第24話 貴族の作法と嫌味な男
クレセント辺境伯の館は、暴力的なまでの光と香りに満ちていた。
天井で輝く無数の魔導シャンデリアが、鏡のように磨かれた大理石を照らし出し、行き交う貴族たちが纏う高価な香水の匂いが、重く澱んだ空気を形成している。
だが、その華やかな円舞曲の調べの中で、Sランクパーティ『白銀の乙女』の三人は、まるで場違いな戦場に放り出された新兵のように浮いていた。
「……ユキ。この布、呼吸を阻害するわ。肺活量が通常の六割まで低下。非論理的な装束ね」
スレンダーなミッドナイトブルーのドレスに身を包んだルナが、不機嫌そうに毒づく。彼女は開始早々、知的なイメージを保つことも放棄し、ビュッフェの隅で山積みのローストビーフを鑑定するように見つめていた。
「あらあら……。アリアさん、そんなに肩を怒らせては、せっかくのドレスが台無しですわよ」
純白のシルクを纏ったフィーナが、おっとりと、しかし困惑を隠せずに微笑む。
そしてリーダーのアリアは、燃えるような赤髪を強調する深紅のサテンに包まれていたが、その顔は戦場でのそれよりも強張っていた。
「ど、どうだユキ……おかしくないか!? 私、鎧を着ていないと、どうやって腕を振ればいいのか分からんのだ!」
「……お似合いですよ。ただ、アリアさん。今は『紅蓮丸』を抜く必要はありませんから、拳を解いてください」
俺、ユキは、彼女たちが新調してくれた上質なポーター制服の襟を正しながら、一歩後ろで溜息をついた。
値踏みするような貴族の視線。
それが背中に突き刺さるたび、俺の「平穏」への本能が警鐘を鳴らしていた。
惨劇は、ダンスの時間に訪れた。
Sランク冒険者という「珍獣」を一目見ようと集まった若い貴族の一人が、アリアに手を取らせることに成功した。アリアは「リーダーとしての義務」を果たすべく、死地に赴くような悲壮な決意でフロア中央へと踏み出した。
だが、彼女の身体は、魔物を両断するための「鋼のバネ」そのものだった。
「――っ! 行くぞ!」
曲の入りを間違えたアリアが、焦って踏み込んだ。
Sランク剣聖の異常なSTR(筋力)が、ピンヒールの細い一点に集中する。
「――ギ、ギャァァァァッ!?」
フロアに響き渡ったのは、優雅な音楽を切り裂く、青年の悲鳴だった。
アリアの鋭すぎるステップは、青年のつま先を文字通り「粉砕」していた。
悶絶し、従者に担ぎ出される青年。会場には冷ややかな沈黙と、クスクスという嘲笑が、毒の霧のように広がっていく。
「……やれやれ。辺境伯も、よほど人材に困っているとお見受けする」
その静寂を割って進み出たのは、狐のような細い目をし、過剰な装飾の礼服を纏った男――アルフレッドという名の貴族だった。
「Sランクと聞いてどれほどのレディかと思えば、踊りも踊れず、相手を負傷させるとは。所詮は平民、剣を振ることしか知らぬ蛮族か」
「なっ……!」
アリアの赤い瞳が、ルビーのような殺意に染まる。
彼女の周囲で、物理的な重圧を伴う「闘気」が渦巻き始めた。
このままでは、彼女が「暴力」という回答を選び、パーティの社会的な死を招くことになる。
(……このまま放置するのはマズい)
俺は壁際の影から滑らかに歩み寄り、アリアの前に進み出た。
「……失礼を。アルフレッド様」
「ん? なんだ貴様は。ポーター風情が、主人の醜態を庇いに来たか?」
俺は彼を、石ころを見るような無機質な瞳で一瞥した。
それだけで、アルフレッドの言葉が詰まる。
俺は呆然とするアリアに向き直り、右手を胸に当て、流麗な所作で片膝を突いた。それは王家の教育係セバスに骨の髄まで叩き込まれた、本物の「騎士」の礼だった。
「アリアさん。俺も平民ですが――よろしければ一曲、お相手願えませんか?」
「え、ユ、ユキ……? 待て、お前の足も折ってしまうぞ!」
「大丈夫です。俺のリードを信じてください」
俺は困惑するアリアの手を取り、ダンスフロアの中央へと導いた。
曲が始まると同時に、俺の身体に染み付いた「王族の教養」を解放する。
流麗なステップ。
アリアの剣聖としての高い敏捷性を逆手に取り、彼女のわずかな重心のブレを全て俺が先読みしてカバーする、完璧なリード。
俺たちの動きは、アルフレッドのような地方貴族の付け焼き刃とは一線を画す、洗練された王宮舞踏そのものだった。
会場中の視線が俺たちに釘付けになる。
アリアは驚きで顔を上気させながらも、俺のリードに身を任せ、これまで見せたことのない、しなやかで優雅な貴婦人の姿を披露していた。
一曲が終わる頃、フロアには水を打ったような静寂が落ちた。
その喧騒から離れた二階のバルコニー。
水色の髪に、蜂蜜のような金色の瞳を持つ少女――辺境伯令嬢セレスティーナだけは、少しも動じることなく、俺の所作を冷徹に観察していた。
「……見つけましたわ。レベル1のポーターという『偽装』を纏った、本物の王子様を」
彼女の不敵な微笑みに、まだ誰も気づいていなかった。




