第15話 『「理想そのもの」の女性が交際クラブに再登録』
みどりと別れてから、一ヶ月ほど経った頃だった。
山城のスマホに、交際クラブの加藤からメッセージが入った。
「山城さん。以前ご指名いただいた川島恵美さんが、再登録されました」
その名前を見た瞬間、胸がどきっとした。
え……あの女性が、戻ってきた?
川島恵美。
山城が、たくさんのプロフィール写真の中から迷わず選んだ女性だ。
人気がありすぎて、すぐ別の男性の紹介が決まり、そのまま退会してしまったと聞いていた。
「本当に残念そうでしたよね、あの時」
電話越しに、加藤が笑う。
「だから、今回は他の男性にはまだ紹介してません。真っ先にご連絡しました」
「……本当ですか?」
「もちろん。本当に気に入ってらっしゃいましたからね、山城さん」
交際クラブの写真は、いかにも“プロっぽい”ものが多い。
スタジオ撮影のようなライティング、ビキニ姿、決まりきったポーズ。
芸能事務所やキャバクラ、最近ならインスタグラマーも多く、素人なのか玄人なのか分からない写真がいくらでも並んでいる。
その中で、恵美の写真だけは、少し違っていた。
友達と一緒に写っている写真が多く、友達の顔にはモザイクがかかっているものの、日常の空気がそのまま切り取られている。
加工は一枚もなかった。
明るく、品があって、友達にもすぐ好かれそうな笑顔。
そして、とにかく可愛い。見れば見るほど、綺麗だった。
…… こんな人、本当にいるのか ……
ほとんど一目惚れに近かった。
その彼女が「復帰する」と聞かされて、理由なんてどうでもいいと思った。
…… 理由は関係ない。とにかく、会ってみたい ……
交際クラブにハマりつつ、「そろそろやめた方がいいんじゃないか」と自分に言い聞かせていた、その矢先だ。
加藤から送られてきたLINEの写真を見た瞬間、理性よりも先に、指が動いていた。
「加藤さん。すぐに会いたいです。スケジュール、送ります」
山城は、自分の予定表を開き、できるだけ早い日程をいくつか並べて送信した。
他の男に取られる前に、少しでも早く会いたかった。
ほどなくして、加藤から返信が来る。
「今、先方に確認中です。少々お待ちください」
数分後。
「5月17日の夕方、いかがでしょうか? 先方、その日なら結婚式の帰りで時間が取れるそうです」
「結婚式の帰り?」
「ご友人の結婚式だそうです。ドレス姿になると思いますが、大丈夫ですか?」
「むしろ、ありがたいくらいです」
山城は思わず笑ってしまった。
当日。
山城は、ホテルのレストランを予約していた。
ドレスでも、違和感のない場所だ。
待ち合わせのロビーに現れた恵美を見て、山城は息を呑んだ。
「……」
写真の印象、そのままだった。
いや、実物の方が、もっと温かみがある。
「初めまして、川島です」
恵美は、少しはにかみながら頭を下げた。
「山城です。今日は、ありがとうございます」
声は落ち着いていて、柔らかい。
派手さはないが、品があって、どこか安心させる雰囲気をまとっていた。
「すみません、こんな格好で」
恵美が、自分のドレスの裾をつまんで苦笑いする。
「友達の結婚式があって……その帰りなんです」
「いえ、とてもお似合いですよ。今日はホテルのレストランなので、ちょうど良かったです」
「そう言ってもらえると、安心します」
席について、メニューを開きながら、山城は改めて彼女を眺めた。
清楚で、品があって、目元は優しい。
プロフィールには「川島恵美 三十一歳」「元看護師・現在はパート勤務」とあった。
…… 本当に、理想的だな ……
会話の仕方も、ごく普通だ。
どこにでもいそうな、誰とでもすぐ仲良くなれそうな女性。
それなのに、顔立ちはとびきり整っていて、誰が見ても「可愛い」「綺麗」と言うだろう。嫌いになる要素が見当たらない。
ふと、山城は口をついて出た。
「芸能人だと、誰に似てるって言われますか?」
「え?」
恵美が、目を丸くする。
「そんな、たいした顔じゃないですよ」
「いや、絶対言われてるでしょう。学生時代とか、職場とか」
「うーん……昔、ちょっとだけ言われたことはありますけど……恥ずかしいので内緒です」
