3 呪物の行方
「……で、他の部員はいないの? 田中さん」
「……花子、と呼んでください……。今は、私一人でこの深淵を護っているのです」
ようやく絶叫を止め、這い上がってきた花子は、膝の汚れを払いながら寂しげに、かつ大げさに肩をすくめた。
「以前はもっと賑やかだったのですが、先輩方は卒業と共に『あちら側(就職)』へ旅立たれました。新入生の勧誘も……芳しくなく。今は私という孤高の魔術師が、孤独にこの聖域を維持しているのです」
「……だろうね。あんな勧誘チラシで入部してくるのは、相当な変わり者か、よっぽどのお人好しくらいなものよ」
沙織が部室の隅にある、埃を被ったパイプ椅子の山を眺めて呟いた。
「……で、あのドスケベ下着の処理もできず修行不足とか、魔力とか、そんな設定で逃げるわけ?」
「うっ(グサッ)」
「そんなに力不足だって言うなら、せめて仲間の一人や二人、集めてみたら? 魔術師が一人じゃ何もできないんでしょ」
「ううっ……」
沙織の正論(毒舌)が花子に突き刺さる。あー、花子もう泣きそうだよ……
「……うぅっ、ひっ……。ご、ごめんなさい……魔力とか、真名とか、全部……その……」
花子はとうとう私の腕にすがりついて泣きだしてしまった。
「美紀さん……っ! 沙織さんが……沙織さんが怖いですぅ……!!」
「えっ、あ、あの……泣かないで、キャスターちゃん!」
慌てて花子の背中をさする。中二病全開でも、彼女なりにこの場所を守ろうとしていたのだろう。
「沙織! 言い過ぎよ、この子まだ一人で頑張ってるんだから……」
沙織は「……勝手にしなさいよ」と言わんばかりに腕を組み、不機嫌そうに窓の外を眺めた。
「ちょっと、外の風に当たろうか」
問題解決の相談をしていたのはこちらのはずなのに、なぜ私がこの場を収めなければならないのだろう……。
◇
私たちはクラブ棟の外のベンチに腰掛け、ズビズビしている花子を落ち着かせる。仕方がないのでジュースをおごってあげた、いつか返してくれるかなぁ……。
「うぅ……美紀さん……、あの鉄仮面の処刑人とは大違いですぅ」
沙織が無言で花子を睨みつけ、花子が「ひいっ」と言って私の背後に隠れる。
「美紀さん、今なら、今入部してくれれば、好きな称号を差し上げますからぁ……。セイバーでも、ライダーでも、アサシンでも……っ。座を空けて待ってますからぁ!!」
花子は背後から称号をエサ(?)に必死に勧誘してくるが、残念ながらそちらに興味はない。
「いいよ、そんな大層な称号……」
私は苦笑いしながらなだめるが、先程から感じていた疑問を口にする。
「さっきから気になってたんだけど、沙織は前から事情を知ってるの?あなたたち、ただの知り合いじゃ無いように見えるんだけど……」
「……まあ、腐れ縁みたいなもんよ。この春に卒業した先輩に世話になった人がいるんだけど、その人が黒魔術研究会の元部長だったの」
沙織は吐き捨てるように言った。
「その先輩は『バーサーカー』の称号を名乗ってたわ。名前の通り激しくて、逸話に事欠かない人だった。卒業が近くなった頃に泣きつかれたのよ。『後輩のキャスター(花子)は、才能はあるけど精神が脆い。どうか現世での彼女の盾になってやってくれ』って」
(バーサーカー……狂戦士……って、どんだけヤバい人なんだろう)
「でも、沙織はその先輩の頼みを聞いて、花子の面倒を見てあげてるんだね。優しいじゃない」
「優しさじゃないわよ。単に、あの先輩に付きまとわれるのが一番厄介だっただけ」
それを聞いた花子が再び涙を浮かべて私の手を握る。
「そうなんです……バーサーカー先輩は、私に『真理』を教えてくれた理解者でした。でも、沙織さんはいつも私を現実という名の鎖で縛り付けるんですぅ!」
「あんた、その鎖がないと今頃どっかの溝にでもハマってる――で――」
沙織の容赦ないツッコミが飛ぶが、視線が横に泳いでいく、何か変なものでも見えたのだろうか、この研究会より変なものはなかなかないと思うけど。
「……あのアホ犬、また脱走してるわよ」
沙織が指差した先。
学内の植え込みから、一匹の柴犬(らしき物体)が猛烈な勢いでこちらに向かって突進してきていた。
「え、犬? キャンパス内に?」
「アニマルセラピー研究会の『ごん太』よ。セラピー犬のくせに、隙あらば脱走して野生を取り戻す困ったちゃんなの」
沙織の解説が終わるより早く、ごん太は私たちのベンチを爆速で通り抜けた。
……その瞬間、私の足元に置いていたカバンが、ふわりと浮いた気がした。
「……あ」
ごん太の口には、私のカバンの持ち手がしっかりとくわえられていた。ごん太は「ワンッ!」と吠えて加速する。
「待って! 私のカバン!!」
中身は、あの『エロ下着』だ。
もしあんなものがキャンパスの真ん中でぶち撒けられたら、パパ活を始めたどころの騒ぎでは無いウワサが広がってしまう。
「ひぃぃ! 呪物が! エロ下着が犬に持ち去られましたぁー!」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ花子! 追うわよ!」
私は全力で駆け出した。隣では花子が「アニメとかだとこういう時、今後登場する人たちが次々と出てきそうですよね!」と興奮気味だが無視する事にする。
ふと振り返ると、沙織はベンチに座ったまま、優雅に飲みかけのジュースを啜っていた。
「沙織! 手伝ってよ!」
「嫌よ、面倒くさい。……あ、そっちは旧実験棟の方よ。天文研がよく使ってる部屋があるから、誰かいるかもね」
冷たい! 処刑人、冷たすぎる!
