第六話 初めての共闘
昨夜の任務から一夜が明けた。
今日もまた、甘いものを摂取するべく、いつものカフェへと向かっていた。
店先に到着し、店内に足を踏み入れた瞬間、優絃はほんのわずかに眉を顰めた。
それは、ほんのわずかな違和感。
いつもと変わらない、昼下がりの空気。
見慣れた風景のはずなのにーー。
(……いない?)
視線が、自然と店内を一巡する。
窓際。
カウンター。
ホール。
レジの奥。
ーー玖我山詩花。
店内のどこにも、あの姿はなかった。
そわそわと落ち着かない気持ちで、メニュー表を軽く眺めて。
注文を取りに来た店員に、注文を取ってもらいながら何気なく訊ねる。
「……あの人、今日いないの」
「あの人、ですか?」
「くが……えと、この時間いつもいる黒髪の……」
「あぁ、もしかして玖我山さんですか?」
素直に認めるのが気恥ずかしくて、小さく頷いてみせる。
すると店員が、困ったように眉尻を下げて答えた。
「今日はまだ来てないんです。遅刻や早退の連絡もないらしくて……。普段、そんなことしない子だから、みんな心配してます」
「……ふーん」
頬杖をついて、興味なさげに返す。
それ以上の会話は特になく、店員はレジの奥へと戻って行った。
優絃はただ、何をするでもなく頬杖をついて、窓の外を眺め続ける。
道ゆく人の中に、黒髪や白い衣服がないか、無意識に探している自分に気づいて。
意識を正すように、首を横に振る。
(……関係ない)
そもそも、今日はあの過干渉から解放されるのだから、喜ばしいことのはずだ。
久々に一人でティータイムが楽しめる、と気持ちを切り替えて、また外を眺める。
そうして待っていると、注文したスイーツたちが次々と運ばれてきた。
テーブルいっぱいに並べられた様を見つつも、視線はやっぱり店内に向いてしまう。
(……やっぱり、いないな)
ナイフとフォークでパンケーキをひと口。
咀嚼しつつ、チラリと時間を見る。
昼時の少し混みだす時間帯。
いつもなら、この時間には確実にいるはず。
それなのにーー。
(……おかしい)
胸の奥で、何かが引っかかる。
(表の顔は、作り込んだみたいに完璧だったあの女が、無断欠勤なんてするか?)
もしかしてーー何かに巻き込まれている?
そう思って、思考を巡らせようとした。
そのときだった。
ーーガンッ。
壁の向こうから、何かがぶつかるようなかすかな音がした。
普通の人間なら、聞き逃すレベルの微細な音。けれど、殺し屋としての察知能力に長けた自分にとっては、違和感のある音だった。
(……今の音は)
視線が、自然と入り口へ向く。
少しだけ迷って、本当はゆっくり味わって食べたいスイーツたちを、勢いよくかきこんだ。
すべてを平らげて、スッと立ち上がる。
「……お会計、お願いします」
さっと会計を済ませて、そのまま店を出る。
カラン、と鈴が鳴って、扉が閉まる。
と同時に、肌に感じる空気が変わった。
人の往来が激しい昼間のはずなのに、空気が妙に張り詰めている。
(……何かが起きてる気配がある)
ぐっと、意識を集中させて、耳を澄ます。
まず周囲のざわめきが耳に入って、さらに意識を研ぎ澄ませていく。
その中に、かすかに違和感が混ざる。
ーー金属音。
ーー複数の足音。
ーー何かがぶつかる、鈍い衝撃音。
(……やっぱり)
足が、音のする方へ自然と動いていた。
建物の影を縫うようにして、路地裏へと滑り込む。壁に身を寄せ、そっと奥を覗き込んだ。
その瞬間ーー。
「……は?」
目に飛び込んできた光景に、思わず掠れた声が漏れた。
薄暗く狭い路地裏の、その中心で。
ーー玖我山詩花が、ナイフを手に立っている。
そして、彼女を取り囲むように群がる、複数の人影もあった。
各々に、ナイフや銃を手にしている。
(……なんなの、あの数)
一人や、二人じゃない。
三、四ーーいや、それ以上。
明確な殺意を向けて、睨み合っている。
「おら、とにかく囲め!」
「逃がすな! 賞金首だぞ!」
荒々しく飛び交う声と慌ただしい足音。
その隙間に聞こえた単語に、優絃は首を傾げた。
(……賞金首? あいつが?)
