第21話 彼女は二人いる──愛と金を分ける女の本音 恵美の二面性
恵美は、娘を寝かしつけた後、自分の部屋で一人、ベッドに腰を下ろした 。
やっと静かになった夜。今日の時間を反芻する 。
母親からは、またLINEが来ていた。
「結婚はどうなの。いい人はいるのか?」
恵美は、スマホの画面を見つめながら、少しだけ山城の顔が横切った。
でも、すぐに違うと思った 。
…… 山城さんは、いい人だけど……違う ……
恵美は、純情な部分を残しつつ、実は交際クラブの常習者だった。
大学生のころから、会員になったり、出たりを繰り返していた。
大学生の時に、一度、別れた男からストーカーまがいのことをされて、家族にバレそうになったこともあった 。
それでも止められないのは、お金と夜の寂しさからだった。
やはり、誰かに抱かれるのが好きだった。
もちろん、複数の人と同時に付き合うわけではない。
自分の頭の中では、恋愛と交際クラブで会う人とは、まったく区分されていた 。
交際クラブで出会うときには、「3Pはどう?」と言われて、女性二人、男性一人でセックスするようなことも経験した。
それは、興味と快楽とお金だった。
頭の中がセパレートされているので、日常的にそれは、自分ではない気がしていた 。
今では、お金と結びつき、やめられなくなっている。
特に、娘ができてからは、お金が入用で山城からの毎月の送金は、本当に心から感謝で助かっている 。
恵美は、山城の気持ちには気づいていた。
最初は、その気持ちに応えながらも、少しずつ「重たい」と思うようにもなっている 。
…… 私であれば。男と付き合おうと思えば、いくらでも普通に若い男を捕まえられる ……
…… 家庭に入れば、良い妻を演じられる自信がある ……
…… 何も、年齢が親ほどの人と付き合う必要もない ……
…… 金持ちは普通にいる ……
恵美は、一度、定額のお金を何度か山城にお断りしたが、山城はLINEでこう言った。
「私の気持ちです。実は、好きになってしまったので、ホテルの後にお金を渡すのが嫌なのだ」
「拘束されているのが嫌なら考えるが……」
恵美は、「いえ、そんなことはないよ。一緒にいるのが楽しいです」と返した 。
実際にそうで、一緒にいると安心していられる。
いつも疲れている恵美は、ことが終わるとすぐにベッドで寝てしまうのが習慣だった。
時間がないので、ほんの20分程度だが、ベッドや、自動車での送り迎えの時も寝てしまうことが多かった。
それは、安心という言葉が一番だった。
安心できる特別な人だったかもしれない
ただ、それでも『交際クラブで出会った人』という区分を自分の頭を整理するつもりはなかった。
それは、彼女も気が付かない先入観のようなもので、気が付きたくもなかったのかもしれない。
恵美の中には、二つの自分がいた。
一つは、娘を愛し、母親に心配をかけまいとする、真面目で家庭的な恵美。
保育園の送り迎えをして、夕飯を作り、絵本を読み聞かせる。
友達とランチをして、「いい人いないかな」と笑いながら話す、普通の女性。
もう一つは、交際クラブで男性と会い、お金をもらい、身体を許す恵美。
3Pの誘いを受け入れ、快楽と興味とお金を天秤にかける、もう一人の自分。その時は、完全に「はじけられる。」恵美は、この二つを完全に分けていた。
その切り分けは意識的な選択というより、生きるために身につけた防衛本能だった。
…… これは仕事。これは私の生活じゃない ……
…… ここで会う人たちは、私の人生には入ってこない ……
そう信じることで、恵美は自分を守っていた。
罪悪感も、恥も、後ろめたさも、すべて「別の自分のこと」として切り離していた。
そのもう一人の自分の姿を知ってしまっている山城のことを「いい人」だと思いながらも、「結婚相手」として見ることはできなかった。
娘と一緒に食事をして、優しく抱きしめてくれる山城。
毎月お金を振り込んでくれて、何も求めずに支えてくれる山城。
