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交際クラブの男 ~会員番号の3618~  山城誠四郎  作者: 山城誠四郎
第二章 ハイスペックの女 みどり編
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第14話 みどりとの別れ

二人が事を終え、ベッドに横たわったあとも、部屋にはしばらく、湿った吐息だけが漂っていた。


 外では雨が、窓ガラスを一定のリズムで叩いている。


 山城は天井を見つめたまま、しばらく黙っていた。 やがて、意を決したように小さく息を吸う。


「……みどり」


「ん?」


 タオルケットを胸元まで引き寄せ、半分うとうとしながら返事をしたみどりが、山城の声の調子に何かを感じ取ったのか、ゆっくりと上体を起こした。


「どうしたの、せいちゃん。そんな真面目な声出して」


 冗談めかして笑おうとした口元が、すぐに強ばる。 山城の目が、いつもよりずっと真剣だったからだ。


「……少し、話がある」


「話?」


 みどりは、胸元のタオルケットを握りしめたまま、じっと彼を見た。


 五十八歳の男の瞳には、疲れと、決意と、どうしようもない優しさがないまぜになっていた。


「……俺たち、もう、ここまでにしようと思う」


 時間が止まったようだった。


「……え?」


 ようやく絞り出した声は、かすれていた。


「ど、どういう……」


「金の話じゃない」


 山城はゆっくりと言葉を選ぶように続けた。


「これからいくら出すとか、そういう問題じゃない。そういう次元の話じゃないんだ」


「じゃあ、何の話? 私、何かした?」


 みどりの声に焦りが混じる。 山城は首を横に振った。


「お前は何も悪くない。……ただな」


 一拍置いて、言葉を絞り出す。


「俺とお前は、合わない。生き方が、根本的に違う」


 みどりは唇を震わせた。


「そんな……いきなり、何それ。合わないって、今さら……」


「今さらだよな」


 山城は、自嘲気味に笑った。


「でもな、ずっと思ってた。俺はそもそも、夜遊びが好きな人間じゃない。銀座が性に合ってるわけでもない。お前のためにやってきたけど、根っこは変わらない」


「私は、知ってたよ。せいちゃんが、銀座とかあんまり好きじゃないの」


 みどりは、タオルケットを握る指に力を込める。


「でも、それでも来てくれてたじゃん。カウンセリングも出してくれて、話も聞いてくれて……それって、そういうことでしょ?」


「そういうこと……って?」


「私のこと、嫌いじゃないってことでしょ」


「嫌いなわけないだろ」


 即答だった。 みどりの瞳に、一瞬だけ安堵が灯る。


 だが、次の言葉が、その灯りをすぐに揺らした。


「でもな、俺がやってきたのは、同情と心配だ。親みたいな気持ちに近い。お前を『自分の女』として囲いたいからやってきたわけじゃない」


「……そんなの、わかってるよ」


 みどりは視線を逸らした。


「でも、せいちゃんがいなかったら、私、たぶんどっかで死んでた。ほんとに」


「死なせたくなかったから、俺は金を出した。それが俺のできることだった」


 山城は、ゆっくりとベッドの縁に腰掛け直す。


「ただな……」


 少しだけ声が低くなる。


「俺が欲しいのは、『長く遊べる人』じゃない。『長く一緒にいられる人』なんだ」


 みどりは、はっとして彼を見た。


「長く、一緒に……?」


「家で飯作って、一緒にテレビ見て、たまに近所を散歩して、そういう生活だ。派手じゃねぇけど、落ち着いた時間だよ」


「……それ、私じゃダメってこと?」


 山城は、答えを急がなかった。 それ自体が、答えになっていた。


「お前はさ」


 静かに言う。


「銀座にいる方が、心が安定してる。仕事としても、性格としても、あそこが合ってる。客に囲まれて、笑って、飲んで、たまに弱音吐いて……そうやって生きるのが、お前のリズムなんだ」