視線が、自然と詩花へ向く。
うっすらと見える横顔。そこには、いつも浮かべている微笑みはない。
代わりにあるのは、極限まで研ぎ澄まされた殺意とーーほんのわずかな焦り。
(……いつもと、様子が)
怪訝に思ったーー刹那。
彼女の手に持つナイフが、瞬時に閃く。
すれ違いざまに一人を斬り伏せ、間髪入れずに次の攻撃を捌く。
動きは相変わらず速い。
狙いも正確だ。
けれどーー完璧じゃない。
呼吸のわずかな乱れ。
ほんの一瞬の、隙。
そして、その圧倒的な人数差が、そのまま圧になって彼女へと押し寄せている。
完全に、分が悪い。
(……なんであんなに狙われてんの、あいつ)
思えば、初めて出会ったあの夜もそうだった。自分以外にも、彼女を狙う奴がいて。
そして今、複数の刺客を差し向けられている。
そうまでして、彼女を狙う理由は?
理由も原因も、まったく分からない。
眉を顰めて、彼女の動向を追っていた。
そのときだった。
「っ……!」
背後から、別の男が詩花へと斬りかかっていくのが見えた。
彼女からは、完全に死角となる位置。
その気配に、気付いている様子はない。
「……くっ」
ホルスターから銃を抜いて、震える指先を引き金にかける。
ここで撃てば、彼女は助かる。
撃たなければ……死ぬ。
けれど、力が入らない。
(……関係、ないじゃん)
玖我山詩花は、ターゲットだ。
むしろ、ここで死ねば都合がいい。
関わりたくないと思ったはずだろ、と。
このまま見捨ててしまえ、と。
頭の奥で、囁くような声が聞こえる。
それなのにーー
その声をかき消すように、脳裏に、あの声が蘇る。
『……そんな選択をして、生きていられるなんて』
……うるさい。
ぎり、と奥歯を噛みしめる。
(……放っておけるわけ、ない)
そう思った、次の瞬間。
優絃は、迷わず引き金を引いていた。
音のない銃弾が、乾いた衝撃だけを残してまっすぐに飛んでいく。
それは寸分の狂いもなく、詩花へ斬りかかろうとしていた男の首筋を撃ち抜いてーー。
「が、ぁっ……!」
男の身体がびくりと震え、そのまま力を失って、顔面から地面に倒れ伏した。
ほんの一瞬、周囲に静寂が走ってーー。
「っ……狙撃⁉︎ 誰だ!」
仲間が倒れたことに慌てた男たちが、一斉に周囲を見回し始める。
焦りと緊張の入り混じったざわめきが、辺りに広がっていく。
その隙を狙って、さらにもう一発。
襲撃者を探すことに夢中になっていた男の膝が折れ、その場に倒れ込む。
「っ……そこか‼︎」
ーービュンッ!
鋭い声と同時に、投げナイフが飛んできた。
(ちっ……さすがに射線でバレるか)
咄嗟に、壁を蹴って回避。すぐそばを刃が掠め、背後のコンクリートに突き刺さる。
トッ、と地面に着地した瞬間、視線がぶつかった。
こちらを見ている詩花の目が、驚きに見開かれていた。
「なんだお前! 邪魔するんじゃねぇ!」
彼女へ声をかける前に、別の男が叫び声をあげながら突っ込んでくる。
その突進を身体をひねってかわし、そのまま背後へ滑り込む。
首後ろの神経に、銃口を押し当てて、
ーー撃つ。
大きく痙攣した体が、崩れ落ちた。
薄暗い路地裏に、緊張感が走る。
その隙に、優絃はそのまま男たちの波に踏み込み、強張ったままの詩花の隣に並んだ。
「……あなた、どうして」
「……勘違いしないでよ」
詩花の言葉を遮るように、銃を構える。
「別に、助けようとしたわけじゃないし」
言葉を返しつつ、視線を滑らせるだけで敵の位置を測る。
「ほら、来るよ」
「っ……はい」
言葉はそれだけ。
それだけなのにーー
次の瞬間、二人は同時に動いていた。
優絃が銃を構えると、詩花が前に出た。
ナイフが宙を走り、無駄のない軌道で敵の動きを止めにかかる。
滑るように動く彼女の隙間を縫うように、優絃が銃弾を放つ。
詩花は敵だけを見ながらも、優絃の射線を塞がない位置を瞬時に探って動く。
優絃はそれを前提に、迷いなく引き金を引いてサポートをした。
二人の間に言葉はない。
合図すらもない。
それでも、最初から戦い方を知っていたかのように、二人の動きは噛み合っていた。
(……なんで、こんなにやりやすいの)
考えるより先に、体が動く。
撃つ。
かわす。
刻む。
無力化する。
ひたすらに繰り返し、確実に敵の数を減らしていく。
そのとき、ふと、視界の端で赤が滲んだ。
詩花の白い二の腕。
そこに、細く流れる血と切り傷が見えた。
決して軽くはない怪我のはず。
それなのに、彼女は一切表情を変えなかった。血が滴っているのに、まるで他人事みたいに動いていて。
まるで痛みなんて感じていないかのように、ただ淡々と敵を捌いていく。
(……こいつ、まさか怪我に気付いてない?)
