4.ペンション・アイリス取扱説明書
私、本城あやめは新卒で入社した会社を辞め、この度、長年の夢だったペンション経営を遂にスタートしようとした!……その矢先。
土砂崩れにペンションが巻き込まれたと思ったら、どう見ても日本ではないところまで追いやられて、しかもペンションがドラゴンを押し潰して倒したというのだから驚きだ。
そして、談話室のソファでぐっすり眠っている少年シーヴァ君は、『獣人』という見たことも聞いたこともない人種であり、しかも頭にはオオカミの耳、お尻にはオオカミの尻尾がついているという、アニメでしか見たことがない姿をしていた。
彼曰わく、ここは《終焉の奈落》という非常に危険なダンジョン、なんだとか。
ダンジョン……ゲームしないのに、そんな言葉を口にする日が来ようとは夢にも思わなかった。
しかもここは、ペンションが押し潰したドラゴン、『メイオウリュウ』とかいうのがいた最下層らしい。
「とりあえず、ここからどうやって抜け出せばいいものか……」
あどけない寝顔を見つめながら、目下頭を悩ませているのはそこだ。
シーヴァ君が言うには、メイオウリュウはいなくなっても、このダンジョンには危険な魔物(そんなファンタジーな生物のことを心配する日が来るとは)がわんさかいるらしい。
間近では見たことがないけど、玄関から上を見た時に私を見下ろしていたナニカ達は、どう見ても私が知っている普通の動物とはかけ離れた存在感だった。
そんな生き物達が闊歩している中を、平凡で非力な女である私と、小さな子供であるシーヴァ君だけで突破しようだなんて、自殺行為以外の何物でもない。
だけど、ここでこうして引きこもったまま救助を待つだけなのも現実的ではない。
《終焉の奈落》は非常に危険なダンジョンであるため人の立ち入りが禁止されているから、そもそも私達がここにいること自体、誰も知らないのだ。
それに、今は運良く見逃されているみたいだけど、いつ他の魔物達がこのペンションに襲いかかってくるかと思うと気が気ではない。
だから、できることなら私達がこのダンジョンを脱出した方が良いのだろうけど。
「地上まで出なくても……シーヴァ君達が迷い込んだ抜け道を逆に辿るのもありなんじゃ?!」
我ながら名案だ!と思ったけど、
「それでも、そこまで安全に辿り着ける保証はないし……シーヴァ君は抜け道の場所を覚えているのかしら?」
なにせ、他の仲間が魔物に皆殺しにされる中、ただひたすら逃げ惑っていたのだ。
覚えていることを期待する方が酷というものだろう。
「どうしたものか……」
ぼんやりと天井を、もっといえば、アレコレ悩んで選び抜いた照明を見つめ、
「そういえば……なんで電気も来てないのに明かりが点いているんだろう?」
今更だけど、ふと、そう疑問に思った。
生憎このペンションには自家発電なんて便利なものは備え付けていない。
そこまで揃えると余裕で予算オーバーだったから、もう少し経営が軌道に乗ったら考えようと思っていたのだ。
だから、電線から切り離されたこのペンションで電気が使えるなんて、考えてみればおかしな話だ。
そして、水道やトイレが使えることも、同じくらいあり得ない話だ。
ちなみにガスは自家用のタンクがついているので問題なく使えるが、土砂に埋もれていたら家の中でガス漏れするんじゃないかと心配だったのだ。
実際は周りはだだっ広い空間だったし、ガスコンロを試しに使ってみたのだけど、問題はなかった。
「土砂の下敷きになってもインフラは奇跡的に大丈夫だったんだと思っていたけど……そもそもここ日本じゃないし」
うーんと首を捻るが、予想外の事態が立て続けに起きすぎていて、私の頭で答えが見つかるとはとても思えない。
「……トリセツ本を見れば、何か分かるかしら」
トリセツ本とは、文字通り、このペンションの取扱説明書だ。
といってもキレイに製本した仰々しいものではなく、このペンションの設備の使い方や注意書きの冊子、エアコンや冷蔵庫なんかの電化製品の説明書なんかをまとめてファイルに突っ込んだだけのものである。
正直あまり期待していないけど、頭の中でぐるぐる考えるだけよりはマシだろうと思い、フロントデスクの引き出しに入れた分厚い青いプラスチックファイルを取りに行った。
「・・・・・・何これ」
引き出しの中を凝視した。
私がそこに入れていたのは、近所の文房具屋で買った、容量だけが自慢のお手頃な青色ファイルだった。
だけど、引き出しの中に入っていたのは―――深紅のビロードで装丁された見るからに豪華な本だ。
「えっ、軽い?」
手に取ってみると、重厚感漂う見た目を裏切る軽さだ。
スマホを持っているのと大して変わらない。
「ここに来てからの驚き度合いとしては、一番心臓に優しいけど」
本のカバーを隅々までじっくり観察する。
あのファイルとの共通点といえば、大きさと厚さくらいだろうか。
表表紙も裏表紙も、四隅に星をモチーフにした凝った意匠の金色の飾り罫で縁取られ、表紙には、
『ペンション・アイリス取扱説明書』
という金文字が上品に輝いていた。
「これがあの安っぽい青いファイル……だったもの?と、ともかく中を確認してみよう」
恐る恐る表紙に指をかけた、時だった。
カッ―――!
