第四話 冷たい観察者
行きつけのカフェで詩花と再開してから、数日が経過していた。
店に行くたび、エプロンを身につけて仕事をこなしている彼女の姿が目に入るようになり、一段と落ち着かない。
しかも、やたらと目が合う。
(ほんとに観察してんじゃん……)
お客の注文を取ったり、商品を運んだりする合間に、こちらを見て微笑んだり。
たまに、笑顔で手を振ってくる始末で。
殺し屋とターゲットの関係性なはずなのに。
あまりの緊張感のなさに、ほとほと呆れ返る毎日を過ごしていた。
そんなある日の夜更け。
黒パーカーを羽織った優絃は、駅から少し外れた通り中にある狭い路地裏にいた。
右手には愛用の銃。
その顔つきは鋭く、ピリッとした空気を纏っている。
(……そろそろ、来るはず)
少しじめっとした路地裏から、人通りのほとんどない表通りを睨むように見つめる。
スッと息を詰めたーーそのとき。
遠目に、ターゲットが歩いてきているのが見えた。皺ひとつない、キチッとしたスーツを見に纏ったくたびれた様子の中年の男性。
ぎゅ、と銃を握りしめた。
「……ターゲット、確認」
息を殺して、ターゲットの動向を見る。
目の前を通過していったのが確認できると、すぐに路地裏を出て、背後をとった。
常にターゲットの死角をつきながら、一定距離をキープし続ける。
流れるようなその展開構築に、無駄は一切ない。足音は寸分のズレもなく、ターゲットの歩調と重なる。
二つほど角を曲がった先。人の気配が完全に消え、ターゲットと二人きりになった。
その瞬間ーー。
カチャリ、と。
引き金に、冷えた指をかけた。
ターゲットとの距離は、わずか数メートル。
優絃の愛用する銃の射程圏内だった。
(……位置はこのまま。狙いもいつも通り)
銃口をターゲットへと向けて。
いつも通り、"急所を外す"位置を狙い定める。
「……あんたの人生は、ここで終わりだよ」
スッと、短く息を吸った。瞬間、指先に力を込めて、引き金を振り絞る。
銃先につけられたサイレンサーが作動して、無音の銃弾が、銃口から発射された。
その弾は寸分の狂いもなく、まっすぐに夜闇を切り裂くように軌跡を描きーー。
バシュッ!
急所であるターゲットの首から少し外れた位置ーー神経を、的確に撃ち抜いた。
「っが……⁉︎」
息の詰まったような、苦しげな息が漏れた。
と同時に、ターゲットの体が激しく痙攣し、大きく揺れる。
脈が飛んだように呼吸が乱れて。
そしてーー。
どさり、と。
力を失ったその体が、地面へと倒れ込んだ。
傍目から見れば、ターゲットが"死んでしまった"ように映る光景。
シン、とした静寂の中。優絃は、銃をホルスターにしまいながら、ターゲットに歩み寄る。
「……」
倒れ伏した姿を見下ろして、片足で軽く蹴るようにして体を揺する。
その体は、ぴくりとも動かない。
完全に意識を失っているようだ。
(……終わり)
ポケットからスマホを取り出し、いつもの仕事仲間に連絡を入れる。
数コール後に、繋がった。
「任務完了。いつもみたいによろ」
『相変わらず雑な指示だねぇ』
電話の向こうから、やれやれと肩をすくめたような飄々とした声がする。
けれど、それを気にせず言葉を続ける。
「座標は今、メッセで送ったから。んじゃ」
『ちょ! だから雑だって言っ……』
ぷつり、と通話を切る。
その直後、座標を送ったメッセージに『了解』と返事が届いた。
小さく頷きつつ、優絃は視線を足元へと落とした。
そこには、意識を消失したターゲットがいて、優絃の胸が、チクリと痛んだ。
「……ごめん」
ぽつりと、謝罪の言葉を落とす。
掠れるほどの声だったけれど、音のない静寂な夜には鮮明に響いた。
優絃は再度、口を開こうとした。
けれど、出しかけた言葉を呑み込んだ。
「……」
この後は、マスターに依頼完遂報告をあげて、次の依頼をもらってーー。
と、今後の動きについて脳内で整理しつつ、ターゲットに背を向けて。
そのまま、この場から歩き去ろうとした。
そのときだった。
「なるほど」
静寂の中に、艶のある声が響いた。
「っ……⁉︎」
咄嗟に、背後を振り返る。
その視線の先ーー。
「やはりあなたは、人を殺さないんですね」
淡い月明かりを背に受けて、にこやかな微笑みを携えた詩花がーーそこに立っていた。
