと分かっていたからだ。
「……それは、できない」
山城は、はっきりと強い口調で言った。
自分が思ったよりも大きな声で声出したことを自分でも分かった
周囲の客が、ちらりとこちらを振り向くのが視界の端に見える。
恵美が、わずかに目を見開く。
「どうしてですか? 今までと、そんなに変わらないと思うけど……」
その無邪気さが、逆に胸をえぐる。
「私の知人にもそういうお付き合いの人がいます。」
平静を保つために、山城は、一つひとつ言葉を選んだ。
「お母さんの紹介で、その人と付き合うんだろう?
だったら、その時点で、君と俺が関係を続けたら……君は、お母さんを裏切ることになる」
「裏切る……?」
「それだけじゃない」
グラスの水を一口飲み、喉をうるおしてから、続ける。
「最初から彼氏を裏切る形で、付き合いを始めるのか?そんな状態で、その人との関係を続けるつもりなのか?」
恵美は、少しだけ顔を曇らせた。
山城の声が、少しだけ低くなる。
「家族を最初から裏切って始める恋愛って、何だ? それは、君にとって、どんな結婚なんだ?」
そこまで言ってから、山城は、静かに問いを重ねた。
「第一、俺は何なんだ?」
恵美は、驚いたように目を瞬かせ、それから、どこか突き放すような口調で言った。
「……それが交際クラブだと思うんですけど。もしかして、結婚相談所と間違えていましたか?」
その一言に、山城は、愕然とした。しばらく、言葉が見つからなかった。
しばらくの無言の間、山城は、かのうじて口を開いた
「男と女の出会いなんて、何でもいいものだと思っていたよ 相手がソープランドで働いていてもアダルトビデオ女優でも、何でもよい。交際クラブでも、年齢差があっても人の出会いは、心で結ばれたら良いじゃないのか?」
「何をかっこいいこと言って、私を抱いていい思いしたでしょ。それが交際クラブです。心は関係ないです」
彼女は、もう近くにいない感じだった。
彼女は、どこまでも線を引いていたのだ。
交際クラブで出会う男たちは、あくまで「交際クラブの男」。
生活の外側の存在。
そこから一歩も、内側には入れない——そういう前提の中で、すべてを割り切っていた。
山城だけが、最初から恋愛感情を抱いていた。
年齢差も、出会い方も、全部分かっていたはずなのに、どこかで「特別」になれると信じていた。
…… 俺の方が、勘違いしていたのかもしれない ……
頭ではそう理解しようとしても、感情は追いつかない。
恵美は続ける。
「彼氏は彼氏、支援してくれる方は支援者。そういうふうに、ちゃんと分けていたつもりです」
それは、彼女なりの「プロ意識」なのかもしれなかった。
生活のために、この世界で傷つきすぎないように覚えた、女としての“自分の守り方”でもあった。
…… そうか……彼女は、交際クラブのプロなんだ ……
山城は、そう認めた瞬間、怒りを通り越して、自分の力が抜けていくのを感じた、無気力のような状態になった
理解してしまった。
完全に、理解してしまった。
恵美にとって、自分はただの「支援者」だ。
娘と一緒に食事をしても、手を繋いで歩いても、ベッドで抱き合っても——それは全部、「支援を受けている関係」の延長線上にある。
決して、「恋愛」ではない。
決して、「人生のパートナー候補」ではない。
山城は、ゆっくりと息を吐いた。
身体から、力が抜けていくのが分かる。
握っていたフォークを、そっとテーブルに置く。
その音が、やけに大きく響いた。
…… 俺は、何をしていたんだろう ……
山城にとって、何よりショックだったのは——
「彼氏ができても、この関係を続けてほしい」という一言だった。
なぜ、そんなことが平然と言えるのか。
一人の男性だけを愛する人だと、どこかで信じていた。
肌を重ねた相手は、特別な存在になると思っていた。
だが、違った。
恵美にとって、山城は「今までいた支援者の一人」に過ぎなかった。
彼氏ができても、山城という「支援者」は別枠で継続する。
それが、彼女にとっての「当たり前」だった。
山城は、テーブルの向こうで何か話している恵美の声を、遠くから聞いているような気がした。
