第17話 『「実は、2歳の子がいます」彼女からの衝撃のメッセージと、山城の覚悟』
その日は、恵美と別れ際にLINEを交換した。
エレベーター前でスマホを取り出し、QRコードを読み込む。
「じゃあ、また連絡しますね」
「はい、ぜひ」
本当は、その場で「好きです」とでも言ってしまいたいくらいだった。
恵美は、優しく、確かに好意を持って接してくれたように見えた。
そして何より、山城は、完全にぞっこんだった。
その気持ちを隠しきる自信は、全くなかった。
駅に向かう途中、ホームに立ちながらも、何度も何度もLINEの画面を開いては閉じる。
プロフィールに並ぶ小さなアイコンの顔写真を見ているだけで、頬がゆるむ。
…… やばいな、俺 ……
武骨さが取り柄だったはずの五十八歳の男が、わかりやすく浮かれていた。
電車の中でも、スマホを握りしめたまま、ついメッセージ画面を開いてしまう。
まだ何も来ていないことは分かりきっているのに、それでも確認せずにはいられない。
*
家に帰り着くと、まずしたのは風呂でも晩酌でもなく、交際クラブの担当・加藤へのメッセージだった。
「今日はありがとうございました。最初に川島さんを紹介してくれて、本当に感謝しています」
送信ボタンを押してから、自分で苦笑する。
…… どこまで本気なんだ、俺は ……
それでも、感謝を伝えずにはいられなかった。
ソファに沈み込み、スマホを胸に置いたまま、天井を見上げる。
ふと震えたバイブレーションに、山城は飛び起きた。
画面には、「川島恵美」の名前。
「今日はありがとうございました。とても楽しかったです。
それと、実はお伝えしておきたいことがあります」
続けて、メッセージが届く。
「私は、2歳になる女の子がいます。母親です。
仕事はしていますが、やはり生活があり、交際クラブに何度か登録しています。
そのため、なかなか時間が取れないことも多いです」
メッセージを読み終えたとき、山城は、しばらくスマホを持ったまま動けなかった。
…… 子どもが……いるのか ……
驚きはあったが、不思議と嫌な感情はわいてこなかった。
むしろ、まっすぐに打ち明けてくれたことが、うれしかった。
山城は、すぐに返信を打ち始める。
「お子さんがいらっしゃること、了解しました。
お仕事に子育て、本当に大変ですね。
もしよければ、今度は恵美さんのご自宅の近くで、お食事しましょう。
少しでも負担が少ない方がいいと思います」
送信したあとで、山城は眉間にしわを寄せた。
…… もっと、気の利いたこと言えなかったか ……
「大変ですね」も、「負担が少ない方がいい」も、どこか教科書的だ。
本当は、もっと踏み込んで「支えたい」と言いたかったが、さすがにそこまで書く勇気はなかった。
*
翌日。
会社に出ても、朝から落ち着かない。
デスクの上には、見慣れた書類の山。
警備員のシフト表、取引先からの見積り依頼、現場からの報告書。
いつもなら無言でさばいていく山城が、その日はやけにスマホをチラチラ見ていた。
「社長、さっきからスマホよく見てますね」
通りがかりの若い社員が冗談めかして言う。
「何だ、株価でもそんなに気になるんですか」
「うるさい。仕事しろ」
表情はいつものぶっきらぼうだが、内心、図星をつかれてドキッとしている。
……まさか、“交際クラブで知り合った女性からのLINE待ちです”なんて言えるか ……
午前中の会議中も、机の端に伏せて置いたスマホが気になって仕方がない。
振動したような気がしてチラリと見るが、何も来ていない。
空耳だった、ということが何度も続いた。
会議が終わり、社員が部屋を出ていく。
一人になった瞬間、山城は素早くスマホを開いた。
——そのとき、ようやくLINEの通知が入る。
「返信が遅くなってすみません。
昨日は、本当にありがとうございました。
子どものこと、受け止めてくださって、うれしかったです。
自宅近くでのお食事の件も、ありがたいです。
また日程、相談させてくださいね」
それを読み終えた瞬間、口元が勝手にゆるんだ。
…… よかった ……
ガラス窓に映る自分の顔が、ニタニタしているのを見て、慌てて咳払いをする。
社長室のドアがノックされる音がして、山城は慌ててスマホを伏せた。
「失礼します。社長、さっきの見積りの件で——」
「おう、そこ置いとけ」
「……なんか、機嫌いいですね」
「そうか?」
「はい。珍しいくらいに」
社員が首をかしげて出ていくと、山城は思わず、ひとりで苦笑した。
…… そんなに顔に出てるのか、俺は ……
昼休み。
弁当をつつきながらも、山城は考えていた。
…… 写真、欲しいな ……
人生で「女性に写真をねだった」ことなど、一度もなかった。
それでも、今の気持ちは、何か形にして手元に置いておきたかった。
散々迷った末、ついにメッセージを打つ。
「もしよろしければ……恵美さんのお写真、一枚いただけませんか。
お守りにしたいので」
送信ボタンを押したあと、後悔が押し寄せる。
…… お守りって何だよ……五十八にもなって。気持ち悪く思われないか ……
午後の打合せの最中も、頭の半分はそのことばかり考えていた。
部下が説明している資料にうなずきながら、別の場所で「既読」がつくのを待っている。
打合せが終わり、デスクに戻ると——
スマホの画面に、小さな「1」の通知。
手のひらが一瞬、汗ばむ。
「お守りだなんて、そんなふうに言っていただけて、うれしいです」
「変な顔じゃなければいいんですけど……」
そう添えられて、笑顔のスタンプと一緒に、写真が送られてきていた。
画面の中の恵美は、柔らかく笑っていた。
昨日ホテルで会ったときと同じ、あの穏やかな笑顔。
「……可愛いな」
思わず声に出してしまい、自分でハッとする。
周りを見渡すと、事務所の若い社員が、ちらりとこちらを見ていた。
「社長、今、なんか言いました?」
「何も言ってない。仕事しろ」
「はいはい……でも、さっきからニヤニヤしてますよ」
山城は、咳払いをして、わざと書類をパラパラとめくる仕草をしてみせる。
だが、手元の紙の文字は、ほとんど頭に入ってこない。
…… 完全に、周りが見えなくなってるな ……
それでも、スマホをスリープにしてはすぐ解除し、何度も同じ写真を見返してしまう。
少しうつむき加減の横顔、笑ったときの目尻の皺、控えめなメイク。
見れば見るほど、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「子どもがいること、大丈夫ですか?」
先ほどのメッセージの一文が、頭の中で何度もリフレインする。
山城は、画面を見つめながら、ゆっくりと心の中で答えた。
―…… 大丈夫どころか……それも含めて、全部好きになってしまいそうだ ……
社長席で、一人ニタニタする五十八歳。
武骨な警備会社の社長が、高校生のように浮かれていることに、社内の誰もまだ気づいていなかった——少なくとも、本人はそう信じていた。




