第16話 再会、嘲笑するBランクパーティ
朝の柔らかな光が、パーティハウスの大きな窓から斜めに差し込み、磨き上げられた床板の上に淡い金色の帯を描いていた。
昨晩、隠れ家でセバスと向き合い、共有した「祖国滅亡」の記憶。その重さは、夜を越えた今もなお、俺の胸の奥底に冷たい澱となって沈殿している。
アルトリア王国を追われ、ルキーユ・ルド・アルトリアという名を捨て、ユキとして生きると決めたあの日から、感情は常に制御してきたはずだった。それでも、血と炎の匂いを伴う過去は、ときおり不意打ちのように呼吸を浅くさせる。
だが――。
キッチンから漂ってくる煮込みスープの芳醇な香りと、階段をドタドタと駆け下りる遠慮のない足音が、その沈鬱を容赦なく日常へと引き戻した。
「ユキ! 準備はいいか? 今日は久しぶりにギルドへ行くぞ!」
弾む声とともに姿を現したのは、燃えるような紅の髪を揺らすアリア。ルビーレッドの瞳が朝日を反射し、まるで本物の炎のように輝いている。
彼女たちは、先のD級ダンジョンで俺が「恐怖した」と勝手に解釈し、この数日間、冒険者としての活動を休止していた。「リハビリ」という名目で、過保護極まりない世話を焼き続けていたのだ。
「……ユキ。今日の朝食、濃度が最適。だが、私はもっと肉を、タンパク質を求める」
青髪を無造作に揺らしながら、ルナが幽霊のような足取りで近づき、俺の裾をぎゅっと掴む。紫の瞳――アメジストのような光が、真顔のまま真剣に肉を訴えていた。
「あらあら、ルナさん。まずはユキくんを解放してあげてください」
柔らかな声が割って入る。プラチナブロンドの髪を朝日に煌めかせたフィーナが、碧い瞳を細めて微笑んだ。
「……ユキくん、今日はお姉さんたちがしっかり守ってあげますからね?」
その手が、慈しむように俺の白い髪を撫でる。目立たぬよう整えられたそれを、彼女は宝物でも扱うかのように優しく触れた。
守られる側。
レベル1のポーター。
それが今の俺の立場だ。
数分後、俺たちはクレセントの冒険者ギルドへと足を運んだ。
重厚な木製の扉を押し開けた瞬間、むわりとした熱気が全身を包み込む。安酒の酸っぱい匂い、脂ぎった男たちの汗、手入れを怠った武具の錆びた臭い。それらが混ざり合い、空気そのものが濁っているかのようだった。
だが、その淀みは一瞬で塗り替えられる。
Sランク三人が放つ圧倒的な存在感と、清廉な香り。
視線が一斉に集まり、ざわめきが波紋のように広がった。俺はその後ろで、ポーターとして一歩下がり、気配を薄く保つ。
「……ん? おい、見ろよ。あの寄生虫……」
掲示板の前から、下卑た笑い声が響いた。
くすんだ赤毛、歪んだ薄笑い。Bランクパーティ『赤き流星』のリーダー、マルスだ。
「よぉ、ユキじゃねえか。まだレベル1のままで、Sランク様に寄生してたのか? どんな手を使って、そのお姉さんたちを騙したんだ? ああ?」
嘲弄が、空気を裂く。
背後には、かつての仲間だったエリナとサラの姿もある。
「ユキくん!? 久しぶり……元気だったの?」
薄い茶髪のエリナが青い瞳を揺らし、緑がかった髪のサラも茶色の瞳を見開く。二人が駆け寄ろうとした瞬間、マルスが腕を広げてそれを遮った。
「なれなれしくすんな。そいつは運良くSランクに拾われただけのゴミだ。レベル1のポーターなんて、戦場じゃ足手まとい以外の何物でもねえ」
ギルド中に嘲笑が広がる。
俺は無言で受け流した。
亡国の王子としての矜持は、こんな小物の挑発では揺るがない。怒りも屈辱も、すでに制御の内側だ。
だが――。
隣に立つ『剣聖』は違う。
キィン、と。
アリアの腰に佩いた魔剣『紅蓮丸』が、鞘の中で鋭く鳴いた。
その瞬間、空気が変質する。音が遠のき、呼吸が重くなる。目に見えぬはずの闘気が、絶対零度の殺意となってマルス一点に集中した。
「……今、なんと言った? 貴様」
「ひっ……!?」
正面からSランクの殺気を浴びたマルスの喉が、蛙のように引き攣る。
膝が震え、足元が不安定に揺れた。
「私たちの、大切な仲間を……ゴミと言ったか? この『剣聖』アリアの目の前で……よくもほざいたものだな」
柄にかかる手。
本気だ。
ルナの紫の瞳には濃密な魔力が宿り、フィーナの微笑みからは温度が消えている。
(……まずい。これでは『平穏』が遠のく)
俺は一歩前に出て、アリアの熱を帯びた右腕をそっと掴んだ。華奢に見えて、その内側には竜のような力が眠っている。それを、確実に止める。
「アリアさん。止めてください。これ以上はギルドの規約違反ですよ」
「だがユキ! こいつはお前を――!」
「大丈夫です。俺は気にしていませんから。……ね?」
穏やかに、しかし抗えぬ威厳を込めて見つめる。
王座に座すはずだった者の視線。
「……っ」
アリアは頬を真っ赤に染め、毒気を抜かれたように手を離した。最強の剣聖が、少年の指先一つで宥められる。その光景に、周囲は言葉を失う。
俺は視線をマルスへ向け直した。
「マルスさん。俺たちは、この『ゴブリンの砦』の依頼を受けますので」
破りかけられていた依頼札を丁寧に整え、カウンターへ持っていく。マルスの顔は、命拾いした安堵と、拭いきれぬ嫉妬で歪んでいた。
「……偶然だ。俺たちもその依頼を受ける。見てろよ、レベル1を連れてるお前らに、Bランクの意地を見せてやる!」
同じダンジョン。
明らかに面倒な展開だ。
俺は内心で小さく溜息をつく。波風を立てず、目立たず、ただ静かに生きる。その理想から、また一歩遠ざかる。
それでも。
背後から無自覚に腕へ密着してくるアリアの体温。裾を離さないルナの指先。耳元で「守ってあげますからね」と囁くフィーナの柔らかな息遣い。
過剰なまでの温もりに包まれながら、俺は静かに歩き出す。
次の戦場――『ゴブリンの砦』へと。




