第三話 昨日の敵は今日の――?
ぼんやりとした頭で自宅へと帰ってきた。
ドアを閉めた瞬間、全身の力が抜けていく。
「……はぁ」
そのまま背中を預けて、ずるずると床に座り込む。手に持った銃が、やけに重く感じた。
(……意味わかんないんだけど、あいつ)
白い少女の顔が、脳裏に焼き付いて離れない。
いつも通り、撃てばいいだけだった。
撃って、無力化して、終わらせれば良かった。
ただ、それだけなのに――。
「……はぁ」
もう一度、ため息を吐く。
足を引き摺るようにしてリビングへ。
何もかもが面倒くさくなって、銃をテーブルに放り投げた。
ガチャン、と静かな空間に音が響く。
上着だけを脱ぎ捨てて、そのままベッドに倒れ込んだ。
(……とりあえず、一旦寝よ)
勝手に巡り出す思考を切り捨てるように、硬く目を閉じた。
眠気は案外、すぐにやってきてくれた。
そのことに、ほんの少し救われた気がした。
そのまま一度も目を覚まさず、翌日になった。
カーテンの隙間から覗く朝日に目を細めつつ、ベッドから降りる。
「……よし」
軽くシャワーを浴びて、身支度を整える。
昨日のことは、意図的に考えないようにして。
代わりに、脳内に浮かぶのはやっぱり――。
(今日も甘いの、食べに行こ!)
近々、別の案件の話が来ている。
その前に、気分転換をしておきたいと思った優絃は、今日も今日とてカフェに向かった。
ほぼ毎日通っている道を歩いて、見慣れすぎたカフェへと辿り着く。
カラン、と鈴の音を響かせながら入店して、いつものように窓際の席に腰を下ろした。
店員呼び出しボタンを押して、
「えっと……これと、これと。あ、あとこれと、これもお願いします。全部ホイップ増しで」
気付けば、昨日よりも明らかに多い量を注文していた。
しばらくして、運ばれてきたスイーツを前にした優絃は満足げに頷く。
「よし。糖分補給スタート!」
スプーンを手に取り、パフェのクリームをひとくち。
ふわっと広がる甘さに、思わず目を細めた。
(……あー、うま)
二口、三口と食べ進める。
けれどーー。
(……ん、なにこの感じ)
ふと、手が止まる。
甘さは十分すぎるほどある。
見た目も味もいい。
それなのに、どこか落ち着かない。
(……気のせい、か)
切り替えるように首を振って、もうひとくちを頬張った――そのときだった。
「いかがなさいましたか?」
聞き覚えのある声が、すぐそばで響いた。
「……ん、ぐ」
スプーンを口に咥えたまま、反射的に顔を上げる。
そこに立っていたのは――。
「……は?」
カラン、とスプーンがテーブルに落ちる音がやけに響いた。
優絃の視界いっぱいに見えたのは、清潔感のある白いシャツと黒いエプロン。
そして、見覚えしかない顔。
――ターゲットであるあの少女が、
にこりと営業スマイルを浮かべていた。
ぴしり、と思考が止まる。
そして――。
「なんでいんの⁉︎」
大爆発を起こした。
「ここ、わたしの職場なので」
大声を気にしない様子で、さらりと返される。
少しも崩れない、完璧な笑顔。
けれど、その奥に何かがある――と、優絃の鋭い直感が教えてくれる。
ぞわり、と背筋が冷えた。
「昨日あんなことしといて、普通に話しかけてくるあんたの神経どうなってんの⁉︎」
「だって仕事ですもの。何か問題でも?」
「大アリだから!」
テンポよく返されて、思わず声が荒くなる。
そのまま睨みつけるが、彼女はまったく気にした様子もなく首を傾げた。
「ったく……なんで普通にやり取りして……」
そうぼやいた、そのとき。
ふと、優絃の視線がテーブルに落ちる。
食べかけの、スイーツたち。
なんの疑いもなく、食べていたけれど。
(……これ)
落ちかけた首が、ぴたりと止まる。
(毒とか……入ってないよね?)