「わっ!」
突然、本が光り輝き、思わず手を離してしまう。
なのに、いつまで経っても本が床にぶつかる音は聞こえない。
「う、浮いてる……?!」
強い光は治まり目を開くことはできたが、見開きで開かれたまま宙に浮いた本を呆然と見つめる。
ほのかな光を帯びた本が開かれたページには何も書かれていない……と、思っていたら。
「文字がっ?!」
突如、真っ白なページに文字が浮き上がり始め、あっという間に1つの文章が完成する。
内容は、
“何かお手伝いできることはありますか?”
だった。
「ず、随分と物腰が丁寧ね……」
もっと何か言いようがあるよう気がしないでもないけど、ここまでの展開に最早慣れたというか、感覚が麻痺したというか。
「え、えっと……このペンションがどうして電気や水道を使えるのか、教えて欲しいんだけど」
と本に問い掛けた。
すると、“何かお手伝いできることはありますか?“の文章が消え、新たな文章があっという間に浮かび上がる。
“この建物内の電気、上下水道、ガスなどのインフラが全て魔力で使用可能となっているためです。具体的に申し上げると、このペンションは冥皇龍を倒したことで冥皇龍の力を全て受け継ぎ、さらにダンジョン《終焉の奈落》からの膨大な魔力を供給できるようになっております”
ま、魔力?
よく分からないけど……とんでもない力を手に入れてしまったと言う訳か、私のペンションは。
そして、『冥皇龍』をようやく漢字変換して理解することができた。
確かに強そうな名前だ。
「ちなみに、さっき卵を2個使ったはずなんだけど、知らないうちに補充されているみたい。それがなぜか分かる?」
という質問を投げかけると、
“このペンションは自己再生能力が備わっております。すなわち、建物の損壊や不足を自己修復することができます。そして、建物内にあらかじめ存在していた食料やアイテムも設備の1つとして認識されているため、ペンションが不足を判断した場合は、自動で不足分が補充されます”
「え、じゃあ買い物の必要ないじゃん!」
“ですが、冥皇龍を倒した後に得た食料やアイテム、設備などは、建物の一部と認識されないため、不足や破損が生じても修復はされませんので、ご注意ください”
とご丁寧な注意も頂いてしまった。
要は、ドラゴンを倒した時点で備わっていたものはペンションの一部と認識されるため、勝手に補充されるという訳か。
(明日がオープンの予定だったから食料も消耗品も十分用意してあったのが、不幸中の幸いだったんだ!)
どうやら、この恐ろしいダンジョンで最悪籠城しなければならないとしても、飢え死にはしなくてすみそうだ。
だけどそれは、『ここが壊されなければ』の話だけど。
「このペンションが魔物に壊されないか心配なんだけど」
すると、
“このペンションは、ダンジョンのボスである冥皇龍を倒し、その力を受け継いだため、全ての魔物の中でも随一の防御力を誇っております。例え、このダンジョンの全ての魔物が襲ってきても傷一つつけられません”
と、非常に頼もしい答えが返ってきた。
「じゃ、じゃあ!このペンションの中にいる限り、私達の安全は保証されるってこと?!」
“おっしゃる通りです”
思わず歓声を上げかけたが、談話室で寝ているシーヴァ君のことを思い出し、慌てて口を押さえた。
(よかった!ここにさえいれば、魔物に殺されることも飢え死にすることもなく、普段通りの生活を送ることができるんだ!)
それが分かっただけでも、大分心に余裕が出てきた。
となると、この不思議なトリセツ本にもう一つ。
「あの……」
最大にして最重要な質問をしておきたい。
「私達がこのダンジョンを脱出するためには、どうすればいいと思う?」
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