住む世界
学園祭最終日2日前ーーー
騒ぎの後、まだ学園に残っていたカタリナは戻ってきたクロエに呼ばれて中庭のカフェテラスに来ていた。
他の生徒達は事情説明やら修復作業やらに当たっていて、この場には二人きり。しかも、クロエは人間の姿を解き、今は天使族の姿でその美しいご尊顔をカタリナに向けている。
「呼び出して悪いな」
「いえ……」
天使の姿だからか、カタリナは緊張していた。
天使族の話は人伝に聞いていて、神話の様なものだと思っていた。
その神話が今目の前にいて、それまで正体を知らずに接していたなんてよくよく考えたら烏滸がましい事なのかも知れない。
緊張に混じって脈打っているのは小さな警告音だ。
警戒心が無い訳ではない。
こんな、ただの学生が貴重な天使族と二人きりなのは大丈夫なのだろうかという心配と不安が煽っている。
「ちゃんと挨拶しておこうと思って」
「…挨拶…?」
「あぁ。学祭が終わればおれ達は抜ける。元々期限付だったし、エフレシアも城に戻るだろ。だから、今の内に言っておこうって」
「……そう、ですか……」
「カタリナは、天使族とか怖い人?」
「…いえ……。ただ、免疫が無いだけなので……その……」
「確かに。あんなダサい姿からいきなりこんな姿になったらビビるよな」
「…驚きはしました。でも、ダサいなんて思ってません!クロエはとても素敵です。どんな姿でも……」
「じゃあ、微かに震えてんのは何で?おれが美人過ぎてドキドキしてる?」
「……私の様な一般生徒が、か、関わっていいのかと……」
「良いんだよ」
クロエは即答した。
「位なんか関係ねぇよ。おれは好きでカタリナと一緒に居たんだ。今更、何も気にする事なんか無い」
「…い、良いんですか……?」
「あぁ」
「……クロエをお慕いしていても、良い……ですか?」
「当たり前だろ」
「……良かった」
迷いの無い返答にカタリナは涙が溢れてしまった。
安堵。
クロエならそう言ってくれるだろうと解っていた上での微かな確信が確定された事による、安堵だ。
「泣くほど?」
「…あ、安心してしまって……」
「おれは正直、不安だったけどな」
「えっ…」
「……天使族だって解ると、大抵の人間は離れていくか利用するかだ。だから、カタリナに距離を取られてもいいと思ってた……というか、話したかった」
「……私がクロエを突き放す事なんて無いです」
「……そうか。じゃあ、学祭の最終日……おれと回って欲しい」
「……良いんですか…?」
「おれはカタリナと楽しみたい」
堂々と誘われ、カタリナは可愛らしく笑った。
「私もです」
「…良かった」
「あ、でも…護衛の方は良いんですか?」
「あぁ。問題無い」
「そうですか」
「カタリナは、劇の出番があるよな…?その時間に合わせて…」
「あの劇は中止になりました」
「えっ…」
「脚本担当の子が興醒めしてしまったらしくて。だから、時間の心配はありません」
「…良いのか?あんなに練習してたのに…」
「後悔は無いです。一日目にやり切ってしまったので」
「……それなら良いけど」
「クロエと一緒に回れるの、楽しみです!」
「おれも。当日、校門の所で待ってるからさ」
「解りました」
「今日は城に戻らなきゃいけないから、そろそろ行かないと。カタリナも、もう帰るのか?」
「はい。2日後に備えて身体を休める様にと言われました」
「大事。結構、情報量あっただろうから目一杯休んでおいた方が良いよ」
「ゆっくり休みますね」
「おぅ。じゃあ、2日後な」
「……クロエ」
帰ろうとした彼をカタリナは不意に呼び止めてしまった。
「…ん?どうした?」
「……あ、いえ……。気を付けて」
「あぁ、有難う。カタリナも」
「はい……」
クロエはにこやかに手を振って去っていった。
急に、また不安が押し寄せる。
「……大丈夫」
そう唱えてカタリナはまた教室へと戻った。
学園祭最終日前日ーーー
この日は朝から忙しかった。