 みどりは、下唇を噛んだ。


「せいちゃんは?」


「俺は逆だ。夜は、見張る側の人間だ。何かが起きないように動くのが、俺の生き方だ。みんなが酔っ払ってる裏で、火事や事故が起きないかを気にしてる方が、性に合ってる」


「そんなの、最初から知ってたよ」


「知ってて、一緒にいた。……でも、それが、そろそろ限界なんだと思う」


「限界って、何の?」


「世界の違いを誤魔化して一緒にいるのに、限界が来てるってことだ」


 みどりの目から、じわりと涙がにじむ。


「やだ……やだよ、そんなの」


 子どものような声だった。


「せいちゃん、私のこと助けてくれたじゃん。カウンセリングも続けてるし、前より全然マシになったよ。夜の仕事だって、前みたいに壊れながらやってるわけじゃない。せいちゃんが見つけてくれた道を、ちゃんと歩けるようになってきたとこだよ?」


「だからこそ、だ」


 山城の声が、少しだけ強くなった。


「お前はもう、一人で歩ける。俺にしがみついてないと立ってられない時期は、過ぎた。カウンセラーもいるし、店だって、支えてくれる人間は山ほどいる」


「でも……」


 みどりは、ぽつりと言った。


「じゃあ、私、誰とエッチすればいいの?」


 山城は、思わず目を瞬かせた。


「……は?」


「だって」


 みどりはタオルケットをぎゅっと抱きしめる。


「せいちゃんがいなくなったら、私、怖いんですけど。お店のお客さんとは、そういうことできない。怖い。体が固まっちゃう。……でも、せいちゃんとだったら、少しずつ平気になってきてた。女の子になれるの」


 あまりにまっすぐな言葉に、山城は胸の奥を掴まれたような痛みを覚えた。


「……だから、余計にダメなんだ」


「なんで?」


「そこまで頼られると、俺がいないとダメな女のままになっちまう」


 山城は、拳を膝の上で握りしめた。


「いつか、お前が本当に信頼できる奴が現れたとき、その相手と向き合えるようになるのが、一番いい。そのときまで、無理して誰かと寝る必要なんてない」


「でも、今は?」


「今は……」


 山城は目を閉じ、一度、深く息を吸った。


「今は、俺がここにいたらいけない時期なんだと思う」


「なんで、そんな言い方するの」


 みどりの声が震える。


「私が、銀座で楽しそうにしてるから? 他の男にチヤホヤされてるから? 嫌になった?」


「違う」


 即座に否定した。


「むしろ、嬉しかった。自分以外の誰かの金でドレス買ってもらって、指名もらって、笑ってるお前を見るのが、俺は好きだった」


「じゃあ、なんで……」


「問題は、俺だ」


 短く言い切る。


「俺の生き方と、お前の生き方が、根っこで噛み合ってない。その事実から目を逸らして、お前の隣に居続けたら、それは、俺のわがままになる」


 山城は枕元に置いておいた封筒を取り、ベッドサイドにそっと置いた。


「これは今月分と、少し先の分。カウンセリングも、あと半年分はもう払ってある」


「……お金で終わりってこと?」


 みどりの声には、怒りとも悲しみともつかない色が混じっていた。


「金で繋がった関係なんだから、最後くらい金でケジメつけるのが筋だと思ってる」


「そんなの、やだよ」


 みどりは首を振った。


「私、最初はそうだったかもしれないけど……今は違うもん。せいちゃんがいると、安心するんだよ。家族みたいな、なんか変な感じ。お父さんとも違うし、彼氏とも違うけど……」


「それが一番厄介なんだよ」


 山城は苦笑した。


「家族でもなく、彼氏でもなく、ただの『安心』だけを提供してる五十八のオッサンなんてな、長く付き合えば付き合うほど、重石みたいになる」


「重石なんかじゃない!」


 みどりは、ほとんど叫ぶように言った。


「私、せいちゃんと一緒にいると、自分を嫌いにならなくて済むんだよ。銀座でちやほやされてるときの自分も、カウンセリングで泣いてる自分も、ぜんぶまとめて『いいじゃん』って言ってもらえてる気がするの」


