第36話 A級ダンジョン『炎竜の巣窟』
アリアによる「洗濯物破壊事件」から数日、王都のパーティハウスには奇妙な緊張感が漂っていた。
アリアは家事を禁じられたもどかしさを訓練にぶつけ、ルナは恋心を隠すように俺を監視し、フィーナは「お姉さんムーブ」を強化しようと手ぐすねを引いている。
俺、ユキはレベル1617のステータス を持ちながらも、彼女たちの「誘惑」と「重すぎる愛」に、レベル1のポーターとして胃を痛める日々を送っていた。
その平穏を破ったのは、ギルドからの緊急招集の鐘だった。
俺たちはギルドマスターの執務室に呼び出された。机の上に広げられていたのは、王都の管轄区内でも最悪の難易度を誇るA級ダンジョン『炎竜の巣窟』の構造図だった。
「単刀直入に言おう。現在、このダンジョンが異常な『活性化』を起こしている」
ギルドマスターの言葉に、アリアたちの表情が剣聖・賢者・聖女のそれに切り替わる。
報告によれば、魔物の出現頻度が通常の数倍に跳ね上がり、最深部の主が目覚めれば辺境伯領に『大災害』が起きる恐れがあるという。
「Sランクである君たちにしか、この調査と鎮圧は頼めない」
「……承知した」
アリアが即答する。
だが、俺は彼女の指先がわずかに震えているのを見逃さなかった。前回のゴーレム戦 と連日の無理な訓練で、彼女たちの疲労は完全には抜けていない。
それでも、彼女たちは俺の前で「最強」を演じようと胸を張った。
「ユキ、お前は絶対に伴ていく。お前の『幸運』が必要だからな!」
アリアが俺の肩を抱き寄せ、戦乙女特有の清々しい香りを漂わせながら宣言する。
「ユキくん。ポーションは私が全て持ちます。あなたは転ばないように、私の手首を掴んでいればいいんですよ」
フィーナがおっとりと、しかし拒絶を許さない母性を瞳に宿して微笑む。
「ユキ。私の魔導障壁の座標に、お前の存在を固定する。……一歩でも外に出ることは、論理的に許さない」
ルナが俺の服の袖をぎゅっと掴み、紫色の瞳で独占欲を露わにする。
(……過保護が過ぎる。だが、彼女たちがここまで必死になるのは、俺を失うことへの恐怖の裏返しだ)
俺は「平穏」を守るため、そして俺の「盾」である彼女たちが壊れないようにするため、同行を承諾した。
**
半日後。
一行は王都南西の火山地帯に位置する『炎竜の巣窟』の入り口に到着した。
噴き出す硫黄の臭いと、肌を焼く灼熱の空気。アリアが魔剣『紅蓮丸』を抜き、ルナが《冷却結界》を展開する。
俺はポーターのリュックを背負い直すふりをして、右足のつま先を地面に触れさせた。
(《土魔法:広域探知》)
意識を地中へ、地脈へと沈める。
数秒でダンジョンの全構造が脳内に三次元図として構築される。
そこで俺は、明確な「異常」を感知した。
「……?」
ダンジョンの入り口付近、そして主要な通路の分岐点。
地中深くの特定の座標に、不自然な高密度の魔力源が設置されている。
それは天然の魔力循環を阻害し、あえて一箇所にマナを滞留させて魔物を狂わせる「魔力の杭」だった。
(……自然の活性化じゃない。これは、誰かが意図的にダンジョンを暴走させている)
脳裏に浮かぶのは、帝国の暗殺者『ジャガー』 の存在だ。
奴は潜伏している。
そして、クレセントの最大戦力である『白銀の乙女』の実力を見極めるか、あるいはこの場所で葬るために、この事態を仕組んだ。
俺は上空を仰ぐ。
そこには、熱気で歪む空気の中に、複数の不自然な鳥の影があった。
ジャガーの使い魔だろう。
奴は俺のことを「Sランクに飼われている無害なペット(ノイズ)」 と断じ、監視の優先順位を下げている。
「ユキ? 暑さでぼーっとしているのか? ほら、私の後ろにいろ!」
アリアが俺を背中に引き寄せる。
彼女の背中からは、戦闘への緊張による熱い体温が伝わってきた。
「ユキくん、この冷却石を持ってくださいね。大丈夫、お姉さんたちが必ず守りますから」
フィーナが俺の手に冷たい魔石を握らせる。
その手は、先ほどよりも少しだけ強く握られていた。
彼女たちは、自分たちが帝国の巨大な実験場 に放り込まれたことにまだ気づいていない。
だが、それでいい。
彼女たちが「最強の姉」として格好をつけ続けられるように、俺はこのダンジョンの理を裏から上書きし、どんな「人為的な絶望」も「幸運な偶然」に変換して処理するだけだ。
「……はい、信じてます。アリアさんたちが一番強いですから」
俺は《神をも欺く偽装》 の出力を安定させ、一歩、灼熱の洞窟へと踏み出した。
亡国の王子の、贅沢で不自由な「日常維持」のための戦いが、A級という極限の舞台で幕を開けた。




