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最強の《土魔法》使いの少年――バレると面倒なのでレベル1ポーターを演じてます  作者: 猫野 にくきゅう


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第14話 賢者の(生命維持)独占欲

 パーティハウスのキッチンは、今やこの屋敷における唯一の聖域であり、同時に最も重要な「生命維持装置」と化していた。


 大鍋の中でスープがコトコトと踊る。


 琥珀色の液体の奥で、煮崩れた肉と香味野菜が静かに溶け合い、互いの旨味を引き出し合っている。その湯気は柔らかく立ち上り、無機質な大理石の床にまでぬくもりを錯覚させるほど濃厚な香りを帯びていた。


 鼻腔を満たすそれは、理屈ではなく本能に直接訴えかける――

 暴力的なまでの食欲。


 俺、ユキは、お玉でゆっくりと円を描きながら、背後に漂う「気配」に気づいた。いや、気配というにはあまりにも重い。


 凍てつくようでいて濃密な、魔力の集束体。

 空気の温度が一段、下がったような錯覚。


「わっ!? ……ルナさん、いつの間に」


 振り返った瞬間、心臓が跳ねる。


 そこに立っていたのは、青髪を無造作に揺らしたSランクの大賢者ルナだった。幽霊のように音もなく、しかし確かな存在感をもって、俺の背後に佇んでいる。


 アメジストの瞳。その下には深い隈。

 長時間の研究を物語る疲労の色が刻まれているにもかかわらず、視線だけは異様なほど鋭い。未解読の古代文献を睨むとき以上の集中力で、まっすぐ俺を射抜いていた。


「……ユキ。議題がある」


 低く、静かな声。


 ルナは音もなく距離を詰めると、俺のポーター服の袖を細く白い指でぎゅっと掴んだ。その指先は冷たいのに、力は驚くほど強い。


「議題? お腹が空いたんですか?」


「それも含む。だが、今日はより構造的な問題よ」


 構造的。

 嫌な予感がする単語だ。


 彼女は袖を掴んだまま、逃がすまいとする意思を込めてわずかに力を強めた。


「ユキ。あなた、先日『実家に仕送り』と称して、ハウスを不在にしたわね」


 心臓が一拍、遅れて跳ねた。


 あの日。

 亡命者ネットワークとの密会。俺の裏の動き。


 だが《偽装》は完璧に機能している。足取りも痕跡も、魔力の残滓すら消してある。冷静になれ、と自分に言い聞かせる。


「ええ、それが何か?」


 あくまで自然に、平静を装う。

 ルナはじっと俺を見つめたまま、ゆっくりと言葉を落とした。


「……あの一日。私が、何を摂取していたか覚えている?」


「え?」


 彼女は忌々しげに首を横に振る。


「あの日、あなたが用意したサンドイッチが尽きた後、私が直面したのは……『干し肉』という名の絶望だった」


 指先が、かすかに震える。


「石のように硬く、噛むたびに顎の骨を軋ませ、味覚という概念そのものを否定するような……あの、不毛な物体を……!」


 Sランクの大賢者が、干し肉ごときでここまで語るとは。


 だが理解はできる。


 俺の料理を日常的に摂取してしまった彼女にとって、一般的な保存食はもはや食事ではない。研究の合間に流し込む燃料ですらなく、ただの苦行だ。


 味の落差は、思考力を削る。


「ユキ。私は合理的な判断を下したわ。……あなたは、危険よ」


「俺が、ですか?」


「そう。あなたの料理――生命維持インフラは、私の生存に不可欠な要素。それが『実家への帰省』という不確定要素によって、予告なく途絶えるリスク。これはパーティ最大戦力である私を維持する上で、看過できない脆弱性ボトルネックよ」


 淡々とした分析。

 だがその前提が、どう考えてもおかしい。

 ルナは袖を掴んだまま、さらに一歩踏み込む。


 至近距離。


 鼻先が触れそうなほど近い。

 古い紙とインクの香りが、スープの湯気と混ざり合う。知性と生活の匂いが、奇妙に交錯する空間。


「そこで、提案があるわ。第一案。あなたが実家に帰る頻度を、現在の月一回から、年一回に制限する」


「無茶を言わないでください。家族が泣きますよ」


「……却下か。ならば第二案」


 ルナの瞳が、わずかに細められる。

 本気だ。


「いっそ、あなたの『実家』ごと、郊外から都市に引っ越させる。費用は全額、私が負担する。あなたの移動距離を物理的にゼロにし、私の視界から消える時間を最小化する。これこそが、完璧なウィン・ウィンよ」


 理路整然。

 破綻しているのは倫理観だけだ。


 料理への依存は、いつの間にか「囲い込み」という名の独占欲へと進化している。


 彼女は感情を排し、論理という鎖で俺を縛ろうとしている。

 だが、そのアメジストの奥には、計算式では表せない熱が宿っていた。置いていかれたくないという、子どものような執着。


 その瞬間――。


 リビングの扉が勢いよく開いた。


「こらー! ルナ! またユキに無茶な交渉を吹っかけているな!」


 紅の髪を揺らし、Sランクの剣聖アリアが踏み込んでくる。

 訓練メニューのメモを片手に、怒りを隠そうともしない。


「ユキは私の護衛対象だ! お前の専属インフラじゃないと言っているだろう!」


「あらあら、ルナさん」


 続いて現れたのは、金髪を柔らかく揺らすSランクの聖女フィーナ。

 微笑んでいるが、その碧眼はまったく笑っていない。


「ユキくんにも、ご家族との大切な時間があるのです。そんな風に無理やり縛り付けては、可哀想ですよ。……ねぇ、ユキくん?」


 左右から視線が刺さる。


 アリアは俺をルナから引き剥がそうと腕を掴み、ルナは対抗して袖をさらに強く握り、フィーナは反対側の腕を優しく――しかし拒絶を許さない力で包み込む。


「邪魔をするな、二人とも。これは私とユキの、生存戦略に関わる重要な話し合いだ」


「何が生存戦略だ! 要はユキのご飯を独り占めしたいだけだろう!」


「ユキくんの美味しいごはんは、みんなのものですからね?」


 火花が散る。


 Sランクの美少女三人が、俺を中心に拮抗するこの構図。

 魔力の圧と剣気と聖力が、目に見えない嵐となってキッチンを満たす。


 俺が望んだのは、静かなスローライフだったはずだ。


 平穏な日常。

 目立たず、レベル1ポーターとして、ひっそり生きる未来。


 だが現実はどうだ。


 俺の料理一つで、フェルゼン王国屈指の戦力が右往左往している。


 否定できない事実がある。

 この三人の生活の中心に、いつの間にか俺という存在が組み込まれているという事実だ。食事、休息、会話、その起点が俺になってしまっている。


 依存されている。

 必要とされている。


 そして――囲われている。


 俺、ルキーユ・ルド・アルトリア。


 最強の力を隠し、《偽装》でレベル1を演じる身でありながら、Sランク三人に挟まれて身動きが取れない。


 この賑やかで、騒がしくて、どこか愛おしい「檻」の中で。

 俺は今日も、鍋をかき混ぜながら、生き延びるしかないのだ。

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