第49話 転移陣の先とお茶会の令嬢
地下四百メートル。
世界の理から隔絶された地下遺跡の深層。
俺、ユキは、複雑な幾何学模様が刻まれた「祭壇」の前に膝をついていた。
指先からはレベル1617のステータスに裏打ちされた精密な魔力が流れ込み、古代の術式を一本の糸を解くように解析していく。
「(……よし。座標の固定、完了だ。魔力伝達系も修復済み)」
俺が求めていたのは、地下遺跡と地上を結ぶ「脱出口」だ。
古代遺跡の製作者たちが使っていたこの転移魔法陣を、俺の専用回線として書き換えることに成功した。
(帝国も不完全ながら、この転移網の一部を使用している形跡があった。だが――)
これで、この転移陣と脱出先は俺の専用通路となった。
この地下遺跡から地上の転移ポイントへと瞬時に移動できる。
俺は「平穏なスローライフ」を維持するためのインフラが整ったことに、小さな知的充足感を感じていた。
***
翌朝。
パーティハウスで朝食を作り終えた俺は、再び地下の秘密基地を訪れていた。
(テスト起動。対象、俺一人。……起動)
魔法陣が琥珀色の輝きを放ち、空間が歪む。
視界が白光に包まれ、重力が一瞬だけ消失した。
地中を移動する《土流転移》とは異なる、次元を跨ぐ滑らかな転移の感覚。
数秒後、俺の足元は冷たい石造りの床から、瑞々しい芝生の感触へと変わった。
だが、鼻孔を突いたのは遺跡の埃っぽさではなく、咲き誇るバラの香りと、高級な茶葉の芳香だった。
「……え?」
目を開けた俺は、絶句した。
そこは、街を一望できる高台に建てられた、白亜の柱が並ぶ美しい回廊の中庭だった。
噴水が涼しげな音を立て、丹念に手入れされた花々が琥珀色の朝日に映えている。
俺が解析した座標は――すなわち、この街の領主である「クレセント辺境伯」の別荘の敷地内だったのだ。
そして、その庭園の中央。
優雅な彫刻が施されたティーテーブルを挟んで、一人の少女が座っていた。
空のような淡い青色をした水色の髪。
蜂蜜のように温かみのある金色の瞳。
彼女は、突然空間から現れた不審者に対し、驚くどころか、あらかじめ客を待っていたかのような、不敵で優雅な微笑みを浮かべていた。
「あら。……ごきげんよう」
少女――クレセント辺境伯令嬢、セレスティーナ・クレセントは、手に持っていたティーカップをソーサーに置いた。
その所作一つに、アリアさんたちには欠片もない「完成された貴族の気品」が宿っている。
俺は咄嗟に「迷子」を演じようと口を開きかけたが、彼女の方が一瞬早かった。
「随分と派手な登場ですこと。……待ちわびましたわよ、ルキーユ・ルド・アルトリア王子様」
心臓が凍りついた。
名前を、それも公には抹消されているはずの「王族の本名」を完璧に呼ばれた。
彼女の瞳には、アリアさんのような無邪気な信頼も、ルナさんのような学術的な疑念もない。
そこにあるのは、獲物を完全に追い詰めた「知略家」の確信だった。
(……まずい。正体が、完全に漏れている。今すぐ、認識を書き換えないと――!)
俺は思考を加速させ、脳内に浮かぶ神話級スキルを起動した。
《神をも欺く偽装:レベル 1890》。
対象、セレスティーナ・クレセント。
彼女の脳内の「俺=王子」という情報を破壊し、「偶然迷い込んだ少年」という偽りの真実を定着させる――。
だが、発動の瞬間。
俺の視界に、これまでに見たこともない真っ赤な「システムウィンドウ」が割り込んできた。
『――警告。対象は「アルトリア生存者ネットワーク:協力者」として登録されています。精神干渉を実行した場合、リンクされたセバス、ミミ、および関連者計48名の記憶整合性に致命的なエラーが発生する恐れがあります。……スキル:パーフェクトフェイクの行使を強制停止します』
「……なっ!?」
俺の最大の武器である《偽装》が、俺自身の「守るべき家族」を人質に取られる形で無力化された。
呆然と立ち尽くす俺に対し、セレスティーナは椅子から立ち上がり、長い裾を揺らしながらゆっくりと歩み寄ってきた。彼女が纏う甘い花の香りと、知的な支配力を伴う熱量が、至近距離で俺を包み込む。
「どうなさいましたの? お顔が真っ青ですわよ、王子様」
彼女の白い指先が、俺の頬にそっと触れる。
逃げ場のない「秘密の共有」。
亡国の王子の平穏なスローライフは、辺境伯の令嬢という「共犯者」の出現によって、今、決定的な破綻を迎えた。




