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殺せない殺し屋は、殺せる少女を護りたい。  作者: 暁月 愛結


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第九話 真実と嘘

 本宅に顔を出した日の翌朝。

 いつも通り、カフェに向かう準備をしていたときだった。


 ――ピリッ、ピリリッ。


 テーブルの上に置いていたスマホが震え始めた。

 この時間に鳴り出すのは、少し珍しいことで、優絃は軽く首を傾げた。


(……この時間に?)


 眉を顰めつつ画面を見ると、表示されていた名前は『ジュジュ』のものだった。

 何かあった? と疑問に思いながらも、そのままスマホを手に取る。

 応答ボタンを押して、「……なに」と気怠げに声をかけると、画面の向こうから声がした。


『あー、今いい? 玖我山詩花の件なんだけどさ』


「……何か分かった?」


 こちらの問いかけに、ジュジュが歯切れ悪く返してきた。


『……まぁ、ある意味では』


「はっきりしないね」


『いや、それが色々と変なことが多くてさ――』


「なにそれ」


『あのさ、“玖我山詩花”って……本名?』


「は?」


 思わず、間の抜けた声が出た。

 何を言っているんだ、こいつは? と一瞬、言葉が出てこなかった。

 けれど、これまでのことを思い返しながら、ジュジュの問いかけに答える。


「そのはずだけど。だってマスターもそう呼んでたし、本人もそう名乗って……」


『や、それがさ。情報、出てこないんだよねぇ』


「……は?」


 もう一度、同じ言葉を繰り返していた。

 ぴたり、と思考が固まる。


『普通さ、多少なりとも何か引っかかるでしょ。戸籍でも、学校でも、なんでもさ。なのに、何もないんだよ』


「……消されてる、とか?」


『それならそれで、痕跡くらい残るはずなんだけどねぇ。今回はそれすらない感じ』


 ぞわり、と背筋に嫌なものが走る。


(……そんなこと、あり得るの?)


 いや、あり得ないはずだ。

 となると、他の疑念が浮かび上がってくる。


「偽名って可能性は?」


『……今の段階じゃ、まだ分かんない』


 ズバズバ物事を言ってくるジュジュにしては、珍しく曖昧な返答だった。

 そわそわと落ち着かない吐息が、画面の向こうから伝わってくる。


『正直、ちょっと気持ち悪いよこの案件。明らかになんかあるって……』


「……」


 言葉に詰まる。

 分からないことが、多すぎる。


 今回のターゲット、玖我山詩花。

 彼女の正体は――?


「……とりあえず、もう少し調べて」


『えー……もう調べ尽くしたってぇ』


「いいから」


『はいはーい』


 納得いっていなさそうな軽い返事を最後に、プツリと通話は切れた。

 静かになった部屋の中で、ぽつりと呟く。


「……何が嘘で、何が真実なの」


 誰にかけるでもなく呟いた問いに、明確な答えは出ないまま。

 優絃はスマホをポケットに滑らせたあと、いつものカフェへと足を向けた。

 雑踏の中を歩いて、しばらく――カフェの扉を押し開けると、カラン、と可愛らしい鈴の音が鳴る。


「いらっしゃいませ」


 顔を上げた瞬間、思わず視線を逸らした。


(……今日も普通にいるし)


 そこには、何事もなかったかのように営業スマイルを浮かべる詩花がいた。

 完璧に出来上がったあの顔で、こちらをまっすぐに見つめている。


(ガン見すんなっつの)


 内心で悪態をつきつつ、いつもの席に座るとすぐにお冷が運ばれてきた。


「ご注文は、いつものメニューですか?」


「……え、覚えてんの?」


「だって、基本それしか頼まないじゃないですか」


 軽く引き気味に訊くと、詩花は当たり前のように言った後、くすり、と笑った。

 その余裕そうな顔に、少しムッとする。


(……なんか癪だな)


 なんとなく、負けたくなくて。

 メニュー表をわざとらしく開いて、いつもは頼まないスイーツを指さした。


「それだけじゃなくて、あとこれと、これも。全部――」


「ホイップ増し、ですね。少々お待ちください」


 優絃が最後まで言い切る前に、自信満々な顔をした詩花が言葉の続きを奪い取り、そのまま厨房へと去って行った。

 その背中を見つめながら、はぁ、と深いため息をついた。


「……調子狂うな、ほんと」


 ぽつりと呟きながら、頬杖をついた。

 注文したものが届くのを待っている間も、彼女と何度か視線が合う。

 窓の外を見ていても、自然と視線がカウンターの方へと吸い寄せられてしまって。

 また、彼女と目があった。

 目が合って、そのたびに逸らして、また気付けばお互いに見ていて――。


(……なんで、こんな意識してんの)


