第五話 ターゲットとの関係
詩花が去った後も、優絃はしばらくその場に立ち尽くしていた。
頭上を照らす月明かりが静かに降りてくる。
それを忌々しげに睨みつけながら、優絃は小さくため息をついた。
(……なんなの、あいつ)
今回の玖我山詩花。
そんな彼女と初めて相対してから、もう半月以上が経っている。
それなのに、いまだに依頼は完遂できていない。
こんなにも手をこまねく相手は、初めてだった。
(……ほんと、やりづらい)
はぁ、とため息をこぼして、足元に視線を落としたーーそのとき。
「珍しいねぇ」
背後から、飄々とした声が聞こえた。
「任務が終わっても、そんなとこで突っ立ってるなんて」
ハッとして、思わず振り返る。
そこには、さっき電話をかけた仕事仲間ーージュジュが立っていた。
ポケットに片手を突っ込み、もう片方の手をひらひらと振っている。
「どうした? 珍しくミスでもした?」
「……してない」
吐き捨てるように、すぐに返す。
ミスなんて、するはずがない。
「ふーん」
対するジュジュは、小さく肩をすくめながら、倒れ伏したターゲットへと歩み寄った。
意識の完全消失を確認している彼女の姿を、じっと見つめる。
「ねぇ、ジュジュ」
「ん?」
どうした? と首を傾げながらこちらを振り返ったその顔を見て、言葉が詰まる。
「……いや、なんでもない」
「えー、なんか変じゃない? やっぱ、なんかあったんじゃないの?」
「……なんもない。ただ疲れただけ」
あながち嘘ではない。
詩花の相手をすると、どうしても疲れる。
掴みどころがなくて、マイペースで、こちらを振り回してくるあの感じ。
身体的にはもちろんだけれど、それ以上に精神的に参ってくるのが本音だ。
「よっこいせ、っと」
そんな優絃のモヤモヤをよそに、軽い掛け声とともに、ジュジュがターゲットを肩に担ぎ上げる。
小柄な体躯からは想像もできないパワーに、毎度のことながら感動を覚える。
「今回も綺麗にやったなぁ」
苦笑しながら、ジュジュが足元を見た。
その言葉通り、この場には何もない。
ここで起きていたはずの"非日常"の気配も痕跡も、今はもうどこにもない。
「相変わらず、殺さないんだね」
ふとこぼされた、何気ない一言。
優絃の視線が、チラリとジュジュに向く。
「……ウチのことも殺さなかったしさ」
「っ……」
優絃は、かすかに息を呑んだ。
突然何を言い出すつもりか、と彼女から続けられるであろう言葉を待つ。
数秒の間があって、言葉が続いた。
「普通なら、ウチもとっくに死んでた側だし」
へらり、と笑ったジュジュと目が合う。
「お陰さまで、こうして職まで手に入れて、今ものほほんと生きてるけどさ」
「……別に」
反射的に、短く吐き捨てる。
「殺す必要がないだけ。あんたも、その人も」
「その態度も相変わらずだねぇ」
くすくすと笑いながら、ジュジュがこちらに背を向けた。
「じゃ、ターゲットも回収したし。今回の仕事は終わりってことで」
空いた手を軽く振ってから、そのまま立ち去ろうとする小さな背中。
いつもなら、「お疲れ」と声をかけて、そのまま解散するはずだった。
ーーそれなのに。
なぜか、視界に映るその背中に、さっきの詩花の背中が重なって見えた。
『……そんな選択をして、生きていられるなんて』
あの声が、耳の奥にこびりついて離れない。
ふとした瞬間に、何度も脳内に流れ込んでくるこの言葉に導かれるように、勝手に口が動いていた。
「……待って」
「うん?」
あまりにも弱々しい声だったけれど、ジュジュの耳にはちゃんと届いていたらしい。
彼女は不思議そうに、こちらを振り返った。
「どうした?」
「えっと……」
咄嗟に声をかけてしまったけれど、この後どうするかを何も考えていなかった。
思わず、言い淀んでしまう。
眉根を寄せつつ、少しだけ言葉を選んでから、優絃は口を開いた。
「あのさ」
「うん」
「玖我山詩花、って奴……調べてよ」
「……はい?」
ジュジュが、あんぐりと口を開けて、ぱちぱちと目を瞬かせた。
「それ、半月前に殺しの依頼されたターゲットじゃない?」
「……そう」
「回収依頼なかなか来ないなーと思ってたら、まだやってないの?」
「……うっさい。いいから調べて」
「ふぅん」
ジュジュが、意味深にニヤリと笑う。
嫌な予感がして、睨み返してやる。
「……なに」
「いや? ターゲットに興味持つって、なんか珍しくない?」
「……別に、興味ないから」
間髪入れずに否定する。
興味なんてない。
ただ、このモヤモヤを解消したいだけだ。
「詮索しなくていいから、とりあえず調べて」
「はいはい。分かりましたよっと」
ニヤニヤと笑いながら、ジュジュは今度こそ背を向けて歩き出した。
その背中を見送りながらも、優絃の脳裏には、詩花の姿がチラついた。
初めて見た、戸惑いの色。
わずかに揺れた瞳と、掠れた声。
(……別に、気になってなんかないし)
ちっ、と舌打ちがこぼれる。
それを誤魔化すように、苛立ちに任せて、塀に拳を打ちつけた。
ドッ! と鈍い衝撃が、拳に走った。
「っ……」
痛みに、思わず顔を顰める。
拳に伝わる感覚が、今置かれた状況が現実であると突きつけてくる。
「……せめて夢であってよ、ばか」
ため息を小さく吐き出してーー
優絃は、重い足取りで夜の街へと歩き出した。




