第56話 地下遺跡の誓いと令嬢の知略
クレセント辺境伯領の城壁付近には、勝利に沸く冒険者たちの歓声と、捕縛された帝国兵たちの怒号が入り混じっていた。
「ユキ、本当に手伝わなくていいのか!?」
「はい、アリアさん。俺は壊れた備品の回収と、ギルドへの簡易報告書を作成してきます。皆さんは祝勝会の準備をしていてください」
俺は「レベル1のポーター」としての気弱な微笑みを完璧に維持し、彼女たちの過保護な追及をかわして、戦場の瓦礫の影へと消えた。
周囲に人気がないことを《ソナー》で確認すると、俺は足裏に魔力を込めた。
(《土魔法:土流転移》)
一瞬の暗転の後、俺は街を一望できる辺境伯別荘の中庭に出た。
そこには、背筋を完璧に伸ばした初老の紳士セバスと、水色の髪を揺らす令嬢セレスティーナ・クレセントが待っていた。
「おかえりなさいませ、ユキ坊っちゃま。……ジャガーの敗走、確認いたしました」
セバスが恭しく一礼する。
彼の報告によれば、ジャガーは緊急脱出ポッドで戦場を離脱し、帝国の本国へ向けて敗走中であるという。
「奴は『帝国に比肩し得る脅威が現れた』と報告するだろうな」
俺は頷き、冷徹な王子の顔でこれからの敵の出方を予想する。
ジャガーが報告しなくても、いずれその情報は伝わる。
(脅威を潰そうとこの町を攻めてくるか、それとも自分たちと対等な相手と認めて手打ちにするか……)
俺がどう動くかは、相手の出方次第だ。
まあ、なにはともあれ――
物理的な脅威は去った。
だが、これほどの大規模な戦闘があったのだ。
俺の「平穏」はいつまでも維持できないだろう。
「……ユキ様。浮かない顔をしていらっしゃいますのね?」
静寂を破ったのは、セレスティーナの涼やかな声だった。
彼女は優雅な所作で俺に歩み寄ると、蜂蜜色の瞳で俺を真っ直ぐに見据えた。
「アリア様たちは、自分たちの力で勝ったと信じて疑っていません。……ですが、この街を治める立場としては、あの『黒いゴーレム』を放置するわけにはまいりませんの」
「……セレスティーナ様。俺は、ただのポーターとして目立たず生きたいだけなんです」
「ええ、存じておりますわ。ですから……」
セレスティーナは、俺のポーター服の胸元に白魚のような指先を添えた。
至近距離から漂う高級な香油の香りと、彼女特有の知的な圧力が俺を包み込む。
「わたくし、王都に向けて内密に通達いたしますわ。……『アルトリア王国の生き残りの王子、ルキーユ・ルド・アルトリアは、クレセント辺境伯令嬢、セレスティーナ・クレセントの婚約者である』と」
「……っ!? な、何を言ってるんですか!」
俺の狼狽を愉しむように、彼女は不敵な笑みを深めた。
「いいですか、ユキ様。このままレベル1のポーターと亡国の王子を両立するのは無理があります。ならばいっそ、「レベル1のポーターユキ」と「亡国の王子ルキーユ・ルド・アルトリア」を分けてしまえばいいのです」
「亡国の王子であれば、表立って活動しなくてもいい。存在を隠すことは自然。――敢えてその存在をほのめかすことで、一人二役を演じる。……確かに、秘密を守るにはそれが最適かもしれませんね」
「フェルゼン王国も帝国の動きには神経をとがらせています。こうなったからには王国を味方につけておいた方がいい……でしょう?」
彼女の論理は、完璧だった。
領主令嬢の婚約者という社会的地位は、俺に最強の「隠れ蓑」を与える。
同時にそれは、彼女が俺の正体を握り続け、俺を一生自分の手のひらで転がすという宣言でもあった。
「……わたくし、あの方たちのように戦闘ではお役に立てませんが、知略においては負けませんわ。……ユキ様、わたくしはあなたの『盾』ではなく、あなたを王座へと導く、あるいは日常を守り抜くための『剣』になりますの」
彼女は俺の指先を取り、恭しく、そして情熱的に唇を寄せた。
その「確信犯的な誘惑」に、俺は顔が熱くなるのを抑えられなかった。
「……分かりました。セレスティーナ様。……あなたの知略に、俺の平穏を預けます」
「ふふ、賢明な判断ですわ、婚約者様」
こうして、アリアたち「白銀の乙女」には決して明かせない、王子としての新たな契約が成立した。
昼は彼女たちに溺愛される非力なポーター、夜は地下で世界を動かす王位継承者。そしてその傍らには、すべてを知った上で微笑む有能な令嬢。
亡国の王子の贅沢で不自由な二重生活は、新たな「共犯者」を得て、さらに深く、騒がしい迷宮へと足を踏み入れたのだった。