「……それは、お前自身が強くなったからだ」


「違う!」


 涙が、ぼろぼろと頬を伝う。


「強くなれたのは、せいちゃんがいたからだよ。私ね、本当は、銀座で飲み歩くのも怖いんだよ。笑ってるけど、怖いよ。いつ裏切られるか、いつ捨てられるか。だから、終わったあとにせいちゃんのところに来て、『今日も生きて帰れました』って報告してるみたいな気持ちだったの」


 山城は、目を伏せた。


「……そんな風に思わせてたなら、尚更、今言わなきゃいけない」


「何を?」


「お前と俺は、やっぱり、生きる世界が違うってことだ」


 言いながら、自分の胸にも突き刺さる言葉だった。


「それは葛藤とか、迷いとかの話じゃない。生き方の問題だ。俺はそれだけは、ぶれない。お前が銀座で生きることを選ぶなら、俺は、その外側からしか応援できない」


「外側って、どこ?」


「お前のLINEの履歴の、どこか端っこの方。たまに『大丈夫か』って送るくらいの位置だよ」


「そんなの、意味ないじゃん……」


 みどりは、膝を抱えてうずくまった。


「私、どうやって、この先、ベッド入ればいいの。客とは怖くてできない。誰か新しい人となんて、もっと怖い。せいちゃんがいなくなったら、私の身体、また固まるよ」


 山城は、ゆっくりとみどりの髪に手を伸ばし、そっと撫でた。


「……怖くていい」


「え?」


「怖いままでいい。無理に慣れる必要はない。お前が本当に『この人なら』と思える相手が現れるまで、そのままでいい」


「そんな人、本当に現れるの?」


「現れるさ。お前みたいに、傷だらけなのに笑える奴を放っとく馬鹿ばっかりじゃない」


 みどりは、しゃくり上げながら首を振る。


「私、信じられないよ……」


「信じられなくていい。今はな」


 山城は、ベッドから立ち上がった。


「でも、俺がここで『じゃあ、俺が一生そばにいてやるよ』って言ったら、それこそお前の人生を縛ることになる。銀座から引きずり出して、俺のペースに合わせろって言うのと同じだ」


「そんなこと、誰も……」


「俺が、嫌なんだよ」


 山城の声が、低く、はっきりと響いた。


「俺は俺の世界で、生きていく。お前は、お前の世界で生きろ。それが、お互い一番ちゃんと生きられる道だと思ってる」


 みどりは、涙でぐしゃぐしゃになった顔で、山城を見上げた。


「……せいちゃん」


「なんだ」


「ありがとうって、今は言えない」


「言わなくていい」


 山城は、シャツに腕を通しながら、短く答えた。


「いつか、どっかのカウンターで、『あのとき別れてくれてよかった』って笑ってくれたら、それで十分だ」


 靴を履き、ドアノブに手をかける。 外では、雨音が一段と強くなっていた。


 ふと振り返ると、みどりがベッドの上で膝を抱え、小さく震えながらこちらを見ていた。


「せいちゃん……」


 か細い声に、山城はほんの一瞬だけ迷い、そして、ごく微かに口元を緩めた。


「……みどり。お前に会えて、良かった」


 それだけ言って、ドアを静かに閉めた。


 廊下に出ると、空調の乾いた風が肌を撫でた。 山城は、深く、長い息を吐く。


 胸は、焼けるように痛かった。 それでも、どこかで、細い糸が一本だけ、静かに切れたような感覚があった。


 エレベーターの鏡に映る自分の顔は、ひどく疲れていた。 だがその目の奥には、わずかながら、覚悟の色も宿っている。


(これでいい)


(これで終わりだ)


 小さく心の中で繰り返す。


 エレベーターが静かに降りていくあいだも、外の雨は止む気配を見せなかった。

第2章まで読んでいただきありがとうございます

第1章、第2章共にもちろん精一杯描いておりますが、基本的に第3章の序章として描いています

是非、第3章を期待してください


こうしてお一人お一人に物語を読んでいただけることが、書き手にとって何より幸せな時間です。

連載は土日祝祭日を除き毎日更新でお届けしてまいります。

続きを共に見届けてくださる方は、ブックマークしていただけますと幸甚です。

皆様の足跡が、次の物語を紡ぐ確かな支えになります。

よろしくお願い申し上げます

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