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2 黒魔術研究会へようこそ

 あの『服交換事件』から数日が経過した。

 五月の爽やかな風がキャンパスを吹き抜けているというのに、私の心はどんよりとした梅雨空のようだった。理由は明白。いま、私のカバンの中には、あの夜の過失の産物――漆黒レースと大胆カットの下着『新たな呪いのアイテム』が鎮座しているからだ。

「……で、それを持ち歩いてるわけ?」

 大学図書館の隅。小声で事情を話すと、沙織が心底呆れたような、あるいは未知の生物を見るような目で私を見た。

「だって……家に置いてて、もし親が急に来て掃除のついでに見つけたりでもしたら……。そう思ったら落ち着かなくて。カバンに入れて持っていれば、少なくとも不意の露見は防げるでしょ?」

「エロ本を自室に隠してる中学生かっての。……いい、美紀。落ち着いて聞きなさい。呪いの(ドスケベ)アイテム(梨衣菜さんの服)を処理したと思ったら、自らの業でさらに強力な呪いの(ドスケベ)アイテム(エロ下着)を召喚して、挙句の果てにそれを神聖な学びの舎に持ち込む……。あなた、もしかしてドスケベの才能があるんじゃない?」

「ドスケベって連呼しないでよ! あの時は自分でも分からないけど、なんだか舞い上がってたっていうか、無敵モードだったっていうか……」

 私は顔を伏せて消え入りそうな声で弁明する。そんな私を見て、沙織は眼鏡のブリッジを指で押し上げ、少しだけ真剣なトーンに落とした。

「梨衣菜さんの服を『呪いのアイテム』って言ったけどね、半分は本気だよ」

「え、冗談でしょ?」

「いいえ。衣服が着用者に心理的な影響を与えるっていうのは、心理学的にも否定できないの。制服を着れば仕事モードになるし、チームでユニフォームを着れば一体感が生まれる。だから、あの過激な服を着たことで、美紀の中に眠っていた秘められたドスケ――」


「いま、『呪いのアイテム』と言いましたか!!」


 沙織の言葉を遮って、静まり返った図書館に場違いな高音が響き渡った。周囲の視線が集まり死にそうになる……いやまて沙織、またドスケベって言おうとしなかったか。

 そこには一人の女子学生が立っていた。

 上下黒ずくめなスウェット、ボサボサの髪。なのに、その瞳だけはやけに爛々と輝いている。

「素晴らしい……! 衣服による自己の変質、魂の上書き! ぜひ、我が研究会でそのサンプルとして研究させてください!」

「ちょ、ちょっと! 静かにして!」

 私と沙織は慌てて彼女の両脇を固め、周囲の冷ややかな視線から隠すように身を屈めさせた。ここは図書館だ。死刑宣告にも等しい「静かに」のプレートがすぐそこにある。

「えーと……失礼ですけど、どなたですか?」

 私が恐る恐る尋ねると、沙織が砂を噛んだような顔で代わりに答えた。

「……非合法サークル、黒魔術研究会。の、部長さんよ」

「ひ、非合法……!? あの、例のチラシの?」

「酷いです、沙織さん! 深淵に挑む我が研究会を、まるで不審者の集まりのように!」

「やかましい。図書館に『十六世紀の召喚術に関する原典』だの『生贄の作法』だの、バカなリクエストを連発しておいて。こっちは迷惑してるの、それから図書館内での勧誘も禁止よ」

 沙織の氷点下を突き抜けた視線に、彼女は「むむむ……」と唸って言葉を詰まらせた。どうやら沙織はこの「変な人」と、図書館のカウンター越しに何度も死闘(?)を繰り広げているらしい。

「あの、お二人さん……これ以上ここで騒ぐのは良くないと思うんだけど。場所を変えない?」

 もはや勉強どころではない。周囲の「何あいつら」という視線に耐えきれなくなった私が提案すると、黒魔術研究会の彼女はパッと表情を明るくした。

「名案です! では、我が至高の拠点ベースへとご案内いたしましょう! さあ、深淵の入り口はすぐそこですよ!」

 私はカバンの中の『呪い』の重さを感じながら、絶望的な予感を感じた。


 

 「ちょっと、美紀! 私を巻き込まないでよ!」

 抵抗する沙織の腕を半ば引きずりながら、私は黒魔術研究会の部長を追う。正直、一人でこの怪しい深淵に飛び込む勇気はミリ単位も残っていない。

 案内されたのはクラブ棟の奥の部室。

 入り口のポストには、大学事務局からのお知らせっぽいものやら何やらがパンパンに詰まっていて、まるで「訳あり物件」の様相を呈している。

「……ねえ、ここ、事件があった部屋とかじゃないよね? 大丈夫?」

「失礼な! 我が暗黒の聖域サンクチュアリですよ!」

 彼女は仰々しく扉を跳ね上げると、バサァッ! とスウェットの裾を翻してポーズを決めた。

「美紀さん、と…ついでに沙織さん、

 黒魔術研究会へようこそ!

