第39話 墜落した賢者の獲物
「グギャアアアアア!」
インフェルノ・ドラゴンが、頭部に突き刺さった巨大な岩塊を振り払い、怒り狂った咆哮を上げた。
「偶然の落石」は、ボスの頭蓋骨を貫くには至らなかったが、そのプライドを激しく傷つけた。
ドラゴンは黒緋の翼を広げ、灼熱の風を巻き起こしながら、空洞の天井近くまで一気に飛翔した。
「チッ……! 飛んだか!」
アリアが魔剣『紅蓮丸』を正眼に構えたまま、届かぬ空を睨んで毒づく。
地上戦特化の彼女にとって、滞空する竜族は最悪の相性だ。
「ユキ、私の後ろから離れるな! フィーナ、二重結界だ!」
「はいっ、アリアさん! ユキくん、怖くないですからね、私がついています!」
フィーナが上気した顔で俺、ユキの手を握りしめる。
彼女のサファイアブルーの瞳は潤んでいるが、俺を守ろうとする意志は鋼のように硬い。至近距離から彼女の石鹸の香りが押し寄せるが、今の俺にはそれを楽しむ余裕はなかった。
上空のドラゴンが再び喉の奥に「白い光」を溜め始める。
先ほどのブレスよりも収束率が高い。
放たれれば、今度こそこの空洞ごと蒸発させられるだろう。
「……千載一遇。……論理的に、今、落とすしかない」
ルナが古びた魔導書を宙に浮かせ、全魔力を指先に集束させ始めた。
「――集え、天の怒り。我が敵を貫く、裁きの雷。《天雷の麒麟》!!」
大賢者による戦略級の雷撃魔法。
大気中のマナが火花を散らし、ドーム内にオゾン臭が充満する。
だが、インフェルノ・ドラゴンはジャガーの魔石によって活性化されており、その回避速度はルナの予測を遥かに上回っていた。
「……っ、機動力が、高い……! 狙いが、定まらない……!」
ルナの額に汗が浮かぶ。彼女は俺たちの前で「大賢者」としての威厳を保とうと、「……想定内。……確率論的な偏差を、修正中……」と強がっているが、その指先はわずかに震えていた。
(……ルナさん、そのままだと外れますよ)
俺はレベル1617の魔力を、足の裏から大地へと流し込む。
(《土魔法:広域・重力場》)
発動の瞬間、世界が物理的に一段階「重く」なった。
俺はドラゴンの真下の空間、半径数メートルだけを狙い撃ちし、重力定数を一時的に数十倍へ書き換えた。
「グギィイイイ!?!?」
空中からブレスを放とうとしていたドラゴンに、見えない数万トンの重りが圧し掛かる。
羽ばたきでは抗えない異常な「自重」に、ドラゴンの翼がメキメキと悲鳴を上げた。飛行バランスを完全に破壊されたボスは、きりもみ状態となって、ルナが構える魔法の射線へと「都合よく」吸い込まれるように墜落を開始した。
「……!? 落ちた……!? いまよ!」
ルナはその「偶然」を逃さなかった。
空から放たれた極大の雷撃が、無様に地面へ叩きつけられようとしていたドラゴンの脳天を、正確無比に貫いた。
ズドォォォォォォォォォン!!!
閃光がドーム内を真っ白に染め上げる。
断末魔の叫びさえも雷鳴に掻き消され、インフェルノ・ドラゴンは地面に激突すると同時に沈黙した。
「……魔力反応、消滅。……完全勝利よ」
ルナが肩で息をしながら、勝ち誇ったように俺を振り返った。
ススで汚れた顔で「……見た? これが、大賢者の、精密射撃」と自慢げに微笑む彼女の姿は、いつものポンコツさを忘れさせるほどに神々しい――が、実際には俺が重力で「標的を固定した」結果である。
「ユキーーーーッ!! やったぞ!!」
興奮が頂点に達したアリアが、背後から俺の首に腕を回して抱きついてきた。
「これはきっとお前の『幸運』のおかげだ! あのタイミングでドラゴンが勝手に失速して墜落するなんて! ユキがパーティーに入ってから幸運が続いている。やっぱりお前は幸運のポーターだ!」
戦乙女特有の熱い体温と、勝利に沸く激しい鼓動が俺の背中にダイレクトに伝わる。
「あ、アリアさん、近いです……苦しい……」
「ふふっ、ユキくん、本当によく頑張りましたね。神様が私たちを守ってくださったのです。さあ、こちらへ」
フィーナまでもが正面から俺を抱き寄せ、その豊かな母性で俺の視界を物理的に遮断する。
(……やれやれ。これじゃドラゴンと戦うより、心拍数の偽装の方が大変だな)
俺は《神をも欺く偽装:レベル1890》の出力を維持し、彼女たちの「無自覚な攻勢」に顔を赤くしながらも、「運が良かったです」と力なく笑った。
***
同じ頃、観測室。
ジャガーは、モニターに映るSランクパーティの歓喜の光景と、その中心で「もみくちゃ」にされているレベル1のポーターを、猛禽のような瞳で見つめていた。
(……異常な幸運値。……いや、あれはパーティ全体の運気を引き上げる特殊なパッシブ効果か?)
ジャガーの中で、ユキに対する評価が「無害なノイズ」から「Sランクパーティを支える最大の不確定要素」へと変化した。
(……あのポーターを奪えば、白銀の乙女は幸運を失い、容易に崩れる。……計画を変更する。狙うべきは、あのガキだったのだ)
帝国の暗殺者は、次なる陥穽の準備へと取り掛かった。
亡国の王子の平穏な日常は、勝利の甘い余韻と共に、さらなる騒乱の予感へと繋がっていくのだった。




