第20話 家族ごっこ 揺れるシングルマザー
山城は、次第に恵美の「夜」だけでなく、「昼」の顔——私生活を知りたいと思うようになっていった。
その一番の象徴が、子どもと一緒に食事をすることだった。
いつもLINEの文面には、「今日は保育園の迎えが」「寝かしつけでバタバタしてて」など、子どもの話が必ず出てくる。
恵美の頭の中は、いつも娘のことでいっぱいなのだろうと、自然と分かってくる。
…… 負担をかけない形で、会えないだろうか ……
そう考えて、山城はある日、思い切って切り出した。
「もしよかったら……今度は、お子さんも一緒にどうですか。恵美さんのご自宅の近くで、三人でご飯とか」
メッセージを送ってから、しばらく既読がつかない時間が続いた。
ようやく返ってきた返事には、戸惑いがにじんでいた。
「子どもと一緒だと、本当に大変よ?
落ち着いて食事もできないかも……」
それを読んで、山城は、もう一歩踏み込むことにした。
恵美が気にしているのは、きっと「子どもと会う大変さ」だけではない。
お小遣いのこと、つまり「対価」としての時間の使い方も、気にしているはずだ。
山城は、指を止めずに文字を打った。
「エッチがなくてもいいよ。会えれば、それで十分。
お金は、今後は振り込みにしよう」
送信したあと、しばらくスマホを握ったまま、天井を見上げる。
…… 他の女性たちとは、違う付き合い方でいい ……
これまでの相手とは、会って、セックスをして、その場で封筒を渡す——それが当たり前の流れだった。
だが、恵美に対してだけは、その形が、どうしても耐えられなくなっていた。
まるで、「商売として会っている」という印を、自分の手で押しているような気がしたのだ。
彼女に渡すお金は、もう少し別のもの——生活費の一部、支えのようなもの——だと、自分に言い聞かせたかった。
しばらくして、恵美から返信が来る。
「何もしていないのに、お金だけ頂くなんて できないわ」
当然の反応だった。
それでも、山城は、少しだけ強引になった。
「これは、恵美とお子さんが生活していくためのお金だよ。会う、会わないに関係なく、振り込にしよう振込先を教えて」
何度かのやりとりの末、恵美は、ようやく口座情報を送ってきた。
最後には、「本当に、無理はしないでね」と、申し訳なさそうな一文が添えられていた。
山城は、その日のうちに、静かに振り込みを済ませた。
そのうえで、もう一度だけ、丁寧にお願いを重ねる。
「いつかでいいので……お子さんと一緒に、ご飯を食べさせて」
*
初めて、子どもと会う日。
駅前の、子連れでも入りやすいファミレスの前で、山城はソワソワと落ち着かない時間を過ごしていた。
「お待たせしました」
恵美が、ベビーカーを押しながら現れる。
そこには、まだオムツをした、小さな男の子が乗っていた。
「この子が、せいら」
「か、かわいいな」
せいらは、最初、山城を見るなり、恵美の後ろに隠れるようにして顔を背けた。
人見知りらしく、じっとこちらの様子をうかがっている。
店に入り、席に着いても、恵美の腕から離れようとしない。
山城が、おそるおそる手を伸ばして抱っこしようとした瞬間——
「……うわぁぁぁぁぁぁん!!」
店中に響き渡るくらいの大音量で泣き出した。
山城の感覚では、百ホーンくらいの勢いだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
恵美が慌ててあやす。
「いや、俺がびっくりさせたんだろう。大丈夫だよ」
せいらは、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、母親の首にしがみついて離れない。
山城は、抱っこを諦め、少し離れた位置から、ジュースやおもちゃで機嫌を取ろうとした。
「この人形、好きなのか」
「……」
「ほら、これ、かわいいな」
最初は、完全に無視。
だが、二度目、三度目と会ううちに、その距離は少しずつ縮まっていった。
次に会ったときには、恵美の背中に隠れながらも、ちらっと山城の方を見てくる。
三回目には、テーブル越しにスプーンを渡してくれるようになった。
そして、あるとき——
「抱っこ、してもいいか?」
恵美が、「どうする?」とせいらに尋ねると、彼は少し考えてから、小さくうなずいた。
おそるおそる腕を差し出すと、せいらは、予想よりもずっと軽い体重で、その中にすっぽり収まった。
「おお……」
小さな手が、山城のシャツをつかむ。
さっきまで泣き叫んでいた子どもが、今は胸元でじっとしている。
「すごい。最初は、全然ダメだったのに」
恵美が、驚いたように、そしてうれしそうに笑う。
「なあ、せいら。重くないぞ」
そう言いながら、山城は、自分の胸の奥が、じんわりと温かくなるのを感じていた。
…… 俺なんかでも、こういう時間を持てるんだな……
店の窓の外では、相変わらず人や車が忙しなく行き交っている。
その喧騒から切り離された、小さなテーブルの上。
子ども用のプレート、ハンバーグの残り、こぼれたジュース。
恵美とせいら、その隣に自分が座っている光景が、信じられないほど愛おしかった。
山城は、その瞬間、自分が本当に「幸せ」を感じていることに気づいた。
交際クラブで出会った相手と、こんな時間を過ごすとは、想像もしていなかった。
それでも今は、目の前の小さな命の重みが、何よりも心地よかった。




