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最強の《土魔法》使いの少年――バレると面倒なのでレベル1ポーターを演じてます  作者: 猫野 にくきゅう


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第21話 敗北者の記憶と、仄甘き帰還路

 ――それは、マルスの人生において、最も「純粋な恐怖」に触れた瞬間だった。


 Bランクパーティ『赤き流星』のリーダーとして、これまで数多の魔物を屠ってきた自負がある。赤毛を振り乱し、茶色の瞳に闘志を宿し、常に先頭に立ってきたという確信があった。


 レベル1の寄生虫であるユキを、ゴミのように見下してきたのも、彼なりの論理と経験則に裏打ちされた判断だったはずだ。


 だが――。


 ゴブリン・キングの太い腕に吊るされ、骨が軋み、肺から空気が抜け、死を覚悟したその瞬間。マルスの網膜は、世界のことわりが音もなく書き換わる光景を、克明に焼き付けていた。


(……な、なんだ、今の……!?)


 白い髪を地味に整えた少年の背後に、この世のものとは思えないほど巨大で冷徹な何かが、ゆらりと立ち上がったのだ。まるで星の地脈そのものが具現化し、王冠なき王の影となって顕現したかのような錯覚。


 放たれた石礫は、空気を切り裂く音さえも置き去りにし、鉄以上の質量を宿した凶弾と化してキングの腕を粉砕した。肉が裂け、骨が砕け、絶叫が森を震わせる。


 偶然でも幸運でもない。


 どさり、と地面に放り出されたマルスは、湿った土の匂いと血の鉄臭さを同時に嗅ぎながら、荒い呼吸の中でゆっくりと顔を上げる。


 視界の端で、三聖女たちは勝利の余韻に浸っていた。

 赤髪のアリアは剣を担ぎ、青髪のルナは魔力の残滓を観察し、金髪のフィーナは祈りを捧げている。彼女たちは死角にいる。


 その隙間を縫うように、影が差した。


 白い髪。

 茶色の瞳。

 地味で、冴えないはずの少年。


 ユキは倒れ伏すマルスの耳元に、ゆっくりと顔を寄せた。

 吐息がかすかに頬を撫でる。その距離、その角度、その静けさ。すべてが計算され尽くしているかのようだった。


「……不快ですね。これ以上、俺の『平穏』を掻き回さないでください」


 低く、静かで、しかし絶対的な強者の声。

 その声に宿った魔圧だけで、マルスの心臓は一瞬、鼓動を忘れたかのように凍り付く。


 目の前にいるのは、レベル1のポーターではない。


 この国の王、いや、世界の支配者さえもひざまずかせる覇気を纏った「亡国の王子」。その片鱗を、ほんの一瞬だけ垣間見てしまったのだ。


(あ……あぁ……。俺は、こいつを怒らせたのか……? やばい、やばいぞ……!)


 全身が粟立ち、喉がひくりと痙攣する。

 声が出ない。


 誇りも怒りも、すべてが圧し潰されていく。

 そのマルスに向け、ユキは慈悲のない瞳で、最後の一手を放った。


 《神をも欺く偽装パーフェクトフェイク:レベル 1890》。


 それは本来、己のステータスを隠すための盾。


 だが今は違う。

 マルスの脳裏に刻まれた「圧倒的な強さ」という真実を、強制的に塗り潰す。


 拒絶させる。歪める。

 そして代わりに、「あまりにも無価値で、運が良かっただけの無能」という虚構を、静かに、確実に流し込んでいく。


「……ぁ、あ……?」


 数秒後、マルスの瞳から恐怖の火が消えた。

 代わりに込み上げてきたのは、焼け付くような屈辱。


(……そうだ。俺は……あのレベル1の、運がいいだけのゴミに……命を救われたのか……?)


 拳を地面に叩きつける。

 湿った土が砕け、爪の間に入り込む。


 視界に映るユキは、いつものように困ったような笑みを浮かべている。

 頼りなく、情けなく、守られる側の少年。


 無能に救われた。

 最強(自称)の自分が、だ。


 社会的にも、精神的にも、これ以上ない処刑。

 それこそが、ユキが下した最も冷徹な「事後処理」だった。



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 【おまけ:ギルドへの帰還路】


 戦場を後にした馬車の中は、勝利の熱気と、どこか弛緩した甘い空気に包まれていた。車輪が石畳を叩く規則的な振動が、身体の奥にまでじんわりと伝わってくる。


「はーっ、すっきりした! まさかユキがゴブリンキングの意表を突くとはな! さすが私のポーターだ!」


 赤髪を揺らすアリアが、装備の一部を脱ぎ捨てたラフな姿で、俺の隣にドカリと座り込んだ。くれないの瞳が、無邪気な誇らしさに輝いている。


 彼女が動くたび、戦乙女特有の清々しい野生の花の香りと、激しい運動後の熱を帯びた肌の匂いが、狭い車内に広がる。


 そして、無自覚だ。


 俺の腕に、豊かな胸元を押し当てるようにして、ガシガシと頭を撫で回してくる。


「……ユキ。今日の『幸運』、あとで論理的に説明を求める。今は……疲れた」


 反対側から、青髪のルナが俺の服の裾をぎゅっと掴み、そのまま肩に銀糸のような髪を預けてきた。紫の瞳――アメジストが半分閉じられ、知性の光を湛えながらも、どこか小動物のように無防備だ。


 彼女から漂う古いインクと、微かな甘い菓子の香りが、理性を静かに削っていく。


「ユキくん、本当にお疲れ様でした。さあ、わたくしの膝へ……。お顔を綺麗にしてあげますね」


 正面では、金髪のフィーナが蕩けるような聖女の微笑みを浮かべている。

 プラチナブロンドが夕陽を受けて輝き、碧眼――サファイアブルーが柔らかく細められる。


 清潔な石鹸の香りと共に差し出されたハンカチ。


 だがその瞳は、もはや「弟」を見るそれではない。

 獲物を慈しむ捕食者のような、重すぎる愛が潤んでいる。


(……やれやれ。マルスの記憶を書き換えるより、このお姉さんたちの『無自覚な攻勢』を捌く方が、よほど魔力を使うな)


 俺、ユキは、レベル1617のステータスを総動員して動悸を抑え込みつつ、窓の外に広がる夕焼けを見つめた。


 リゼルド帝国の影は、確実にフェルゼン王国へと伸びている。


 それでも――今この瞬間、俺の肩にかかる彼女たちの重みと、肌に伝わる柔らかな体温の方が、よほど直接的に「平穏」を脅かしているのは皮肉だった。


「あ、アリアさん、近いです。……ルナさんも、寝るなら向こうの席で……」


「嫌だ。ここが最も居心地がいい」


「ふふっ、ユキくん、真っ赤ですよ? よしよし」


 笑い声が重なり、馬車は王都へと進む。


 亡国の王子、ルキーユ・ルド・アルトリア。

 その正体を隠し、レベル1のポーターを演じる俺にとって、この三人こそが最高に贅沢で、最高に不自由な「隠れ蓑」だ。


 王都の門を潜るまで、戦いは終わらない。

 それが魔物であれ、帝国であれ――あるいは、隣に密着する戦乙女であれ。


 俺の帰還路は、今日もまた、仄甘く騒がしい。

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