第18話 『「いいよ、って言って?」小悪魔な彼女に主導権を握られる、至福のタメ口デート』
渋谷のスクランブル交差点を見下ろしながら、山城は、ひと息ついた。
人の波は、ほとんどが二十代、三十代の若者たちだ。
…… やっぱり、渋谷は場違いだな ……
銀座なら、五十八歳の男が若い女性と並んで歩いていても、それほど浮かない。
スーツ姿の中年も多く、客層も落ち着いている。
だが、渋谷のような街で、若い女性と“おじさん”が肩を並べて歩けば、どうしても周囲の視線を意識してしまう。
…… 親子か、パパ活か……そんなふうに見られてるんだろうな ……
そう考えると、胸の奥が少しだけ痛んだ。
その渋谷で、恵美と会う。
人混みの向こうから手を振りながら近づいてくる彼女は、街のネオンよりも目立っていた。
白いブラウスに、揺れるスカート。
若い人たちに紛れても、十分に美しい。
「お待たせしました」
「いや、俺も今来たところだよ」
恵美と並んで歩き出すと、周囲の視線が、どうしても気になった。
彼女が美しければ美しいほど、自分の“老い”が、くっきりと浮かび上がる。
…… 渋谷は、老けた自分を突きつけてくるな ……
食事の店選びも、渋谷では勝手が違った。
若い頃に通っていた喫茶店も、居酒屋も、とっくに姿を変えている。
駅ビルは新しくなり、改札も増え、動線は迷路のようだ。
「このあたりで、ご飯どうですか?」
「お、おう……どこがいいんだろうな」
ガラス張りのカフェや、最新のダイニングバー。
どこも人で埋まり、店内は音楽と話し声で、常にざわついている。
席に着いても、近くに座る恵美の声が、少し耳を澄ませないと聞こえない。
「すみません、もう一回言ってもらっていいですか」
「ふふ、聞こえませんでした?」
「ちょっと、音が大きくてな」
ゆっくり食事を楽しむ、という雰囲気ではない店も多かった。
落ち着いた個室の店を探そうにも、土地勘がなく、スマホで検索しても、店が多すぎて絞りきれない。
そんな中で、恵美は、意外なほど頼もしかった。
母親ということもあるかもしれないが、てきぱきと動く、場合によっては、山城の前を歩き、道を案内する
「次は、私の方で予約しておきますね」
「え?」
「子どもの予定とシッターさんの時間もあるので、場所も時間も、私の方が調整しやすくて」
「それは、助かるけど……悪いな」
「全然。私、こういうの好きなんです」
後日送られてきたLINEには、店のURLと地図が添えられていた。
「ここ、前から行ってみたかったところなんです」と一言そえて。
今まで会ってきた女性たちは、店選びから予約、支払いの段取りまで、全部山城任せだった。
「連れて行ってもらう」のが当たり前で、自分から動くことは少ない。
…… こういうところも、恵美の魅力なんだよな ……
“全部任せっきりにしない”その気遣いが、余計に山城の心を掴んでいった。
*
ホテルの話になったときも、恵美はあっさりと言った。
「高級ホテルじゃなくていいですよ」
「え?」
「私は、ラブホテルで大丈夫です。むしろ、その方が気楽です」
「でも——」
山城は、一瞬、言葉に詰まる。
今までの女性たちには、できるだけ“ちゃんとしたホテル”を用意してきた。
スイートではないにしても、四つ星クラスのシティホテル。
それが自分なりの「礼儀」だと思っていた。
「ベビーシッターさんの時間が、だいたい三時間くらいなんです」
恵美は、淡々と続ける。
「だから、ゆっくりフルコース、というよりは……軽く食べて、早めにホテルに入る方が、現実的で」
「そうか……そうだよな」
食事も、「今日はここでさくっと済ませましょう」と、彼女が提案してくれることが多かった。
長居する店より、移動しやすい場所。
肩ひじ張らないチェーンのイタリアンや、駅近のカフェ。
それを「悪い」とも「寂しい」とも言わず、むしろ前向きに選ぶ姿勢に、山城は何度も救われた。
高い店に連れて行って、格好つけなくていい。
時間と事情を分かったうえで、一緒にいてくれるんだ ―
そう思うと、胸がじんと温かくなる。
会う場所は、自然と渋谷が多くなった。
また、会話も
「敬語やめていいですか? ちょっと苦手で」
と小悪魔っぽい笑顔で言われて
「いいですよ」
と山城が答えると、「ふふふ・・・それ、」と山城の口を指さして
「いいよって言って」
と言われた。山城は照れながら「そうか」と答えた
彼女の家から近く、ベビーシッターの時間にも間に合う。
「渋谷、苦手ね?」
ある日、恵美が笑いながら言った。
「なんで分かる」
「表情で分かるよ~。改札出るとき、毎回ちょっと迷ってる」
「最近の渋谷駅は、迷路みたいなんだよ」
駅は改装され、通路は立体的に入り組み、出口も増えている。
若い頃に知っていた渋谷とは、まるで別の街だ。
銀座なら、どこに何があるか、身体で覚えている。
取引先との会食も多く、馴染みの店も多い。
だが渋谷は、若者の街。
すれ違うのは、スニーカーにパーカー、カップルにグループ。
そこを、若い女性と中年の男が並んで歩くと、どうしても自分だけが“古い”存在に見えてしまう。
…… 若作りの服を買ったところで、ごまかしきれないな ……
恵美に会うようになってから、山城は、少しでもマシに見えるようにと、カジュアルな服を選ぶようになった。
ジャケットも、ネクタイもやめて、シャツにジャケット、スニーカー。
店員に勧められるまま、若いブランドの服を試したこともある。
だが、鏡の中の自分を見れば、すぐに現実に戻る。
…… 俺がどんな人間かくらい、自分が一番よく分かってる ……
五十八歳、地方の中小警備会社の社長。
渋谷の街に紛れ込んだところで、年齢も、人生も、そう簡単にごまかせない。
それでも——
スクランブル交差点を渡りながら、隣で笑う恵美の横顔を見ると、そんな劣等感さえ、一瞬だけどこかに消えていくのだった。




