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殺せない殺し屋は、殺せる少女を護りたい。  作者: 暁月 愛結


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第二十一話 優しさと凶器

 殺し屋たちが倒れ伏す影の中で、立っているのは二人だけだった。

 荒い呼吸が、路地裏にかすかに響く。


「……」


 その中で、優絃はどうしようもなく、その場に立ち尽くしていた。

 目の前には、探していた相手がいる。

 けれど、ここからどうすればいいのか――

 まったく分からなかった。


(……見つけたはいいけど、何を言えばいい?)


 ……分からない。

 分からないままで、視線だけは今もぶつかり合っている。

 お互い、探り合っている気配がして。

 その瞬間――

 詩花の体が、ぐらりと揺れた。


「っ……!」


 地面に向かって、倒れていく細い身体。

 反射的に手を伸ばす。

 慌てて、支えようとして――


 ――パシン!


 鋭い音とともに、手の甲に痛みが走った。


「……いりません」


 それは、明らかな拒絶の意思。

 詩花は、優絃の手から逃げるように一歩下がり、コンクリートの壁に背を預けた。

 苦しげに肩で息をしているのに、視線だけは揺らがず、冷たくまっすぐだった。

 そのまま、壁を頼りに立ち去ろうとする。

 フラフラとした足取り。それを見た優絃は、居てもたってもいられなくて――。


「……待ちなよ」


 詩花の目の前に、立ち塞がった。


「……まだ、話をしてない」


「邪魔です」


「話すって約束、したよね」


「……帰らせてください」


 それには答えず、一歩、距離を詰める。

 詩花が、ぴくりと眉を顰めた。

 お互いに、一歩も引かない。

 そこで優絃は、わざと一拍置いてから――


「……裏切り者」


 ぽつりと、"あえて"その言葉を落とした。

 瞬間、空気が、ビリッと震える。


「……違う」


 即座に、否定が返ってくるが――。


「違わないじゃん」


 優絃は、わずかに口角を歪めた。

 ただじっと、詩花を睨みつける。


「『待ってて』って言われたから、ちゃんと待ってたのに。勝手に帰ったのは誰だよ」


 睨み返してくる青い瞳。

 その奥に、はっきりとした怒りが宿る。


「……性格、悪いですね――あなた」


 初めて聞く、温度のない低い声。

 怒りを超えて、敵意すら感じられた。


「"裏切り"って言葉。わたしが嫌いだって分かってて、わざと使ってますね」


「ムカつくから。やり返しくらいするでしょ」


 ぐ、と黙り込んだ詩花が、唇を噛み締める。

 優絃はそのまま、さらに踏み込んだ。


「……あたしが来なきゃ、あんた死んでたじゃん」


 わずかに、詩花の呼吸が止まる。

 その目が、ほんの一瞬だけ揺らいだ。


「むしろ感謝してほしいくらいなんだけど」


「……余計なお世話です」


「は?」


「わたしたちは、殺し屋とターゲットに戻ったはずです」


 その声は、ただ事実を述べているかのように、淡々としていた。


「あなたが加勢すべきは、わたしじゃなくて――」


 視線が、倒れている殺し屋たちへ向く。


「今、そこに転がっている人たちでしょう」


 静かに告げられる言葉に、今度は優絃が、ぐっと、奥歯を噛み締めた。


「……何それ」


 自分の声に、明らかな苛立ちが滲む。


「一人じゃ、絶対勝てなかったくせに」


 詩花の眉が、ぴくりと動いた。

 逸らされていた視線が、こちらに向く。


「てか、なんでそこまで一人にこだわんの」


 その視線を、まっすぐに射抜く。


「自分の命なのに、どうでもいいみたいに雑に扱ってさ」


 呼吸を整えようと、息を吸い直す。

 その間、詩花が何か言い返そうとして――

 優絃が、先に言葉を重ねた。


「……あたし、言ったよね?」


 さらに一歩、前に出る。


「あんたを守るって」


 ――"守る"。

 その言葉に、無に等しかった詩花の表情が、わずかに歪んだ。


「……もう、一人でやらなくていいんだよ」


 責めるような口調を和らげた優絃が、わずかに目を細めて――。


「キツかったら、いつでも頼ってきてよ」


 そこまで言って、ふっと息を吐く。

 詩花の青が、水面のように揺れたのが見えて、ほんの一瞬。

 周囲を、痛いほどの沈黙が支配した。

 その静寂を――


「っ……無理です」


 詩花の、悲痛な声が引き裂いた。