団長とエフレシアはルフラを連れて、シトラス学園へ行き、全生徒達に謝罪回りを行った。
折角の晴れ舞台を滅茶苦茶にしてしまったこと、無関係な人間を恐怖に陥らせた事…など諸々ルフラがやらかした事を頭を下げて回りに回った。
反応は様々だった。
そんなに被害が無かった人達は笑って許してくれたけれど、当事者になった人達からは冷めた目で睨まれた。主にルフラが。
ルフラは深く頭を下げて謝罪していた。誠意が見られると言えば聞こえはいい。だが、許される事ではない。
特に劇を行なっていたカタリナのクラスメイト達は怒りが凄かった。折角、準備して練習もして大道具も頑張って作ったのに、それをあんな形で滅茶苦茶にされ、頭を下げただけでは到底許して貰える事ではない。
それでもルフラは深く頭を下げ続け、罵倒も文句も叫びも全て受け止めていた。
「お疲れ様」
沈んでいるルフラに飲み物を渡しながらエフレシアも隣に腰掛ける。
体育館近くのベンチで2人は休むよう団長に指示された。
団長は生徒達に呼び止められ、長く捕まっていた。
「……気持ち悪い……」
「吐きそう?」
「……そこまでじゃない……けど……」
「自業自得だしねぇ」
「……巻き込んでごめん……」
「慣れてるからいいよ。それに、許さない人は多分ずっと許さないままだからそれは気にするだけ無駄」
「……でも…」
「そういう人間、沢山見てきたんじゃないの?」
「……そうだけど…」
「深く踏み込んで更に反感買わなくても良いんだよ。謝ったっていう事実があれば、その"許さない”は確定されてるからそれでいいの」
「……そういうもの……?」
「そんなもんだよ、人間なんて」
ぶっきらぼうに言い放つエフレシアはなんだか楽しそうな笑みを浮かべていた。
「この後は……?まだ謝罪回りあったっけ?」
「もう全部終わったよ」
「そっか」
「……団長さんも大変だね」
「皆、団長さんと話したいんだよ」
「……その団長さんとオレも話したいんだけど、相手にしてくれるかな…」
「二人きりで?」
「エフレシアが居てくれた方がオレは助かる」
「なら大丈夫だよ。あたしが……」
「エフレシア」
丁度、戻ってきた団長に呼ばれ、彼女は振り向いた。
「団長さん!お疲れ様です」
「あぁ、ありがとう。待たせて済まない」
「いえ。生徒達は大丈夫でしたか?」
「……クレームの方が大きいかな。対処はしたけど、暫くは何があるか分からない」
「…そうですか…」
明日は学園祭最終日。生徒達もそれは解っている筈だ。
「あ。そうだ、団長さん」
「ん?」
「ルフラが話したい事あるって」
エフレシアに向けていた柔らかな表情が一瞬で凍てついた。
無感情な視線を向けられ、ルフラはどうしたものかと困惑していた。
「話とは?」
冷たい声。
そこに怒りの感情だけが強く込められていて、それを浴びると未だに全身が震える様な恐怖に陥る。
「……あの裏通りの人達の事なんだけど…」
その言葉に団長はぴくっと反応した。
「あいつらはずっとあのままなのか……?保護とか……」
「お前が気にする事じゃない」
今度はビリビリとした空気を纏った声が刺さった。
「でも……オレ、あの人達に助けられた恩があるから……助けたいと思っ」
「下手に擁護して更に何かを強請られたらどうするんだ?一人一人に一生分の生活費なんて渡せないだろう?」
「……お金じゃない……。保護施設とか屋根のある建物に移動させてあげる事だって…」
「誰がその保護施設を維持する?管理費だって莫迦にならない。そんな事をしたら余計、差別の対象になる」
「差別……なのか……?区別じゃなくて?」
「仕方ないんだよ。自分では稼ぐ事も出来ない人間に他人は優しくない。寧ろ蔑んでいる。"ああいう風にはなりたくない”。それが正論だ」
「…そんな言い方……」
「一度の恩で盛大な恩返しをしていたらご褒美だと捉えられ兼ねない。誰かを助ければお恵みが貰えると勘違いしてしまうんだよ。それに、彼処にはちゃんと理解のある者達が管理してくれている。お前が心配する様な事は無いよ」