恵美は、照れたように笑った。
その笑顔を見ただけで、胸がきゅっとなる。
…… 言えないな “俺のど真ん中です” なんて ……
本当は、会った瞬間からずっとそう思っている。
五十八にもなって、一目惚れなんて、と思っていたのに。
今の自分は、ほとんど高校生のようだ。
やがて、話題は過去の結婚に及んだ。
「そういえば、プロフィールに“バツイチ”って」
山城は、少し申し訳なさそうに切り出した。
「失礼だったら、ごめんなさい。僕も離婚していて……」
自分の離婚のことを先に話す。
聞かれてもいないのに、理由まで、簡単に。
そうすれば、彼女も少しは話しやすくなるかもしれないと思った。
恵美は、グラスを指先でなぞりながら、ぽつりと言った。
「……DVです」
「DV?」
「はい」
恵美は、軽く拳を握り、「えいっ」と殴る真似をしてみせる。
半分笑いながらだったが、その笑顔の裏に、重い時間があったことはすぐ分かった。
「言葉の暴力も、物理的なのも、両方ですね。結婚式は、なんとかコロナ禍でやったんですけど……二年くらいで終わりました」
「……大変でしたね」
「まあ、今は笑って話せるから、まだマシです」
そう言いながらも、その目の奥には、かすかな影が残っている。
「離婚したあと、どうしても生活があって……それで、クラブに登録しました」
「そうだったんですね」
「前は、クラブで知り合った方と、しばらくお付き合いしてたんですけど……その人が海外赴任になっちゃって。それで、一度やめたんです」
恵美は、ナプキンをいじりながら続ける。
「でも、また誰かと会えたらいいなと思って……思い切って再登録しました」
「そうだったんですか」
山城は、彼女の言葉の一つ一つを、大事に噛みしめるように聞いた。
話し方も、ちょっとした気遣いも、本当に可愛らしい。
…… 今までの女性たちと、何かが違う ……
普通の生活感があって、普通に働いて、普通に悩んでいる。
それでも、とびきり可愛い。
五十八の男が、こんなふうに心を持っていかれるなんて——
…… 本当に、やばいな ……
そう思わずにはいられなかった。
<第二話 ベッドイン>
恵美と食事を終えると、そのままの流れで、自然にホテルの部屋へ向かうことになった。
エレベーターに乗り込むとき、恵美は小さく笑って、山城の横顔をちらりと見上げた。
「……緊張してます?」
「そう見えますか」
「少しだけ」
ドアが閉まる音とともに、二人だけの静かな空間になる。
階数を示す数字がゆっくりと変わっていく間、会話は途切れていたが、不思議と居心地の悪さはなかった。
部屋に入り、ドアのロックが閉まる。
恵美は、ヒールを脱ぎながら、くるりと振り返った。
「結婚式は、受付していて立ちっぱなしだったから、ちょっと足が楽になりました」
「大変でしたね」
「でも、楽しかったです」
そう言って微笑む顔が、テーブルランプの柔らかい光に照らされて、少しだけ幼く見えた。
山城は、彼女の上着を受け取り、ハンガーに掛ける。
「……座ってください」
「はい」
ソファに腰掛けた恵美のドレスの裾が、ふわりと広がる。
さっきまでレストランで見ていたはずなのに、二人きりの部屋で見るその姿は、まるで別物のようだった。
しばらく他愛もない話を交わし、グラスの中身が少し減った頃。
恵美が、ふと真面目な表情になって、山城を見つめた。
「……あの」
「はい」
「こういう関係って、久しぶりなんです」
「そうなんですか」
「だから、ちょっとだけ、緊張してて」
指先でグラスの縁をなぞりながら、恵美は照れたように笑った。
「でも、山城さんは、なんか……大丈夫そう、っていうか」
「大丈夫そう?」
「乱暴とか、絶対しなさそうだから、安心しました」
「そんなことできませんよ」
山城が笑うと、恵美もほっとしたように笑い返す。
やがて、そっと肩に触れ、軽く抱き寄せると、恵美の身体が一瞬だけこわばって、それからゆっくりと力を抜いた。
唇を重ねると、彼女は目を閉じ、小さく息を飲む。
…… そこから先は、言葉よりも、指先と呼吸が会話を続けた。……