言葉が、耳に入ってこない。
意味が、頭に入ってこない。
ただ、圧倒的な脱力感だけが、身体を包んでいく。
…… ああ、俺は……最初から、勘違いしていたんだ ……
戦う気力も、怒る気力も、湧いてこなかった。
ただ、空っぽになっていく感覚だけがあった。
山城は、グラスの水を一口飲んだ。
喉を通るはずの水が、どこにも届かない気がした。
…… 何も、残らないな。彼女の肚は読めてしまった ……
娘と過ごした時間も、手を繋いで歩いた時間も、抱きしめた温もりも——
全部、山城だけが「特別」だと思っていただけだった。
恵美にとっては、それは「仕事の一部」で、「生活のための時間」で、「支援を受けるための仕事」だった。
そう理解してしまった瞬間、すべてが無情で何もしたくなくなった。
山城は、静かに椅子に沈み込んだ。
背中が丸くなり、肩が落ちる。
五十八年生きてきて、こんなに無力感を感じたことがあっただろうか。
破産しかけた時も、離婚した時も、まだ「次にどうするか」を考えられた。
だが今は、何も考えられない。
ただ、自分が「会員番号3618」という記号でしかなかったことを、突きつけられただけだった。
恵美は、まだ何か話している。
だが、山城の耳には、もう何も届かなかった。
恵美が何かをしゃべっていたが、山城は、手を挙げて遮り短く応えた。
「わかったよ。君は交際クラブの女だった。あの優しさも温もりも、よく磨かれたプロの手口だったよ。」
しゃべり続けた恵美は黙った
山城は、無情の暗闇の中で、一つだけ今後の予測ができた。
それはもう、彼女と会うことはないだろうということだった。
第三章のあとがき
第三章を読んでくださり、ありがとうございました。
この章では、山城と恵美が同じ時間を過ごしながら、まったく違う意味で相手を見ていたことを書いてきました。山城にとっては、身体を重ね、日常を少しずつ共有していくことが、そのまま「特別な関係」へ向かう道でした。一方で恵美にとっては、恋愛と生活、支援と感情を切り分けることこそが、自分を守るための現実的な生き方でした。
どちらか一方だけが悪い、という形ではなく、価値観の置き方そのものが最初からすれ違っていた――それが第三章で描きたかったことです。相手に優しさがあったとしても、その優しさが同じ意味で受け取られるとは限らない。むしろ、優しさがあるからこそ、言葉にしなかった思い込みや期待が大きくなってしまうこともあります。
そして第二十二話で、その曖昧だった関係は一気に言葉になりました。山城が恋愛だと思っていたものは、恵美にとってはあくまで「支援者」との関係であり、その線引きは最後まで揺らぎませんでした。山城にとっては残酷な現実ですが、恵美にとっては、それが自分の生活を守るための整理だったのだと思います。
第三章は、恋愛の成就ではなく、「同じ場にいながら違う物語を生きていた二人」が、ついにそれを直視する章でした。読んでいて苦しく感じられた方もいらっしゃるかもしれませんが、その苦さも含めて、この二人の関係の真実として受け取っていただけたなら嬉しいです。
ここから先、山城はただ傷ついて終わるのではなく、自分の見方や伝え方を見直していくことになります。感情だけでは越えられない壁にぶつかったあと、人は何を学び、どう変わるのか。次の章では、その変化の過程を書いていきます。
引き続き、お付き合いいただけましたら幸いです。
第四章の簡単な前書き
第四章では、大きな喪失感の中にいる山城が、紗季という女性と出会い、女性との向き合い方を少しずつ学んでいきます。
これまでの山城は、好意があるのに言葉にできず、優しさや献身で気持ちを伝えようとしてきました。しかし第四章では、LINEの返し方、距離の詰め方、言葉の選び方、気持ちの伝え方といった、より実践的な部分に踏み込んでいきます。
恋愛小説としての物語を進めながらも、この章はややHOW TO色の強い内容になります。山城が失敗や戸惑いを重ねながら、「女性に伝わる伝え方」を学んでいく章として読んでいただければ嬉しいです。