最後は穏やかな声色で説き伏せられてしまい、ルフラは何も言葉が出てこなかった。
正直、彼処の事はエフレシアも気に掛かっていた。
ローズと同じ顔をした彼にもう一度会わなければと使命感にさえ思われていたからだ。
「団長!」
警邏の一人が息せき切って現れた。呼吸を整えながら彼は団長に告げる。
「裏通りに魔物が出没したとの報告が!」
誰よりも先に走り出していたのはエフレシアだった。
団長とルフラもすぐに後を追う。
姿が変わったからか、治癒能力者の能力が優れていたからか、身体は軽く、以前よりも速く走れた。
急いであのアーケードへ向かう。
また、あの人に会いたい。
今度は、押し倒されたりはしない。
裏通りに来ると、そこにいる人達の阿鼻叫喚が聞こえてきた。
魔物と言っても個体はバラバラで小さいものから大きな形のものまでいる。ろくな生活習慣をしていない人々にとって戦うという選択肢は無いはずだ。
返り討ちにあって死ぬ光景が目に見えている。
かと言って逃げることも出来ない。
栄養が足りていない細い身体では走る事もままならないだろう。深呼吸するのもやっとな状態だ。
頼みの綱は、レイファとヴィヴァルだったが二人とも魔物との対面は初めてらしく身構える事しか出来なかった。
「魔物って殺して良いのかしら」
「いいんじゃねぇの…?一匹やったからって大差ねぇだろ」
「懲罰とか食らわないわよね?」
「そん時は耐えればいい話だ」
2人は武器として手に取った大鎌や短刀を強く握り締める。
図体のデカい魔物は威嚇しており、一歩でも近付けば喰われそうだ。
「アタシが囮になるわ。その間にレイファはアレをボコボコにして」
「了解」
大鎌を構え直し、ヴィヴァルは魔物と対峙した。
ぐっと足に力を込め、ステップを踏むように跳躍する。魔物の頭上から真っ二つに切り裂けば何とかなるだろう。
「…えっ…?」
真上に来たヴィヴァルを魔物は伸びた触手で捕らえた。
まさかそんな能力を秘めているとは知らず、ヴィヴァルは動揺して大鎌を落としてしまった。
「やばっ……」
ぎゅうぅぅっと強い締め付けに骨が砕けるんじゃないかと不安が過る。魔物だから言語は通じない。況してや話など出来るはずも無し。加えるなら力加減も知らない。だから握ったものは潰さないと分からないのか、弱まる事は無かった。
「ヴィヴァル!」
レイファは魔物目掛けて短刀を投げ放った。運よく魔物の右目に刺さり、唸り声らしきものは上げたが、ヴィヴァルを握り締める力は弱まらない。そればかりか更に強くなった。
「…あっ……」
どこかの骨がバキッと鳴った。
多分、肋か腕だろう。
肋は折れたら自然治癒だというから傷つけない様にしていたのに。
そして、痛みとともにやってきたのは呼吸が難しくなってきた事。息を吸い込むと折れた箇所が痛む。小さく呼吸してても一度感じた痛みは無くならない。
「ちっ……!」
レイファは大鎌で魔物を横から真っ二つにしようと試みた。けれどヴィヴァルを捕まえている触手に邪魔され、狙いを定められ無い。彼にはヴィヴァルの様な跳躍は備わっていないし、武器も大鎌しかないし、早くしなければヴィヴァルの身が保たない。
「……レイファ……」
苦痛な表情のヴィヴァルと目が合い、レイファは大鎌を握り直す。魔物単体なら攻撃を与え、瀕死に出来るのに。
成す術も無く呆然としている最中、魔物の上から何かが降ってきた。淡い閃光の様なものが魔物の内側に走り、歪な悲鳴が轟く。
「…あれ?感触はあったのに」
レイファの前に舞い降りたのは麗しい少女だった。
その手には剣が握られている。
「今度は横からかな……」
呟く少女はレイファと目が合い、そのまま視線は彼の持つ大鎌へと向けられた。
「それ貸して」
「…えっ…」
「剣だと威力が緩かったみたい。鎌ならザックリいける」
レイファは少女に見惚れながら大鎌を渡した。
