第38話 炎竜のブレスと守護の岩塊
A級ダンジョン『炎竜の巣窟』の最深部。
そこは、生命の存在を拒絶するような黒曜石のドームだった。
周囲を流れるマグマの川がゴボゴボと不気味な音を立て、立ち上る熱気が視界を陽炎のように歪ませている。
その中央、溶岩が滴る巨岩の玉座に、その怪物は鎮座していた。
『インフェルノ・ドラゴン』。
漆黒の鱗に覆われた巨体は、一呼吸ごとに周囲の酸素を焼き尽くす。
「ユキ、絶対に下がるな! 訓練で教えた受け流しを思い出せ! ――いや、忘れていい、私が全部斬る!」
アリアが魔剣『紅蓮丸』を正眼に構え、俺を背後に押し込む。
彼女の背中からは、かつてないほどの緊張による熱い体温と、戦乙女特有の清々しい野生の花の香りが漂ってくる。
「ユキくん。私の結界から一歩も出ないでくださいね。天の加護が、あなたを熱から守りますから」
フィーナが聖杖を握りしめ、黄金の結界《聖域ウォール》を展開する。彼女のサファイアブルーの瞳は潤んでいるが、そこには「弟」を守り抜くという強烈な母性が宿っていた。
「……《冷却結界》を二重に。……ユキの細胞の熱変性を、論理的に阻止する」
ルナが震える指で魔導書をめくる。
彼女たちは、自分たちの死よりも、俺という「レベル1のポーター」が焼かれることを何よりも恐れていた。
その時だった。
「グガァアアアアアアアッ!!」
インフェルノ・ドラゴンの咆哮がドーム全体を物理的に震わせた。
ドラゴンは巨大な顎を開き、その喉の奥に、太陽の中心部を凝縮したような「白い光」を集束させ始める。
「――っ! ブレスが来る!」
アリアの叫びと同時に、ドラゴンが白い熱線の奔流を吐き出した。
それは炎ではない。
物理法則を無視して対象を「蒸発」させる、高密度マナの指向性爆発だ。
ズドォォォォォォン!!!
白い光がフィーナの展開した結界を直撃する。
ギギギ、と空間が軋む音が響く。
ドームの壁面がブレスの余波だけでドロドロに溶け始めた。
「……っ! ぁ……っ!」
フィーナが絶叫に近い声を上げ、膝をつく。
彼女の聖なる魔力が、ドラゴンの異常な出力に押し負けていた。
――パリィィィィィン!!
Sランク聖女の最強防御が、ガラス細工のように砕け散った。
無防備になった俺たちの眼前に、残った白い熱線の壁が迫る。
「――くそっ!!」
アリアが、魔剣にありったけの闘気を込め、俺たちの前に一歩踏み出した。
「アリアさん、無茶だ!」
「ユキ、いいから黙っていろ! お前を焼かせるくらいなら……私の命を盾にする!」
彼女は、一人の剣士が受け流せる範囲を遥かに超えた熱線の濁流に対し、その身を投げ出そうとしていた。アリアの「つよがり」が、最悪の自己犠牲へと変わろうとしたその瞬間。
(……やれやれ。本当にお節介で、最高のお姉さんだ)
俺は、彼女たちの死角で右手の指先を静かに天井へと向けた。
俺が地脈を通じて行使するのは、極大魔法。
(《土魔法:極大岩塊・即時生成》)
ドラゴンの真上、天井の岩盤組成をコンマ数秒で書き換え、超高密度の鋭利な岩塊を創造した。
ズガァァァァァァァァァァン!!!
突如として天井が崩落したかのように、巨大な岩塊がインフェルノ・ドラゴンの頭上に垂直に直撃した。
凄まじい衝撃。
ドラゴンの首が強引に地面へと叩きつけられ、その巨大な顎が物理的に閉じられる。行き場を失ったブレスがドラゴンの口内で爆ぜ、黒煙がドームを満たした。
俺たちの前には、不自然なほど精密にブレスの射線を遮断した「巨大な岩の楔」が、ドラゴンの頭部に突き刺さったような形で鎮座していた。
「……え?」
死を覚悟し、目を瞑っていたアリアが、呆然と声を上げた。
「……助かった、の……?」
フィーナが震える手で俺の裾を掴む。
アリアは、ドラゴンの頭部を地面に釘付けにしている巨大な岩塊を見上げ、そして俺を振り返った。
「なっ……! お、おぉぉ!? なんだ今の落石!? 完璧なタイミングじゃないか!」
その言葉を合図に、俺は脳内で《神をも欺く偽装:レベル 1890》の指向性出力を最大まで引き上げた。
このスキルの真価は、ステータスを隠すことではない。
観測者の思考回路に干渉し、不自然な事象を「最も都合の良い解釈」として脳に定着させる認識の汚染にある。
(……そうだ。ドラゴンの咆哮とブレスの熱で天井が脆くなり、偶然落ちてきた。これはただの『幸運』だ)
俺が「物語」を彼女たちの脳に直接流し込む。
「そ、そうか! さっきのブレスの熱で天井が脆くなって、偶然落ちてきたんだな! なんてラッキーなんだ!」
アリアが、俺の意図した通りの結論を叫ぶ。
ルナもまた、大賢者としての緻密な推論を「幸運」という不確定要素によって強制的に上書きされ、アメジストの瞳を激しく揺らした。
「確率論的にはありえないわ。……けれど、これがユキの『幸運値』に引き寄せられた奇跡だというのなら……全ての式が成立してしまう……」
ルナの知性が、俺の仕掛けた偽装の軍門に降る。
遠く離れた観測室でモニターを注視していたジャガーもまた、その鋭い鑑定眼を《パーフェクトフェイク》によって曇らされていた。
「……チッ。なんと不運な。ドラゴンを強化したことが仇となったか……」
最強の暗殺者さえも、自らの実験が「事故」で妨害されたと誤認した。
俺は「レベル1のポーター」として、膝をガクガクと震わせる演技をしながら、気恥ずかしそうに頭を掻いた。
「は、はは……。運が良かったです。……本当に、怖かった」
だが、安堵の時間は一瞬だった。
ズズッ、と目の前の「岩の楔」が動き、地面が震える。
「グ……ッ、グギャアアアアア!!」
頭部に岩塊をめり込ませたまま、インフェルノ・ドラゴンが怒り狂った咆哮を上げた。まだ死んではいない。それどころか、プライドを傷つけられたボスの魔力濃度が一段階跳ね上がる。
「アリアさん、まだ敵は生きてます!」
「分かっている! ユキ、下がっていろ。……この『幸運』は無駄にしない!」
アリアが魔剣を握り直し、再び戦乙女の顔に戻る。
俺は彼女たちの背中を見守りながら、次なる「偶然」を演出するための魔力を足裏に溜め始めた。
平穏を守るためのサポートは、まだ中盤に差し掛かったばかりだった。