それでも、彼は「交際クラブの男」というカテゴリーから、一歩も出ることはない。
…… 山城さんは、外側の人 ……
…… 私の本当の生活に入る人じゃない ……
そういうものだと自分で信じて、自分の二面性を確保していた。
恵美は、その矛盾に気づいていなかった。
いや、気づかないふりをしていたのかもしれない。
もし気づいてしまったら、自分が何をしているのか、正面から向き合わなければならなくなる。
山城を傷つけていることも、母親を裏切っていることも、娘にいつか説明しなければならないことも。
だから、気づかない。
だから、分ける。
だから、「そういうもの」だと信じ続ける。
それが、恵美の生き方だった。
恵美は、スマホを閉じて、ため息をついた。
…… 山城さんは優しい。でも、私の生活には入らない人 ……
そう思いながら、恵美は、静かに目を閉じた。
山城の独白シーン — 同じ夜、自室で
山城も、自分の部屋で一人、ソファに深く沈み込んでいた。
スマホを握りしめたまま、何度もLINEの画面を開いては閉じる。
恵美に送ったメッセージには、おどけたスタンプと一緒に「大好き」「愛しているよ」という言葉が並んでいた。
それが、山城の精一杯の表現だった。
会ったときには、もちろん、ぞっこんの態度は見せる。
彼女の荷物を持ち、ドアを開け、食事を選び、車で送り迎えをする。
だが、言葉では、一度も伝えたことがない。
…… 好きだ、とか……付き合ってほしい、とか、そんなこと、言えるわけがない ……
それは、自分の年齢のことが一番大きかった。
五十八歳と三十一歳。
その差が、どうしても山城に引け目を感じさせる。
恵美は、素直に色々なことを話してくれる。
娘のこと、仕事のこと、母親のこと。
何よりも、身体を許してくれた。
山城のような昭和の男にとって、セックスをしたら、それは「付き合っている」ということだった。
「自分と付き合ってください」などと、改まって言ったことはない。
もちろん、結婚のときには「結婚してください」と言ったことはあるが、それ以外で正式に告白したことなど、一度もなかった。
…… だから、俺たちは、もう付き合ってるんだろう……?
そう信じたかった。
だが、同時に、恵美の素直さが怖かった。
簡単に自分のことを断ってくるのではないか?
「ごめんなさい、そういうつもりじゃなかったんです」
そんなふうに言われるのではないか?
その不安が、山城の中でずっとくすぶっていた。
山城は、女性を崇めてしまう癖がある。
男ばかり四人兄弟の末っ子として育ったせいか、若い頃から女性に対して、どこか特別視するような感覚を持っていた。
女性には、純真な心がある。
自分よりも、ずっと美しいものを持っている。
もちろん、交際クラブという特殊な付き合いで、お小遣いを上げる関係であったとしても、その純真な心は変わっていないと思っている。
…… 恵美は、綺麗だ。心も、身体も ……
何よりも、肌を重ねた人は、他人ではない気がした。
大事にしたい気持ちが、より大きくなる。
会って、言葉を交わせない自分がつらい。
「好きだ」と、なぜ言えないのか。
「俺と一緒にいてほしい」と、なぜ言えないのか。
だが、それでも、そのままの関係を続けたいと、普通に思っていた。
…… このまま、何も変えずに……ずっとこうしていたい ……
山城は、スマホの画面を見つめたまま、静かにため息をついた。
恵美が送ってきた「おやすみなさい」のスタンプに、山城は「おやすみ。また明日ね」と返した。
本当は、「愛してる」と書きたかった。
だが、それを送る勇気は、まだ持てなかった。
画面を閉じて、天井を見上げる。
…… 俺は、何を怖がっているんだろう ……
答えは、分かっていた。
拒絶されることが怖い。
恵美に「それは違います」と言われることが怖い。
自分が、ただの「交際クラブの男」だと確定されることが怖い。
だから、言わない。
だから、このまま、曖昧な関係を続ける。
それ以上のことを踏み込む勇気はなかった