 自分でも分からないまま、ただ時間だけが淡々と過ぎていく。

 逃げるように視線を窓へと向けて、しばらくしたときだった。


「お待たせいたしました」


 柔和な声とともに、エプロンを外した詩花が注文したスイーツを持ってやってきた。

 私服姿、ということは――。


(……相変わらずだな)


 何も言わずとも、当たり前のように向かいに座ってくる。

 優絃はそれを無視して、無言でパンケーキにナイフとフォークを入れた。

 大きくカットしたパンケーキを頬張る優絃に対して、詩花は小動物のような小さな口で、黙々とタコライスを食べている。

 お互いに会話はなく、静かに食事をする。

 咀嚼と嚥下を何度か繰り返したときだった。


「……っ」


 強い視線を感じて、顔を上げる。


「……なに」


 青い瞳が、こちらを向いていた。

 ぶっきらぼうに声をかけると、「いえ、別に」と言葉が返ってくる。

 が、否定しながらも、やっぱり視線は逸らされなかった。


「……めっちゃ見てくるじゃん」


「気のせいでは?」


「それは無理があるだろ」


 ジトッとした目を向けて、ふと考える。

 思考が瞬時に回って、まさか! と思い立つ。


「あんた、とうとう毒でも入れた?」


「へ?」


「いつ死ぬかな、って見てるんでしょ」


「職場では殺りませんって」


「言い方! せめて普通に『しません』って言え!」


「先に話題に出したのはあなたでは?」


 ぐうの音も出ずに軽く睨みつけると、詩花は楽しそうにくすくすと笑った。

 その様が、あまりにも自然に見えて。

 思わず、ふいっと視線を落とした。

 パンケーキにのせられたソフトクリームが、少しだけ溶けて崩れ始めている。

 それを見て――ふと、思い出す。


『"玖我山詩花"って……本名?』


 今朝聞いたジュジュの珍しく真面目な声が、脳裏に蘇った。

 フォークを持つ手が、わずかに止まった。

 皿に触れて、カチ、と小さく音が鳴る。

 その音に導かれるように、落としていた視線を上げ、スッと詩花へと向けた。

 何食わぬ顔で、タコライスを口に運んでいるその顔を見つめて。

 ほんの一瞬、迷ってから――。


「……あんたさ」


「はい?」


「玖我山詩花……だよね」


「はい、そうですけど……」


 不思議そうに、首を傾げられる。

 その姿が、嘘をついているのか、真実を口にしているのかはやっぱり分からなくて。

 ごくり、と息を呑みつつも、


「……それって、本名?」


 世間話みたいな、そんな気軽さで訊いたつもりだった。

 その瞬間――詩花のスプーンを持つ手が、ぴたりと止まった。

 じわりと目が見開かれる。

 空気が、スッと冷えた気がした。


「……どうして、そう思ったんですか?」


 否定の言葉は――ない。

 ただ、静かに問い返される。

 その空気感に、心臓が冷えていく。


(……やばいこと、聞いた?)


「……や、なんとなく?」


 濁すように辿々しく答えると、詩花はゆっくりとスプーンを置いた。

 少しの沈黙があって、詩花は俯き気味に、ふぅ、と小さく息を吐いた。


「……名前なんて、ただの記号ですよ」


 ぽつりと落とされた声は、ひどく平坦だった。

 作られたような、不気味な静けさ。

 スッと持ち上げられたその瞳には、ここではない、どこか遠くが映っている気がした。


「そこに特別な意味なんて、ないと思います」


 無表情にそう言って、置いていたスプーンを手に取り、またひとくち運んだ。

 その様子が、あまりに機械的で。


 ――それ以上は、踏み込むな。


 そんな線引きが、はっきりと見えた。


(……ほんと、勝手な奴)


 ムッとして、パンケーキを噛みちぎる。

 苛立ちを咀嚼に込めて、じっと睨む。

 けれど、同時に――


(……でも、もうちょい知りたい……こいつのこと)


 そんな感情も、心のどこかに確かにあって。

 ふと思ったと同時に、口を開いていた。


「……あのさ」


「……?」


 顔を上げた詩花の視線を受けて、一瞬だけ言葉に詰まる。

 それでも、もう後には引けない。


「今日、何時終わり?」


「え?」


「仕事終わり、時間あったりする?」


「えっと……?」


 きょとん、とした顔で首を傾げられる。

 ほんの一瞬、彼女の瞳が揺れた気がした。


「……その、少しなら?」


 少し警戒した様子で、小さく返ってくる。

 その返答で、この後の予定が決まった。


「……そ」


 短く答えて、優絃はまたナイフとフォークを動かした。


(……って、なんで誘ってんだ? あたし)


 自分でもよく分からないまま、またひとくち、パンケーキを口に運んだ。

 それでも、ほんの少しだけ――

 この後に待ち受けるであろう彼女との時間を、悪くないと思ってしまった。

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