「……見てたの、あんた」
キッと睨みつけながら、低く吐き捨てる。
それでも、詩花の表情は変わらない。
「はい、最初から最後まで」
鋭く、冷ややかに。
「すべて」
そして淡々と、事実だけを並べる声が響く。
「観察する、と言いましたし」
(……確かに、言ってたけど)
彼女の言葉を受けて、思わず視線を落とす。
その手元に、いつものナイフは……ない。
ほんの少しだけ安堵している自分に、吐き気がしてくる。
(……ほんとに、見てただけじゃん)
「急所、外していましたね」
「っ……!」
ハッと、顔を上げた瞬間ーー
まっすぐな視線が優絃を刺した。
「死角をついての尾行も、正確でした」
指折り数えるように、詩花が続ける。
「急所を外しての無力化も、完璧です」
褒められているらしいけれど、少しも嬉しさを感じないのが不思議だった。
「確かにあなたは、ちゃんと殺し屋の技術を持っているみたいですね」
何の評価だよ、と内心で悪態をつく。
文句の一つや二つ、言いたくなった。
けれど。
「……勝手に分析すんな」
苛立ちをぐっと押し殺して、言葉を返した。
「……てか、たまたまだし」
「いいえ」
間髪入れずに、否定の言葉が飛んできた。
思わず、ピクッと肩が震えてしまう。
「意図的です」
迷うことなく、断言する声だった。
まるで、人を殺せない自分のことを、断罪するかのような圧を感じた。
「あなたは、"最初から殺す気がない"」
「っ……」
喉の奥で、言葉が詰まる。
脳裏にいろいろな反論の言葉がよぎるけれど、それを押し込めて。
代わりに、小さく舌打ちをこぼした。
「……だからなに」
吐き捨てるように返す、と。
「先ほどの電話から考えるに……」
うーん、と考える素振りを見せてから、
「生かしたまま、逃がしているのでしょう?」
「っ……」
秘密裏に行っているやり口が、あっさりと見抜かれた。ドキリと、心臓が跳ねる。
(こいつ……ほんと、どこまでも)
ぎり、と奥歯を噛み締める。
優絃の空気が張り詰めても、詩花にはまったく関係がないようでーー。
「あなたは、わたしのターゲット」
一歩、詰められた。
「そして、わたしもあなたのターゲットです」
さらに一歩、距離が縮まる。
「それなのに、わたしを殺そうとしない」
「……っ」
悪意なく投げかけられる言葉に、体がわずかに強張りはじめる。
彼女のこれまでの行動上、今回のこの尋問まがいな会話も、単なる興味でしかないと分かってはいる。
けれど、優絃にはその一言一言が重かった。
「非効率です」
ぴしゃりと、一言。
「殺す方が、早い。確実です」
それは、正論。
彼女の言い分は、正しい。
殺し屋を名乗っているのに、人を殺せない自分の方がどうかしていると。
頭では、分かっている。
「……それでも、だよ」
掠れた声で、呟く。
人の命はーー奪えない、奪わない。
"あの日"に、そう決めたから。
ぐっと、拳を握りしめたーーそのとき。
「……理解、できません」
詩花の目が、わずかに見開かれた。
これまでの笑顔は鳴りをひそめ、その表情が明らかに揺れたのが分かって。
「……そんな選択をして、生きていられるなんて」
ほんの一瞬だけ、声が震えた気がした。
「……え?」
「……なんでもありません」
かと思うと、すぐにいつもの冷たさへと戻っていた。目の奥にも、あの鋭さがあって。
(……今の、気のせい?)
考え込むように眉を顰めると、詩花はくるりと、こちらに背を向けた。
「もう少し、観察させてもらいますね」
それだけを残して、こちらの返答を待つこともなく、夜の闇に溶けていった。
途端に、周囲に静寂が戻ってきた。
「……勝手にしろ」
ふん、と。
吐き捨てるように言って、大きく息を吐く。
けれど、耳の奥にこびりついて離れないーー
『……そんな選択をして、生きていられるなんて』
あの、震えるように吐き出された言葉。
頭を振ってかき消そうとしても、何度も何度も、脳内でリフレインする。
(なんだよ、それ)
人を平気で殺すような奴なのに。
(……なんで、あんな顔で)
ほんの少し、伏し目がちに。
(……あんな、震える声で)
どこか、何かを諦めたような顔で、悲しげに呟かれたあの言葉と声にーー
胸が締め付けられる思いがした。




