第19話 Sランクの実力と、ポーターの「思慮」
C級ダンジョン『ゴブリンの砦』。
本来であれば中堅冒険者の訓練場に過ぎないはずのこの迷宮は、いまやリゼルド帝国が仕掛けた「活性化」によって、別物へと変貌している。
空気が重い。
どす黒い魔圧が霧のように充満し、鼻腔を刺す獣臭と、肌をチリチリと焼く不快な魔力が、じわじわと体力と集中力を削っていく。
だが――。
赤髪を揺らし、Sランク・剣聖アリアが魔剣『紅蓮丸』を抜き放つ。
鞘走りの音と同時に、紅蓮の軌跡が弧を描いた。
炎が奔り、オーガの巨腕を弾き飛ばす。
青髪の大賢者ルナが古びた魔導書をめくると、絶対零度の氷塊が出現し、ホブゴブリンの群れを地面へ縫い留めた。
さらに、金髪の聖女フィーナが両手を重ねると、慈愛の光が波紋のように広がり、全滅寸前だった『赤き流星』の面々を包み込んだ。
俺――ユキの秘密裏のサポートもあり、アリアたちは難敵であった三体のオーガを完全に沈めていた。
***
圧倒的。
それは疑いようがない。
残るは、広間の奥、骨で作られた玉座に鎮座するボス――
『ゴブリン・キング』のみ。
「ユキ、お前は下がっていろ! あとは私たちが一瞬で片付けてやる!」
アリアが魔剣『紅蓮丸』を正眼に構え、燃えるような赤髪を鋭く翻して宣言した。
ルビーレッドの瞳が、獲物を射抜く獣のそれのように細められている。
彼女の背中からは、戦闘の高揚で上がった体温と、戦乙女特有の清々しい野生の花の香りが漂ってくる。
その熱が、俺の頬にまで伝わる距離だった。
「……はい」
俺は短く応じ、広間の入り口付近、崩れた岩の死角へと下がる。
荷物を守るふりをしてひっそりとしゃがみ込み、視線だけを戦場に向けた。
(さて、どうしたものか……)
実は土魔法のソナーでこの周囲を探査した時、敵の伏兵を見つけていた。
ゴブリンキングの余裕は、その伏兵の存在があるからだろう。
(偶然を装って発見するか――?)
ちらっと後ろを振り返るが、伏兵の姿は視認できない。
(Sランクの剣聖ですら気づかない姿を隠した敵を、レベル1の俺が探し当てるというのもかなり不自然なんだよな……)
偽装スキルは人の認識を歪めるものだ。
認識の変更が大きいほど、対象の負担も重くなる。
(ここはまだ、成り行きを見守るか)
俺は敵を泳がせることにした。
いざとなれば、この程度の敵の罠を打ち破るなど造作もない。
レベル1617という、常識外れのステータスがもたらす精神的余白だ。
**
このダンジョンのゴブリンキングは、ただの野蛮な魔物ではなかった。
狡猾な知能。
それが、最強のSランクたちに一瞬の隙を生み出す。
「――グギィッ!」
キングが、人間には聞き取れない高周波の命令を放った瞬間。物陰に隠れていた伏兵のホブゴブリンたちが、自らの命を顧みない肉壁となってアリアたちへ特攻を仕掛けた。
「雑魚が、邪魔だっ!」
アリアとルナがその対処に、ほんの一瞬だけ意識を割いた刹那。
キングの巨体が、その巨躯に見合わぬ速度で地響きを立てて突進する。
石床が割れ、粉塵が舞い上がる。
狙いは、最強の聖女たちではない。
恐怖で腰を抜かし、逃げ場を失っていたBランクパーティ『赤き流星』のリーダー、マルスだった。
「がはっ……!?」
丸太のような太い腕が、マルスの首を軽々と鷲掴みにする。空中へと持ち上げられた彼の喉元に、毒を塗られた錆びた短剣の冷たい刃が突き立てられた。
「……動くな、ニンゲンども。この男の首が欲しくなければな」
醜悪な嘲笑。
震える声に含まれた殺意が、空気を一段と冷やす。
(……ああ。そう来たか)
俺は「レベル1のポーター」という気弱な少年の仮面の裏で、人質に取られたのが彼で良かったと安堵していた。