一瞬、背筋が冷える。
けれど次の瞬間には、自身のそばまで迫り来ていた男の膝を、片手間で撃ち抜いた。
やがてーー最後の一人が崩れ落ちる。
どさり、と倒れ込む音が周囲に反響して、ゆっくりと静寂が戻ってくる。
二人分の呼吸音だけがこだまする空間。
少しの間、お互いその場に立ち尽くして。
突然足音が聞こえたと思えば、詩花が、ゆっくりとナイフを持ち直しながら倒れた男の一人へと歩み寄っていた。
その目は、冷たく研ぎ澄まされていてーー。
「おいこら、やるな」
その横顔に、思わず声をかけていた。
瞬間、詩花の動きがぴたりと止まる。
そのまま、こちらを振り返ってきた。
じっと見つめてくる、試すような鋭い視線。
数秒の沈黙のあと、スッ、とナイフが下ろされた。
(……あ、言うこと聞くんだ)
無視して殺るかと思った、と内心ヒヤリとした自分に苦笑する。
はぁ、とため息をついた優絃に向かって、詩花が数歩歩み寄ってきた。
彼女は小さく首を傾げ、何か思案するような仕草を見せる。
「あの」
「なに」
「……助けた理由を、聞いても?」
「特にない」
「……え?」
間髪入れずに言い放たれた回答に、詩花はきょとんとした顔をした。
優絃はふっと、目を逸らして続ける。
「……や。あんたは、あたしのターゲットだし」
銃をホルスターに戻しつつ、ほんの少しだけ気恥ずかしそうに頬をかいた。
「他に取られたくなかった、っていうか……」
言葉を選ぶように、わずかに思案したあとーー。
「あいつらが、なんか邪魔だっただけ」
「……そうですか」
たった一言。
けれどその声は、どこか柔らかかった。
その声に釣られるように、ちらりと盗み見たその表情に、思わず息が詰まる。
見えたその表情はーー
戦闘中には、一度も見せなかった顔だった。
穏やかで、どこか無防備で、柔らかくて。
ほんの一瞬だけ、心臓が跳ねた。
(……なんなの、その顔)
湧き上がった不思議な感覚に蓋をしながら、優絃はふいっと目を逸らした。
その視線の先。倒れ伏した男たちの山が見えた瞬間、跳ねていた心臓がスッと冷えた。
(……こいつらの処理、どうしよ)
男たちを見下ろしながら、げんなりする。
咄嗟に割って入ったはいいものの、後処理のことを何も考えていなかった。
とりあえず、ジュジュに連絡するかーー
そう考えたとき、ふいに脳裏をよぎった。
『……そんな選択をして、生きていられるなんて』
あの表情と声が、目の前にいる彼女の姿に重なってーー鮮明に思い出された。
優絃は考える間もなく、口を開いていた。
「……ねぇ」
「はい、なんですか?」
首を傾げて見つめてくる詩花の顔は、やっぱりどこか穏やかで。
少し迷って、それでも口を開いた。
「……あんた、なんで狙われてんの?」
刹那ーー空気が、止まった。
それでも、構わずに言葉を続ける。
「あたしと初めて会った日も。今も。そもそも、あたしもあんたを狙う側だし」
もしかしたら、殺されるかもしれない。
そんな恐怖も滲んだけれど、それでも立ち止まることなく問いかけ続ける。
「人を殺すのに慣れてる点以外は、普通の人でしょーーあんた」
沈黙が、薄暗い路地裏を包む。
遠くから聞こえる車の走行音が、やけに大きく響いてくる。
さっきまでの戦闘が嘘みたいに、この場所が、ひどく静かに感じられた。
ごくり、と優絃が息を呑んだーーそのとき。
「……さぁ」
詩花が、ふっと伏し目がちに笑った。
「……どうして、でしょうね」
その声は、冷たかった。
何かを諦めたような、温度を一切持たない響きがあって、優絃はハッと彼女を見つめた。
「……わたしが、教えて欲しいくらいですよ」
「え?」
「……いえ、なんでもありません」
そう呟いて顔を上げた詩花は、笑っていた。
けれど、その青い瞳の奥はーー
少しも笑っていなかった。
むしろ、彼女自身の大切な何かが壊れてしまっているようにすら見えた。
(……また、なんでそんな顔をーー)
そんな違和感だけが、妙に胸に引っかかった。