 現世で真名を知られるわけにはいきません。私のことは――『キャスター』とお呼び下さい!」

「はいはい、キャスターね。そんなことはどうでもいいから」

 沙織が冷え切った声で遮る。彼女は部室内に散乱する、怪しいグッズを検分し始め、あの勧誘チラシを見つけた。

「この頭の悪い勧誘チラシを作ったのは、あなたね?」

「いかにも! 我が魔力の結晶です!」

「『知る者』が『汁物』に誤変換されてるのはどういう魔力なのよ。味噌汁の真理でも探求してるわけ?」

「うっ……! そ、それは……変換候補の第一位がそれだっただけで……!」

 キャスターと名乗った彼女が、急にわかりやすく冷や汗をかき始めた。どうやら意外と打たれ弱いタイプらしい。沙織の追撃は止まらない。

「あのチラシの裏に、蛇みたいな模様の怪しい御札が貼ってあったのも、あなたの仕業ね」

「ふふん、気づきましたか! 手にとってくれた迷える仔羊に幸いがあるよう、一枚一枚、私が血と汗と涙(比喩)を込めて自作した開運の札です!」

「馬鹿馬鹿しい。そんなオカルト、私は一ミリも信じないわよ……。まあ、結果として美紀の中に眠る『秘められたドスケベ』が解放されたんだから、彼女にとっては『幸い』だったのかもしれないけどね」

 さらりと猛毒を吐く沙織。私は反射的に叫んでいた。

「え、ちょっと待って! じゃあ、梨衣菜さんの服を着て私がああなったのは、あの御札のせいってこと!?」

「さあね。私は単なる偶然だと思っているけれど。信じるかどうかはあなた次第ね」

 梨衣菜さんに対して随分失礼な話をしているような気もするが……気にしないでおく。 

「……で、『呪いのアイテム』ね、持ち主に返却済みだけど、更に強力な『新たな呪いのアイテム』が美紀のカバンの中にあるわよ」

 沙織がニヤリと、処刑人の笑みを浮かべて私を指差した。

 キャスターの目が、期待にキラキラと輝く。

「おお……! 持ち主の精神を汚染する暗黒の衣……! さあ、見せてください、その深淵を!」 

 ……もう、どうにでもなれ。

 私は、カバンの奥から小包を取り出し、その中身――漆黒レースと大胆カットの下着『新たな呪いのアイテム』をキャスターに手渡した。

「これ……なんだけど……」

「ふむ……。この網目の重なり、そして光を吸収する漆黒。これほどまでに濃密な『愛欲の気』を纏った触媒は、近年稀に見る……」

 沙織は腕を組み、キャスターの出方を観察している

「処分が必要なレベルの呪物なら、ここで引き取ってもらっても良いかもね。どうなの、キャスター?」

 

 沈黙が流れた。

 

 さっきまで「深淵がどうの」と騒いでいたキャスターの顔が、みるみるうちに沸騰したヤカンのように真っ赤に染まっていく。

「キャ、キャスター? どうしたの、凄まじい呪いでも感じた?」

 沙織が隣で「あーあ……」と呆れた声を上げる。

「呪いなわけないでしょ。この子、ただ単に免疫がないだけよ」

「…………ひ、ひ、卑猥ッ! 破廉恥! ドスケベ!邪教の儀式でもこれほど酷い露出はありえません!!」

 キャスターはガタガタと震えだした。

 自称・黒魔術師、エロ耐性ゼロだった。

「……美紀、良かったわね。あなた、この自称・深淵の住人よりも、よっぽど深淵ドスケベの崖っぷちに立ってるみたいよ」 

(……今日は一生分ドスケべと言われた気がする)

「じょ、浄化……! そう、浄化が必要です! でも、今の私の魔力では……まだ修行が足りませんっ!」

 キャスターは下着を私に突き返し、勢い余った腕が、パイプ椅子に引っかかっていた彼女のカバンをなぎ倒す。

 ガシャーン! と景気のいい音を立てて中身が散乱し、その中から一枚のカードがシュパッと私の足元まで滑ってきた。

「あ、落ちたよ」

 何気なく拾い上げ、そこに記された文字を目にする。

『神奈川中央大学 学生証』

【氏名】 田中 花子

【学科】 福祉情報学科 2年生

 私は、カードと、固まっている「キャスター」を交互に見た。

「……田中、花子……さん?」

「いやあぁぁぁーーー!! 本名(真名)で呼ばないでえぇ! 日本で一番多そうな名前で呼ばないでえぇーーー!!」

 彼女は耳を塞いで、床を転げ回らんばかりに絶叫した。

 どうやら「田中花子」という名前は、中二病の彼女にとって、深淵よりも深いトラウマだったらしい。

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