9.猫になった伝説のドラゴン
ゆっくりとこちらに近づいてくる姿を、私とシーヴァ君は信じられない気持ちで見ていた。
闇を溶かしたかのような漆黒の体はしなやかであり。
体と同じ色をした尻尾は細く長い。
頭の上にはシーヴァ君と似た三角の耳が一対、時折ピクッと動いている。
そして、一定の距離を保ったところでソレは歩みを止め、妙に目つきが悪い金色の瞳がジロリと私達を見上げた。
「え……猫?」
「猫……ですね」
そこにいたのは……誰がどう見ても、黒い猫だった。
「この家には猫もいたんですか?音も匂いも全然しなかったから、気がつきませんでした」
オオカミの獣人だけあって、聴覚や嗅覚が優れているらしい。
だけど、生憎このペンションでは猫なんて飼っていない。
「ううん!猫なんて飼ってないよ!いったいどこから紛れ込んできたのやら……」
紛れ込んできたとしたら、前の世界で土砂崩れにあった時、とか?
流石に、このダンジョンに迷い込んできたというのは無理がある気がするし。
(雨がかなり強く降っていたし、ペンションで雨宿りしていたら、私達と一緒にこの世界にやって来てしまったのかしら……だとしたら、不可抗力とはいえ可哀想なことをしちゃったな)
猫に罪悪感を抱くが、ふと、あることに気がついた。
「でも……この猫、どこかで見たことがあるような……」
じぃっと三白眼を見つめて、そして気がついた。
「そうだ!私が持ってきた黒猫のぬいぐるみにそっくりなんだ!」
「ぬいぐるみ?」
シーヴァ君に頷き、
「そうそう!この目つきが悪いところとか、特にそっくりで
「悪かったのぉ、目つきが悪くて」
「「ッ?!」」
今度は本気でギョッとした。
「えッ、い、今の……」
「そう、我じゃ」
人間の言葉だ。
黒猫の口から、なんと、人間の言葉が紡がれていたのだ。
「し、シーヴァ君……この世界では、猫も喋るの?!」
思わずシーヴァ君の腕にしがみ付いた。
「いいえ……ネコの獣人はいますが、猫自体は話すことはできないはずです」
事実、シーヴァ君も目を丸くしている。
「当たり前じゃ、たわけ」
やたら目つきが悪い黒猫は堂々と名乗りを上げた。
「我はこの《終演の奈落》の支配者にして、唯一無二の存在……冥皇龍である。ひれ伏すがよい、下等な人類共め」
こちらを見上げている状況なのに、黒猫は思いっきりこちらを見下してきた。
「め、冥皇龍って……」
ごめん、ちょっとよく分からないんだけど。
だって、
『このペンションがドラゴンを押し潰して倒した』
ってシーヴァ君も言っていたし。
それに、トリセツだってそう書いていた。
しかも目の前にいるのは、言葉を話す以外は、どう見ても普通の黒猫だ。
世界を震撼させる恐ろしいドラゴンの片鱗は皆無である。
そして、疑問に思っていたのは私だけでなく、
「嘘を言うな!お前が冥皇龍だと?!どう見てもただの猫じゃないか!」
シーヴァ君が大声を上げた。
「それに僕は確かに見たんだ!あの恐ろしいドラゴンが僕を殺そうとしたときに、アヤメさんとこの家がドラゴンを一撃で倒したところを!そして、ドラゴンが塵のように消えたところもだ!」
「……ああ、そうじゃ」
すると、ただでさえ悪い目つきがさらに吊り上がり、
「そこの小娘とこのボロ小屋が突然我を押し潰してきたのじゃ!虫けらのようになッ!」
背中の毛や尻尾を逆立てて、冥皇龍(仮)は怒鳴り始めた。
「これほどの屈辱があってたまるか!魔物を統べる、唯一無二の存在であるこの我を!あろうことか、虫のように踏みつけて倒そうとするなど!そのような無様な倒され方をされれば……死んでも死にきれんわッ!」
「・・・・・・」
何ともいえない心持ちで黒猫を見つめる。
(どうやら私とペンションの倒し方が悪かったせいで、冥皇龍には相当な恨み辛みが残ってしまったようね……)
フーッと変わらず唸りを上げている黒猫に怖ず怖ずと尋ねた。
「ええと……するとあなたは、元・冥皇龍で?すでに死んではいるけれど、私達に恨みがあると……そういうこと?」