「あ……ヴィヴァルには傷付けないで……」
「解ってるよ。死なせる訳にはいかない」
大鎌を容易く弄びながら少女は構え直した。
魔物の触手に囚われている青年は最早息絶え絶えだった。
一発で仕留めるしかない。
幸いにも先程の攻撃が効いているらしく、魔物は何もしてこない。
「……エフレシア!」
追い付いた団長が名を呼んだのと同時に彼女は魔物の身体を今度は横から真っ二つにしていた。そこでルフラも到着した。
先程の攻撃と相俟って同じ箇所がダメージを受けたらしく、耳障りな叫び声を上げながら魔物は紫の液体と化した。
触手も消え、解放されて宙に舞ったヴィヴァルをレイファが受け止めた。
「診せて」
レイファはヴィヴァルを抱えたまま地面に膝を着いた。
青褪めた顔色に小さな呼吸音、右腕と肋の何本かが折れていた。
「まだヒース達居ますよね?すぐに彼らの元へ……」
「いや、このまま城に運ぼう。恐らく、内臓まではやられていない筈だ」
「……解りました」
「ヴィヴァルを連れて行くのか?」
話を聞いていたレイファが警戒心を顕にしていた。
「治癒能力者が来ているからね。彼等に任せたい」
「……ほ、ほんとに……?そんな事言って城に幽閉とかしないよな…?」
「しないよ。レイファ、大丈夫だ。治癒を施して貰ったらまた此処に連れて来るから」
「……信じていいんだな……?」
「あぁ」
「……解った。流石にオレまで此処を離れる訳にはいかないからな……。ヴィヴァルを頼んだよ、シンシア」
「無論だ」
レイファに見送られながらエフレシア達は城へと向かった。
まだ部屋で寛いでいたヒースとエミルに声を掛け、ヴィヴァルの様子を診て貰う。二人とも速やかに治癒を行なってくれた。
「騒ぎでも起きたんか?」
「……まぁ、ちょっと……」
「骨折だけで良かったねぇ。内臓まで破壊されてたら流石にオレらもお手上げだからさぁ」
「あの……何の位掛かりますか?」
「この様子だと……1時間くらいかな」
「終わったら呼ぶからあんたらも休んどき」
ではそうさせてもらおう、と団長が答え、エフレシアを連れて自室へとやってきた。当然、ルフラも居るわけで。
「団長さんは彼処の人達と親しいの?」
それはエフレシアも薄々聞いてみたかったことだ。
干渉はしたくないが、話さないのであれば聞いてみるしかない。
「私も、以前は彼処で暮らしてたんだ」
エフレシアもルフラも驚きはしなかった。
「レイファとヴィヴァルと私は幼い頃から彼処で育ってきたんだ。家族よりも深くて切り離せない存在だ」
「彼処の出身でよく騎士団長にまでなれたな」
「実力だよ。私を騎士団に送り出してくれたのはレイファとヴィヴァルだ」
「……じゃあ、彼処がああいう地帯になったのも知ってるの?」
「……悪く言うなれば、捨てられた街。役立たずや家族に見放された者達の行く着く果てだ。けれど、今よりは食べ物の配給もあったし、あんなに暗い場所ではなかった。私が騎士団に入団してから今の様な状態になったと聞いている」
「そうなんだ」
ルフラは納得した様子だった。
「…レヴィシア・リド・クレイシス。それが、私の真名だ」
突然のカミングアウトに驚いたのはルフラだけ。
エフレシアは平然としている。
「…リド…クレイシス……って……あの……?」
流石は魔術師。長生きだと何でも知っているんだな。
「私は其処の出身だ」
「…えっ…」
「私は、6歳の誕生日に誘拐されてしまってね」
「……じゃあ……本当に?」
「あぁ。私はリド・クレイシス帝国の皇太子として大切にされていたんだ」
団長の過去。
あの日の夜、クロードとクラウディアの婚約パーティ後に団長の部屋へ招かれ、エフレシアは団長という人間を知った。
リド・クレイシス帝国とは、この世界では誰でも知っている大きな帝国だ。其処へ行けば欲しい物が全て手に入ると囁かれる程、資源豊かで色んな異国人が行き交う。職にも困らないと言う。
その頂点に君臨する皇帝の嫡男、それが団長だ。