無意識に、喉が鳴った。
その一瞬の沈黙を、汲み取ったのか。
「さすがに、職場で殺しはしませんよ?」
「ちょっ‼︎」
ガタン、と身を乗り出す。
あまりの勢いに、椅子が倒れそうになった。
「普通に言うな、その単語‼︎」
「? 事実ですし」
「人の心無いんか‼︎」
ぐったりと肩を落とす。
天然なのか、確信犯なのか。
もう、会話が成立しているのかすら怪しい。
「それで、ご注文はいかがなさいますか?」
「……いや、呼んでないけど」
「それで、ご注文はいかがなさいますか?」
「だから、呼んでな――」
「それで、ご注文はいかがなさいますか?」
「それしか言えんのか」
「それで、ご注文は――」
「だー! もう、分かったから!」
これとこれ! と半ばヤケクソ気味に答えると、少女は「かしこまりました」と自然なスマイルを見せて去っていった。
結局、断れずに追加を頼んでしまったが。
(マジでなんなんだよ、あいつ……)
腑に落ちないまま、運ばれてくるのを待つ。
悶々と考え事をしながら、窓の外を見つめてしばらく。
「お待たせいたしました」
少女が、皿を持って戻ってきた。
店員である証のエプロンを外した状態で。
「はい、ご注文の品です」
「あ、うん……」
受け取った、その直後。
スッと、向かいの席に腰を下ろした。
「ちょ、なに……⁉︎」
「はい?」
「なに座ってんの!」
「わたしもこれから休憩なので。せっかくなら、ご一緒しようかと」
「いやいやなんでよ!」
「休憩なので?」
「そうじゃなくて!」
本当に、話が通じない。
(拒否ってるって気付けよ)
内心で悪態をつく。けれど、最後までこちらの意図は、彼女には伝わらなくて。
完全に諦めて、優絃はストローを咥えた。
追加で注文したメロンソーダを、ひとくち。
その瞬間――。
「そういえば」
「……」
「どうして殺さないんですか?」
「ぶふぁ⁉︎」
盛大に噴き出した。
テーブルの上に、緑の炭酸が飛び散る。
「わぁ、噴水みたい」
「げほっ……! ここでその話する⁉︎」
「お客、ほとんどいませんし」
「そういう問題じゃないわ‼︎」
はぁはぁ、と肩で息をする。
本気で頭が痛い。
少女自身が働く職場なはずなのに、躊躇なく振られる危険な話題に、同席している優絃の胃に穴が空きそうだった。
スルーしたいのに、ひとくち食べる毎に声をかけてくる少女に、渋々相手をして。
気付けば、彼女の皿が空になっていた。
「……そろそろ時間ですね」
少女が音も立てずに立ち上がる。
自分の食べた食器を持ちながら、ふと何かを思い出したように口を開いた。
「あ、そうそう」
「……なに。まだなんかあんの」
「はい。わたし、玖我山詩花です」
「……え?」
(なんで……今? というか)
「なんで名乗った?」
優絃の疑問に、薄く微笑み返して。
少女――詩花は、あの冷たい目を携えて、優絃をまっすぐに見つめて言った。
「殺し屋なのに人を殺さないあなたのことを、しばらく観察させていただきますね」
スッと、短く息を吸った音がして。
その直後――。
「――守永優絃さん?」
ドクン、と。
心臓が、ほんの一瞬だけ止まった。
「……は?」
理解が追いつかない。
今、名前を呼ばれた。
名乗った記憶のない相手に――。
「いや怖い怖い怖い怖い‼︎」
店内であることを忘れ、思わず叫ぶ。
血の気が引いていく思いがした。
それを見た詩花は、くすりと微笑んだ。
「それでは、また」
何事もなかったかのように、店の奥へと戻っていく背中。
その場に残されたのは――。
「……は、?」
身動きひとつ取れない自分だけ。
(てか、マジなんで名前バレてんの)
意味が分からない。
すべてが分からない。
せっかく気に入っていたこのカフェ。
今この瞬間、本気で、今後この店に来るのをやめようかと思った。
そのはずなのに。
翌朝には――。
「……行くか」
気づけば、同じカフェの前に立っていた。
(いや、違うし)
扉から目を逸らして、自分に言い聞かせる。
(ただ、ここのスイーツが食べたいだけだし)
それだけ。
本当に、ただそれだけの理由で扉を開ける。
それでも、店内に踏み入れようとした足が、わずかに止まる。
「っ……」
胸の奥に、わずかに滲む感情にだけは――
気づかないふりをしておいた。




