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殺せない殺し屋は、殺せる少女を護りたい。  作者: 暁月 愛結


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第十二話 知る、ということ

 ――人を殺せない殺し屋、なんて。

 ――……それで、どうやって生きてきたんですか?


 脳内で繰り返される彼女からの問いに、優絃の手が止まる。

 グラスの中の泡が、ゆっくりと弾けていく。


「理由とか、あるんじゃないですか?」


 続けられた問いに、視線を手元に落としたまま、グラスの表面を流れ落ちていく水滴を見つめる。

 そっと、水滴のひとつに指を添える。

 その冷たい感触に、ふと、別の"冷たさ"が重なった。


 ――夜。

 ――歪んだ鉄。

 ――焦げた匂いと、動かない二つの影。


(……あのときも、こんなふうに……簡単に、終わった)


「っ……」


 ぐ、と息が詰まった。


(……やめろ)


 蘇りかけた光景を、奥歯で噛み潰す。

 記憶の奥底に蓋をするように、小さく吐き捨てた。


「……別に、大した理由じゃない」


 スッと、顔を上げる。

 詩花の視線を、真正面から受け止めて――。


「……人ってさ、勝手に死ぬんだよ」


 内心はざわめき立っている割りに、発した言葉は淡々としていた。

 脳裏には、燃え上がる炎と血溜まり。

 その中に横たわる、傷だらけの――。


「わざわざ誰かが手を下さなくても、あっさりと」


 痛いほど、身に染みているから。


「……だったら、殺す必要なんてない」


 ぎり、と奥歯を噛み締める。

 

「人は、何かのタイミングで勝手に死ぬ。だったらあたしは――殺さない」


 静かに、それでもはっきりと言い切った。

 瞬間、個室の空気が、静かに張りつめた。

 お互いに黙り込んで、言葉を発さない。

 しばらくして――。


「……そうですか」


 詩花が、小さく頷いた。

 ただ、それだけ。

 肯定も否定も、同情もない。

 ただ、何かを受け止めるような声だった。

 ほんのわずかに、彼女の視線が柔らぐ。


「……優しいんですね」


「は?」


 反射的に、顔を顰める。

 その言葉は、やけに軽くて。

 なのに――胸の奥に、重く沈んだ。


「どこが。全然だし」


 スッと、視線を逸らして吐き捨てた。


(……というか、なんであたしが……こんな話)


 彼女を、崩そうとしたはずなのに。

 気付けば、自分のほうが崩されている。

 向かいの詩花は、相変わらず静かにこちらを見ていて。その視線が、妙に――逃げ道を塞いでくるような気がした。

 ぐい、とジョッキを煽る。

 口に広がる苦味が、さっきよりも強く感じられた。

 そのとき、ぽつりとした声が聞こえた。


「……わたしは、そうは思えないから」


「……え?」


 静かで。

 儚げで。

 けれど、さっきまでよりもずっと重くて、何より冷たかった。


「……なに?」


 思わず、訊き返す。

 詩花は少しだけ視線を逸らして、平坦な声のまま続けた。


「人は……勝手には、死にませんよ」


 その声音は、温度をなくしているのに、どこか確信を帯びていた。


「少なくとも、わたしの知っている世界では」


 グラスの縁をなぞっていた彼女の細い指先が、ぴたりと止まる。


「誰かが望んで」


 グラスの表面に指を滑らせて、


「誰かが仕組んで」


 流れ落ちる水滴を弄んで、


「誰かが、奪っていく」


 またグラスの縁をスッとなぞる。


「……そういう世界も、あるんです」


 ひとつひとつ、確かめるように紡がれる言葉が、優絃の耳に確かに届く。

 けれど、それはまるで――

 彼女自身に言い聞かせているみたいだった。


「だから――」


 ゆっくりと、顔が上がる。

 揺れる青い瞳が、まっすぐに優絃を捉えた。


「"殺さない"だけでは、生きていけない人もいるんです」


「……っ」


 ひゅっ、と息が詰まる。

 否定したいのに、言葉が何も出てこない。

 まるで、自分の知らない世界の話を聞かされているみたいで、現実味がなくて。

 けれど、彼女から紡がれたその言葉は、不思議と嘘には思えなかった。


「……あんた、それ」


 やっとのことで、声を絞り出す。


「……体験談、とか?」


「……さぁ、どうでしょう?」


 ふっと、いつもの微笑みが戻る。

 けれど、その奥にあるものは――さっきとは違っていた。


「ただ……優しいだけでは、守れないものもこの世にはある、という話です」


「……」


 優絃は、黙り込んだ。

 さっき自分が言い切ったはずの言葉が、足元から崩れていく感覚。

 "殺さない"という選択。

 それが、誰かを救うものだと思っていた。

 ――そう、思っていたのに。


「……」


 言い返せない。

 言い返したくない。

 どちらの感情なのかも、分からないまま――

 ただ、グラスを強く握りしめた。

 ぎゅっと、唇を噛み締めたとき。


「――とはいえ」


 詩花が、ふっと肩の力を抜いた。


「別に、あなたのその考え方を否定するつもりはありませんよ」


 ハッと顔を上げると、詩花は微笑んでいた。

 その笑顔の奥に、嘘はなさそうだった。


「ただ、わたしとは違う、というだけですから」


 口元に手を添えて、くすり、と笑う。

 その仕草はいつもの彼女なのに、どこか、ほんの少しだけ寂しそうに見えた。


「……っ」


 胸の奥が、嫌にざわついた。

 ひやり、と指先が冷えていく。


(なんなの、それ……)


 結局、彼女の謎は深まるばかりで。

 何も分からない。

 少しも、分からないはずなのに。


 ――もっと、近付きたい。


 そんなふうに思ってしまった自分に、優絃は気付かないふりをした。

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