「『元』とはなんじゃ!本当に失礼な小娘じゃな!」
黒猫はフイッとそっぽを向いた。
「我が肉体は完全に消えてしまったが、魂は消え去る前にこのボロ小屋に取り憑くことができたのじゃ。じゃが……」
今までの強気が無くなり、あからさまにうなだれた。
「我が魂の受け皿として適当なものが、このふざけたぬいぐるみしかなく……仕方なく、コレを依代としたのじゃ」
(このペンションには他に人形とかないからなぁ)
黒猫のぬいぐるみは、大学生の時にゲーセンのクレーンゲームで取ったものだ。
生まれて初めてやって1発でゲットしたのだが、その後調子に乗って他のクレーンゲームにも手を出してしまい、結局5000円も無駄遣いしたという散々な結果だった。
そんな苦い経験から、それ以降クレーンゲームには手を出していないのだが、ビギナーズラックで手に入れた黒猫は今日まで私とともに生活してきたのだ。
(そのぬいぐるみが、今はこうして動き回って、しかも喋っているんだから、感慨深いものを感じないでもないんだけど)
その中身が、私が知らないうちに倒してしまった相手で、しかも私に恨みがあるというのだから、非常に複雑な気持ちだ。
すると、
ヒョイッ!
「き、貴様ッ!何をするッ?!」
今まで沈黙していたシーヴァ君が、急に猫の首根っこを掴んで持ち上げた。
「黙って聞いていれば……お前、アヤメさんに何て口の利き方だ!」
「し、シーヴァ君……?」
今までで一番険しい顔つきで黒猫を睨みつけた。
「ハンッ!冥皇龍たる我が人間の小娘如きになぜ気を使う必要があるのじゃ?」
首根っこ掴まれて宙ぶらりになっているというのに、随分と気が強い猫だ。
「アヤメさん」
シーヴァ君がこちらを振り向く。
口元は何とか笑ってはいるけど、目が完全に据わっていて、額に青筋が立っている。
「今すぐこのクソ猫を八つ裂きにしてもよろしいでしょうか?」
「貴様ッ!誰にものを言っていると
「黙れ、クソ猫。僕はアヤメさんと話をしているんだ」
黒猫がギャーギャー喚き立てるが、シーヴァ君はピシャリと言い捨てる。
だけど、気の強さは紛れもなく唯一無二なようで、
「だいたい、貴様のような小童が我を八つ裂きにしたところで我を滅することなどできぬわ」
フンっと鼻で嗤った。
「え、そうなの?」
「我が魂はこのボロ小屋に取り憑いていると言ったであろうが。仮にこの依代が壊れれば魂が再びボロ小屋に戻るだけよ」
(なるほど。例えぬいぐるみが無くなったところで、冥皇龍の魂はずっとこのペンションに留まるわけだ。だけど、私のペンションを幽霊屋敷みたいにしたくないし、ドラゴンの怨念で私達の身に危険が及ぶのは避けたいなあ)
と思い悩んだ時、ふと疑問が湧き上がった。
「ねえ。冥皇龍さん」
「なんじゃ」
太々しい様子を崩さない黒猫に、たった今思いついた疑問を投げかけた。
「なんで、わざわざそのぬいぐるみに取り憑いたの?ここには私とシーヴァ君もいて、取り憑くなら私達のどちらかの方が絶対に都合がいいんじゃない?」
すると、
「そッそれは……!」
ここで初めてたじろいだ様子を見せた黒猫に、先ほどの疑問に自分の中で出した答えが正しいのだと分かった。
「ひょっとして、私とシーヴァ君には手を出せないんでしょ?」
「ッ!」
追い討ちをかけるようで悪いが、私達の今後の生活にも関わってくるので確かめておかなければならない。
「あなたはこのペンションに取り憑いたと言っていたけど、こうして存在するためにはペンションの力が必要なんじゃないの?そして、私はこのペンションのオーナーだし、シーヴァ君はついさっき私と契約して【キー・ホルダー】になった。要するに、あなたはペンションの関係者には手を出すことも危害を加えることもできない……そうなんじゃないの?」
「……」
言い訳できそうな言葉がないのだろう。
その沈黙が、私の考えが正解だということを証明した。
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