「…なんで、誘拐されたんだ?」
ルフラはこの際だから疑問は晴らしてやろうと思った。
「盗賊が城に紛れ込んだらしい。結局、犯人達は失敗したらしくてね。丁度、逃げる際に外にいた私を攫ってこの国まで逃げてきたんだ」
「…随分、覚えてるんだね」
「鮮明にね。皇太子としての教養を受けてもいたから、割と冷静だったよ。泣きもしない、喋らない、抵抗しない。そんな子どもに犯人達の方が恐怖を感じていただろう」
「…それで、彼処に放置されたんだ?」
「途中で不要と解ったらしい。捕まるのが嫌で犯人達はもっと遠くへ逃げた筈だ」
「……シンシアって言うのは?」
「真名だと素性がバレてしまうからね。この国が私を攫ったと誤解されかねないから。リド・クレイシス帝国は戦争にも長けている。その武力と戦術で色んな国を取り込んできた。もし帝国との戦争になったら、正直この国は敗北する」
団長は断言した。
「……言い切れるんだな」
「帝国は強いよ。此処の騎士団なんて一捻りだ。だから、私が騎士団に入団した時、陛下に話したんだよ」
「……それで?」
「陛下は優しい方だ。私の事も受け入れてくれた。妃も私の真名を知らない。だから、シンシアで通してきた」
「じゃあ……オレに話したのは……」
「口外したら命は無い。まぁ、キミの場合は死なないんだろうけど。エフレシアの犠牲になって首を捧げる事になるね」
「……オレがバラした所で何の得にもならないよ」
「あるじゃないか。キミは、滅びゆく国の有様を見たいんだろう?」
核心を突かれた様だった。
確かに今まで滅んだ国は多々見てきた。でもそれは当然の成り行きで仕方の無い事だ。それを見て嬉々としている自分が居るだなんて考えた事も無い。
「エフレシアと契約してるんだから、そんな愚かな事はしない」
「……それなら良いんだ。今まで通り、団長と呼んでくれ」
「解った」
「帝国では私はもう殺されているものだと思われているだろうからね。生きているという事は秘密にしたいんだ。エフレシアも、改めて宜しく頼むね」
「はい」
エフレシアは表情一つ変えずに返した。
「では、私は陛下に事情を話してくるから。ヒース達が呼びに来たらお願いしてもいいかな?」
「承知しました」
団長はにこやかに退室していった。
目が覚めると全く知らない部屋に居た。
生きている内にこんなふわふわなベッドで寝る事など無いと思っていたヴィヴァルはゆっくりと身体を起こし、辺りを見渡す。
清潔にされた部屋。人が暮らしている形跡が無い程にまっさらな空気が漂っていた。
呼吸が出来る。怪我の痛みも無い。あれだけ魔物にバキバキにされたのに、腕も肋も正常だった。
「あ。おはようございます」
何があったのか記憶を巡らせていると、美少女と麗しい青年が入室してきた。
「……おはよう……?」
「気分は如何ですか?」
「……普通…だと思うわ」
「良かった。まだ休んでて下さいね。怪我は治癒されてますので体調が整うまでは此処に居てほしいと」
「……有難う。でも、戻らなきゃ……」
「もう夜も遅いので外に出たら危ないですよ」
「夜……?」
「はい。変な輩もいるかもですし」
「……そんなに寝てたのね……」
ヴィヴァルは溜息をついた。
レイファだけにしてしまった事が気がかりで仕方ない。
「あの人達の事は大丈夫ですよ。団長さんが警邏と一緒に居ますので」
「……そう」
「あの……お聞きしたい事があるんですけど…」
「貴方……以前、彼処で会った子よね?」
エフレシアの言葉を遮り、ヴィヴァルの方が先に聞いた。
「……えっ……」
「声で解るわ。アタシ、耳が良いのよ。だから、一度聞いた声は忘れないの」
「……そう、なんですか…」
「あの時は嫌な思いさせてしまったわね。ごめんなさい」
「……いえ……。あたしも悪かったし……」
「それでも、アタシ達の事助けてくれた。優しいのね」
「……違います。あたしは、貴方に聞きたい事があって……」
「なにかしら?」