ごん太は私の絶望をあざ笑うかのように、迷わず古びたコンクリート造りの建物――旧実験棟へと消えていった。
◇
旧実験棟。
今は授業ではほとんど使われず、サークル向けに開放されているらしい。
「はぁ、はぁ……どこ……どこに行ったの、ごん太……」
「美紀さん、あそこです! 突き当たりの部屋から、楽しそうな気配が!」
花子が指差した扉のプレートには、『天文研究会使用中』の文字。
意を決して扉を勢いよく開けると、そこには――。
「あ、ごん太。また脱走してきたの? お前、本当にここが好きね」
そこには大型の天体望遠鏡を磨く一人の女性がいた。
私と同じ3年生くらいだろうか。落ち着いた雰囲気で、大人びた笑みを浮かべている。
「あ……あの! すみません、それ、私のカバンなんです!」
私が息を切らして飛び込むと、彼女はゆっくりとこちらを振り向いた。
足元ではごん太が、戦利品である私のカバンを誇らしげに彼女の足元に置いている。
「あら、そうなの? この子が急に『贈り物』だって持ってきたから、誰かの落とし物かと思って預かっていたところよ。……はい、どうぞ」
彼女は穏やかな微笑みを浮かべ、カバンを差し出してくれた。
「この子、女子学生の持ち物ばかり集めてるらしいから気をつけてね。……慌てて追いかける程、大事な物が入っているなら、尚更ね」
彼女は含みのある笑みを浮かべて、私のカバンを一瞥した。
……待って。大事な物?中身に気づかれた!?
「美紀さん、落ち着いて下さい!小包に入ってるから見えませんて!そんな精神汚染されるようなもの見る人なんて……」
「うるさいわね! ほら、行くわよ!!」
花子の声を遮って逃げるように旧実験棟を後にする私の背中に、天文研の彼女のクスクスという笑い声と、ごん太の吠え声が追いかけてきた。
◇
肩で息をしながら、私と花子はクラブ棟前のベンチへと戻ってきた。そこには、涼しい顔でジュースを飲み干した沙織が待っていた。
「おかえり。無事に『呪物』は回収できたようね」
「……おかげさまでね。もう、寿命が縮まったわよ」
私がカバンをぎゅっと抱きしめて力なく答えると、沙織は眼鏡の奥の瞳をスッと細めた。
「ねえ、美紀。その下着、家に置くのが嫌だからって毎日持ち歩くのは無理があるわよ。……いっそのこと、この黒魔術研究会の部室で『封印』として預かってもらえば?」
その提案に、隣にいた花子がブンブンと激しく首を振った。
「嫌ですよぉ! あんな破廉恥なもの、私の清らかな聖域(部室)に置けません! 浄化の儀式すらままならないのに!」
「……花子、ちょっと来なさい」
沙織が花子の耳元でボソボソと囁くと、花子の目が一瞬で輝いた。
「……! なるほど、それは名案です! 」
花子はキリッとした表情で私に向き直ると、仰々しく指を突きつけた。
「美紀さん! その呪物、我が研究会の暗黒の保管庫にて厳重に封印いたしましょう。ただし……条件があります! 我が研究会と契約(入部)してください!
破廉恥な呪具を自ら召喚し、それでもなお『無難な常識人』を装える精神の強靭さ、我が同胞に相応しい!」
「いや、装ってるんじゃなくて、私は本当に無難な人間になりたいだけなの……って、入部!? 」
「いいじゃない、美紀。とりあえず名前を貸すだけよ。カバンの中に爆弾を抱えてビクビク過ごすより、よっぽどマシでしょ」
沙織の言葉は的を得ている。このまま爆弾を抱えて生活するのは精神衛生上よろしくない。
「それに花子、大学事務局から活動を続けたいなら部員をどうにかするよう督促が来ているはずよ。一人でも確保できれば申し開きくらいはできるでしょ」
「あっはい」
色々言ってはいるけど、やはり沙織は花子と研究会を気にしているようだ。
しかし、入部か……うむむむ……。
「……わかったわよ。仮入部……『仮』よ? それなら……」
「契約成立です! さあ、その呪物をこちらへ!」
私は小包を花子に託した。彼女はそれを恭しく受け取ると、「くっ、この強大な魔力……!」とか何とか言いながら部室の中へ消えていった。
◇
夕暮れ時。私は少し軽くなったカバンを肩に、沙織と並んで校門へ向かっていた。
結局、あのデタラメなチラシと、あの怪しい御札が、巡り巡って私という部員を一人、深淵に引きずり込んでしまったことになる。
「ねえ、沙織。……今になって思うんだけど。あの御札、実は本当に何か特別な力があったんじゃないかな? こうして私が入部することになったのも、花子に幸運をもたらしたというか……」
私の言葉に、沙織は歩みを止めることなく、フンと鼻で笑って一蹴した。
「馬鹿馬鹿しい。あるわけないでしょ、そんなもの。……単に、美紀がお人好しで、あのバカ(花子)が必死だった。それだけよ」
「……そうかな。それならいいんだけど」
沙織の横顔は、いつものように鉄仮面の如く冷ややかだった。
けれど、私は知っている。彼女が花子に耳打ちした時、ほんの一瞬だけ、楽しそうな「悪巧みの笑み」を浮かべていたことを。
私の無難な日常が、音を立てて崩れ始めている。
――これが、私と黒魔術研究会の田中花子との出会いだった――




