第二十二話 それでも守る
『その優しさは、凶器なんです』
『これ以上……その凶器で、わたしを傷つけないでください』
彼女の吐露した言葉が、脳裏で反響する。
それでも優絃は――踏み出した。
止まる気なんて、なかった。
一歩、また一歩と、彼女へ距離を詰める。
距離が縮まるたび、壁に背を預けている詩花の肩が、びくりと揺れた。
「……来ないで」
掠れて、ほとんど消えかかった声が、かすかに聞こえた。それでも、優絃は止まらない。
「……優しさが凶器?」
詩花の言葉を、繰り返すように言う。
「……知ってるよ、そんなの」
「っ……」
「あたしにだって、痛いほどよく分かってる」
優絃の返答に息を呑んだ詩花の瞳が、わずかに揺れる。
「っ……だったら――」
「でもさ」
言いかけた言葉を、意志を持って遮る。
「だから……」
さらに一歩、詰める。
「握るんじゃないの?」
「……え?」
詩花が、反論の言葉を失う。
揺れていた目が、じわじわと見開かれていく。
「誰かを傷つけるための凶器なら、いらない」
手にしていた銃を、一瞥して――。
でも、と。
一度だけ、息を吸い直してから。
「守るためなら――握る」
空気が、冷たく張りつめたのが分かった。
「優しさを凶器だって言うのなら、その使い方くらい……自分で決める」
優絃は、まっすぐに詩花を見据えたまま、さらに言葉を続ける。
その先に続く言葉は、本来――。
「……あたしはあの日から――父さんと母さんを亡くしたあの日からずっと、そうやって生きてきたから」
誰にも、話すつもりがなかった過去だった。
でも、詩花のことだけを聞いて、自分だけ話さないのはフェアじゃないと思ったから。
「あたしを守って――死んだんだよ」
わずかに、視線を落とす。
「交通事故で、あたしを守って死んだ二人の"優しさ"が、あたしにとっての凶器になってた」
「二人の分も生きなきゃいけないって。もらった優しさに報いなきゃいけないって。そればっかりが、頭を巡って……だから」
ぐっと、銃を握りしめた。
「あたしは――人を殺せないんだ」
「っ……」
「二人の優しさに救われたはずなのに、それが次第に――あたしを縛る凶器になってたんだ」
路地の暗がりに、力ない声が落ちる。
「けど、あんたに出会って気付かされたよ」
一瞬だけ、呼吸が詰まる。
息が詰まりそうになる。
それでも、言葉だけは止めない。
優絃は、顔を上げた。
「……凶器は」
その表情にはもう――一切の迷いはない。
「使い方次第なんだって」
詩花の青い瞳が、大きく揺れる。
「傷つけるだけが凶器じゃない」
その場を動けない詩花に、さらに歩み寄る。
「凶器でだって――人を守ることはできるんだって」
だから、と。
優絃がそっと、目を細めた瞬間――
そよ風が、二人の間を通り抜けた。
「あたしは、何度でも言う」
大地を、しっかりと踏みしめて――。
「あんたを――守る」
「っ……」
息を呑む音が、はっきりと聞こえて。
詩花の身体が、ぐらりと揺れた。
その足が、頼りなく震えている。
視線が、うまく定まらないらしい。
まるで、迷子になった子供のように、不安げな表情で見上げてくる。
「わ、たし……は……」
浅い呼吸のまま、言葉がうまく出てこない。
その先の言葉に迷っているのか。
優絃は、先導も誘導もしない。歩み寄る代わりに、ただ静かに、手を伸ばした。
触れないギリギリの距離で、動きを止める。
「もう二度と、勝手に調べたりしない」
だから、と。
ただ、自分にできる最大級の微笑みを浮かべて、彼女をまっすぐに見つめた。
「今度はあんたの口から、いろんなことを教えてよ。あたし、なんだって聞きたい」
「……なんで」
詩花が、かすかに呟く。
視線がゆっくりと、優絃の手に落ちる。
「そこまでして……」
消え入りそうなその問いに、優絃は、やんわりと目を細めた。
胸の奥に、浮かんできた答え。
きっと、もうずっと前から分かっていた。
それを――
「あたしは――」
口にしかけた、その瞬間。
「っ……⁉︎」
静かなはずの路地裏に、違和感が走った。
空気が、わずかに揺れる気配。
「っ……伏せて!」
瞬時に、鋭い声を走らせる。
それを聞いた詩花が、反射的に身を沈めた――その直後だった。
――パンッ!
乾いた銃声が鳴り響き、彼女が背を預けていた壁が抉れ、コンクリート片が弾け飛んだ。
狙い澄ましたように走る弾痕。
優絃は即座に詩花の肩を引き寄せ、射線から彼女の身を外す。
「っ……もう、新手が」
焦りを内包した視線が、周囲を走る。
斜線を追った、その闇の奥。
そこに、わずかに揺れる影が見えた。
「……やはり」
低く、嗤うような"聞き慣れた"声。
「情が移ったか――黒閃」
「っ……この声は」
優絃の表情が、一瞬で引き締まる。
暗がりの中から、ゆっくりと姿を現した影。
静かな足音が、こちらに近づいてくる。
目の前に現れたのは――
最後の敵だった。




