第11話 みどりの独り言
みどりは山城の腕の中に身を委ねたまま、目を閉じていた。
山城の心臓の音が、ゆっくりと規則正しく聞こえてくる。
彼女は、ほとんど息も立てずに、心の中でだけ、誰にも聞こえない独り言を零した。
(……せいちゃんに言ったことは、本当のことだよ。全部、本当だった……)
みどりは唇をぎゅっと結んだ。
(強姦されたんだ。あの時……大学三年の飲み会の後、先輩に無理やりホテルに連れて行かれて。殴られたり、叫ばれたり、派手な暴力はなかったけど、強引に犯された。『お前が誘ったんだろ』って笑いながら、髪の毛を引っ張られて床に倒されて……体を押さえつけられて、動けなくて……)
胸の奥で、吐き気が蘇るような感覚が一瞬よぎった。
(それ以来、エッチする時はいつも吐き気がする。エッチするのは自分が上に乗らないとできない。息ができなくなる。上から男に見下ろされるだけで、あの時の記憶がフラッシュバックして……頭の中が真っ白になる。せいちゃんが優しくて、強引じゃなくて、途中で気遣ってくれたから、少しだけ我慢できたけど……本当は、ずっと『早く終わって』って思ってた)
みどりは、山城の胸に額を少し強く押しつけた。
(私は元々、男を利用する女だったよ。かわいい顔と身体があれば、金も、服も、夜の遊びも、手に入るって知ってた。でも、あの事件以来……男にはお金しか求められなくなった)
彼女の心の声は、そこで少し震えた。
(男に金を使わせると、すごく落ち着くようになった。ううん、落ち着くって言い方だけじゃ足りない。少しだけ、勝ったみたいな気持ちになる。私にお金を使わない男を見ると、腹が立つ。この人も結局、私を安く見てるんだって思ってしまう)
(お金を使わせると、あの時、何もできなかった自分が、今度は相手を動かしてるって思える。身体は我慢してる。でも、お金っていう形で何かが残ると、ただ消費されたわけじゃないって思える。それで、やっと息ができる気がする)
(変だよね。普通の女の子は、好きな人に抱かれて、うれしいとか、幸せとか思うのかもしれない。でも私は、そこでうまく満たされない。身体の快感じゃなくて、相手が私のために動いているって感覚の方が、安心に近い)
みどりは、山城の温もりを感じながら、心の中でさらに続けた。
(最初は、ご飯を奢ってもらうだけで十分だった。でも、どんどんエスカレートしていった。ドレス三十万、シャンパン五十万、店での売上百万。数字が大きくなるほど、安心する。"私はこれだけの価値がある女なんだ"って思える。でも、帰り道で急に冷める時もある。何してるんだろう、私、って)
(でも、それって、依存だよね。相手の気持ちとか、優しさとか、そういうものを見る前に、"いくら使ってくれるか"で測ってしまう。せいちゃんが優しくしてくれても、頭のどこかで、この優しさはどこまで続くんだろう、いくらまでなら私のために動いてくれるんだろうって考えてる)
(最低だよね。自分でも分かってる。でも、やめられない。やめたら、また、あの時みたいに、ただ消費される側になっちゃう気がして怖い。だから試す。試して、使わせて、安心して、あとで自分が嫌になる)
みどりは、小さく息を吐いた。
(せいちゃんは、優しい。本当に優しい。だから、ちょっとだけ本当のことを話してみた。でも、全部は言えなかった。使わせてる時、安心するだけじゃない。少し気持ちいい。あ、今は私が負けてないって思える。そんなことまで言ったら、絶対に引かれる。だから、"安心する"って言い方にした。それも本当だけど、全部じゃない)
(私、せいちゃんのこと、好きなのかな? 分かんない。好きっていう感情が、もうよく分かんない。ただ、一緒にいると安心するのは本当。でも、それが恋なのか、依存なのか、ビジネスなのか……全部混ざっちゃってて、境界線が見えない)
(たぶん、せいちゃんも気づいてると思う。私が、お金目当てだって。でも、それでも優しくしてくれる。それが、余計に分かんなくさせる。本当に私のこと心配してくれてるのか、それとも、若い女と遊びたいだけなのか)
(どっちでもいいのかな。結局、私も、せいちゃんにお金使ってもらえればそれでいいんだから。でも、ちょっとだけ、ちょっとだけ……本当に大事にされたいって思ってる自分もいる。矛盾してるよね)
みどりは、山城の体温に包まれながら、静かに涙を流した。
その涙は、山城の胸元のシャツに、小さな染みを作った。
(ごめんね、せいちゃん。私、ずるい女だよ。本当のこと言ってるけど、全部は言ってない。傷ついてるのは本当だけど、それを利用してるのも本当。守ってほしいけど、お金も欲しい。両方欲しいなんて、図々しいよね)
(でも、せいちゃんといると、少しだけ、普通の女の子みたいになれる気がする。お金のことばっかり考えなくても、ちょっとだけ、人として大事にされてる気がする。それが、嬉しいんだよ)
(だから、もうちょっとだけ、このままでいたい。せいちゃんが気づいて、離れていくまで。それまでは、このぬくもりに、甘えさせてほしい)
みどりは、そっと目を閉じた。
山城の心臓の音が、耳の奥で響いている。
規則正しくて、温かくて、安心する音。
(ありがとう、せいちゃん。今日は、少しだけ、楽になった気がする)
その言葉を、声には出さず、心の中でだけ呟いて、みどりは静かに眠りに落ちていった。
翌朝、山城はまだ薄暗い寝室で目を覚ました。
別荘の窓の外は、夜明け前の青い光に包まれていた。雨は上がっていたが、木々の葉にはまだ水滴が残っているのだろう。風が吹くたび、かすかな雫の音がした。
みどりは背中を向けて眠っていた。
昨夜、あれほど自分の奥にしまっていたものを吐き出したせいか、その寝姿はいつもより幼く、無防備に見えた。肩から背中にかけての線は細く、けれど腰へ流れる輪郭には女らしい柔らかさがあった。
山城はしばらく、その背中を見つめていた。
そして、起こさないように、そっと腕を伸ばした。