 彼女の心の奥に押し殺されていた感情が、冷たい空気の中に滲み出していく。


「……無理なんです!」


 吐き出されたその声は、震えていた。


「一人じゃないと、ダメなんです!」


 はぁはぁ、と肩が激しく上下する。

 悲しげに細められた青の奥が、濡れているように見えた。


「優しくされると……期待してしまう」


 掠れた言葉が、こぼれ落ちていく。


「期待すると……裏切られる」


 ナイフを握る彼女の手が、ほんのわずかに震えている。


「そしたらまた……苦しくなる」


「だから、あたしは裏切らないって――」


「……わたしの!」


 鋭い声が、路地裏に響き渡った。

 初めて聞く彼女の叫び声に、優絃は咄嗟に一歩後ずさった。


「わたしの初殺しは……」


 聞こえたワードに、思わず息を呑む。


「――六歳の時です」


「……は?」


「ご存知の通り、うちの家系は名家なので。争いごとの火種がよく舞い込みました」


 懐かしむような、

 けれど、思い出すことを拒むような。

 そんな声音で、詩花が続けた。


「そんなとき、わたしたち家族は命を狙われた。とある別の名家によって、殺し屋を差し向けられたんです。そこでわたしは、"大切な家族"を守るために――刃を取りました」


 彼女の手にしたナイフが、うっすらと差し込んできた月明かりに煌めく。


「……みんな助かった、はずだったのに」


 弱々しく吐露するその声が、震えた。

 唇の端が、わずかに歪む。


「……わたしは、捨てられた」


 その言葉は、あまりにも静かで――

 それでいて、とても重かった。


「存在ごと、無かったことにされたんです」


 ぎり、と奥歯を噛み締める音がした。

 その顔と音に、優絃の胸が締め付けられる。


「わたしは、家族を守ったのに……」


 そこで一度、詩花の声が途切れた。

 薄く開かれた唇が、震える。


「わたしのことは――守ってもらえなかった……」


 肌を刺すような風が、吹き抜けていく。

 それは、傷ついたであろう彼女の心の凍てつきを表しているかのようだった。


「だから……もう期待しない」


 彼女が、ゆっくりと顔を上げる。

 青い瞳が、大きく揺れていた。


「信じた相手から裏切られる苦しみを、もう二度と……味わいたくないんです」


 だから、と。

 詩花はナイフを握りしめた。


「放っておいてください」


 その目は――本気だった。

 揺れていても、感情は一貫している。

 それが、手に取るように分かった。


「……それとも」


 月明かりに光る刃先が、静かにこちらへと向けられて――。


「今、ここで……殺し合いますか?」


「……っ」


 優絃は、何も言えなかった。

 ただ、息を呑むしかなくて――。


(……なんだよ、それ)


 胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。

 自分の経験じゃないのに、分かってしまう。

 怒りが湧いてくる。

 でもそれは、彼女に対してじゃなく。


(……なにも悪くないじゃんか、こいつは)


 胸が張り裂けそうになる。


『人を殺すことでしか生きられない世界がある』


 そう言っていたあの意味が。

 ぽろりと、たまに弱音を吐き出していたときの、あの悲しげな表情の意味が。

 彼女の見せていたすべての裏に、こんなに悲しい過去があったとは思わなかった。


 信じることが怖くて。

 一人でいるしかなくて。

 そうやって、生きてきたんだと。


 だから――

 頑なに、一人を選んでしまうのだと。


 でも、だからこそ。

 伝えなくてはならない言葉がある。

 それを探そうと、優絃が黙り込んでいるのを肯定と捉えたのか。

 詩花が、静かな声音で続けた。


「……あなたは、優しい」


 でも、と。

 一拍の間が空いて、その視線が揺れる。


「その優しさは、凶器なんです」


 ナイフの刃先が、小さく震えている。

 それに気付いて、優絃はわずかに目を見開く。


「これ以上……その凶器で、わたしを傷つけないでください」


 お願いだから、と吐息混じりの掠れた声が、優絃の鼓膜を震わせた。

 その瞬間――優絃の答えは決まった。

 ゆっくりと、深く息を吸って。

 そして――

 まっすぐに、詩花を見返してやる。

 もう、何も迷うことはない。


「……だったら」


 ぽつり、と。

 優絃は覚悟を込めて、彼女に今、かけるべきだと思う言葉を紡ぎ出した。

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