「……ローズって人、知ってますか?」
「……さぁ?アタシはずっと彼処にいたから、そういう名前の人には会っていないわね」
「……そうですか……」
もしかしたら、と思っていたが期待は流れてしまった。
まぁ、そんな都合の良い話なんてある訳無い。
「その子がどうかしたの?」
「……ずっと慕っていた人なんです。貴方にとても酷似してたから……」
「酷似……という事は、その子はもう……?」
「はい。なので、貴方を見た時、生きてたんだって思っちゃって……」
「大好きだったのね」
「……ずっと……側に居てくれるものだと思ってた……から…」
思い出して涙が出てきた。
ローズとの記憶は色褪せないものなんだと思い知る。
「アタシはヴィヴァルって言うの。誰かに似てるって言われたのは初めてだからどうしたらいいか分からないけど、助けて貰ったお礼も兼ねて、貴方の望みを叶えるわ」
「望み……?」
「何でもいいわよ」
エフレシアが何を求めるのか、ルフラにだって解る。けれど、止める事は出来ない。それが彼女の望みなら、気の済むままに叶えたら良い。
「……もう一度、夢を見せて欲しい」
「夢?」
「……ローズとの……」
「その子の代わりになれって事かしら?アタシに務まるかしらね……?」
「あ、違う……。その……い、今だけでいい……。姫様って呼んで……欲しい……」
「呼ぶだけでいいの?」
「………やっぱり、今の無しで!貴方はローズじゃないし、代わりみたいな事させたくない……。ごめんなさい……!今の話は忘れて下さい……!」
一方的に言い放ち、エフレシアは出ていってしまった。
呆然としているヴィヴァルに残されたルフラは小さく溜息をつく。
「……あの子、大丈夫かしら……?」
「動揺してるだけだから、多分大丈夫。それより、オレも貴方と話がしたかった」
「……アタシに?」
「以前、助けてくれた。オレが怪我して彼処に迷い込んだ時……貴方ともう一人の男の子に手当てしてもらったんだよ」
「……あぁ!いきなり空から降ってきたから驚いたわ。貴方だったのね」
「あの時はちゃんとお礼出来なくてごめん……。助けてくれて有難う」
「あら。結構ちゃんとしてるのね」
「今はあの子の側にいる身だから大した礼は出来ないけど……」
「良いのよ。そんなものの為に助けた訳じゃない」
「……貴方は、彼処の暮らしを嫌だって思わないの?」
「思わないわね。もうずっと彼処がアタシの家で皆が家族よ。今更、手を貸してほしいなんて思ってないわ」
「でも……子どももいるのに……」
「アタシとレイファで食料は賄ってるから問題無いわ。陛下だって解ってて放置してるのよ」
「……そう」
それ以上は踏み込んだら駄目だと思った。
部外者が正論を放った所で彼らに刺さることは無い。
「あの子の側に居なくていいの?」
「……行くよ。貴方はまだ休んでた方が良い」
「そうさせて貰うわ」
「明日の朝、また来ると思うから。何かあったら隣の部屋に来てって」
「解ったわ。団長さんにもお礼、伝えておいてね」
「あぁ」
静かにドアが閉まり、ヴィヴァルはまた眠る事にした。
エフレシアは隣の部屋に居た。此方もゲストルームなのだが、ヴィヴァルに何かあった時の為にと借りていた。
「もう休んだ方が良いよ」
部屋の中央で佇んでいる彼女に声を掛ける。
「……変な子だって思われたかな……」
「気にして無かったよ」
「……なら良いや。ルフラも一緒に休むよ」
「……あぁ」
「あたしが寝るまで待たなくていいからね」
「でも……」
「何かあれば気配とかで気付くんでしょ?あたしと二人の時は遠慮しないでゆっくり休んで欲しい」
「……なんで?あんなに酷い事にしたのに……」
「関係無いよ。今はもう、敵じゃないんだから」
「……そうか」
「今日は色々疲れたでしょう?明日は学祭の最終日なんだから、英気を養っておかなきゃ」
その笑みにブレは無い。言葉にも嘘は無い。
ルフラはエフレシアの言葉に甘えて一緒に休んだ。




