Chéri
「マーレの日記?」
賑わう城下の街並みを眺めながらクロエは隣を歩くカタリナに聞き返した。
「はい。演劇の脚本の元ネタがその本らしくて」
「……で、その本が王立図書館にあると」
「そう教えて頂きました」
この国で最も大きく様々な文献等が置かれている図書館で、シトラス学園の生徒達も大いに利用している。学園内にも図書館はあるが、限られた書物しかない。カタリナも一応全ての本を調べたらしいが見当たらなかったそうだ。
「すっごく分厚い本だったりして」
「構いませんよ。私は読書好きです」
「あぁ、そう……」
「もうすぐ着きますよ」
程無くして立派な建物に辿り着いた。
レンガ造りの教会だ、とクロエは思った。大きな十字架が目立ち、神聖な雰囲気を醸し出している。
「広いので迷うかも知れません」
入口で受付の人に学生証を見せると日暮れまでには出るようにとにこやかに言われた。
中は広々とした開放感に包まれ、見渡す限り書架で溢れていた。綺麗に並べられている本を見ると手を伸ばしたくなるような感覚に囚われる。結構小さな子どもから老人まで居て、それぞれ好みの本を見つけていた。
「ほんとに迷いそうだな……」
「私、探してきますのでクロエは休んでて下さい」
「一緒に探すよ」
「……良いんですか?」
「折角だからね。見学がてら」
「有難うございます」
カタリナの笑顔には毎回可愛いと思ってしまう。彼女の纏う雰囲気がそうさせているのだろう。
二人は片っ端から探し始めていった。目視で見つけるには大分時間が掛かってしまうかも知れない。
それにしても良くこんなに沢山の本があるなとクロエは感心してしまった。興味はあまり無いが、こう沢山用意されていると何かを読みたい気持ちに傾いてくる。
「……見当たらないですね」
「まぁ、こんなにあったらすぐには見つからねぇよな」
「司書さんに聞いてきます」
「おぉ」
カウンターで色々と作業をしている人達を眺め、手の空いていそうな人の所へ向かっていった。
その奥の部屋では子ども達が集まって何かを真剣に見つめていた。部屋の看板には【Reading room】と記されており、子ども達の視線の先には本を手にした女性が楽しそうに内容を読み上げている。ああいう仕事もあるんだなあと益々感心してしまい、クロエは天使族であることを忘れかけていた。
「分かりましたよ!」
「ぅわっ……!」
いきなり声を掛けられたので思いの外ビクッとしてしまった。それに驚いたカタリナも肩を揺らしていた。
「ごめんなさい、驚かせました?」
「いや、悪い……。あったって?」
「いえ……先日まであったらしいんですけど、今朝借りた方が居たそうで……」
「一冊しかないの?」
「貴重な本らしくてその一冊だけしかないと言われました」
「そう……。残念」
「はい……。惜しかったです」
「また後日来るか?その時には返されてるんじゃない?」
「そうですね……。そうします」
「他に借りる本とかは?」
「いえ……今日はそれだけが目当てだったので……」
「じゃあ、どっかで休憩しない?」
「良いですね!」
カタリナは嬉しそうに頷き、二人は近くのカフェで暫しの休息を取ることにした。
学園祭の準備もそろそろ形になってきている今日此の頃。
クロエはカタリナから直々に同行して欲しいとお願いされた。クラスメイト達はそれぞれやる事もあるので厳しいらしく手の空いているクロエをエフレシアが薦めた。あの日以来、二人はどこかぎこちなく気まずくなっていた。
「どうされました?」
特大サイズのパフェを美味しそうに頬張りながらカタリナが声を掛けた。クロエはコーヒーだけで満足している。
「……いや、カロリー凄そうだなって」
「そうですね……。でも、美味しいものは太らないらしいので大丈夫です」
「そうなの?まぁ、活力になるなら良いけど」
「この後も劇の練習なので腹拵えは必要です」
そのパフェには彩り豊かなフルーツの盛り合わせとたっぷりのクリームが見栄えを良くしていた。
「演技の方は?」
「結構手こずっています。だから、内容を噛み締めたかったんですけど……」
「あぁ、それで……。あるといいな、その本」
「はい」
「またその時付き合うから言って」
「良いんですか?」
「特にやる事もないし」
「そうなんですね。ありがとうございます」
素直に受け入れてくれて有難い。本当はクロエにも役割はあったのだが、万能なクラスメイト達のお陰で手持ち無沙汰になってしまい何もやらなくても誰にも咎められない。自分から進んで何かをして失敗するよりかはマシだろう。
「クロエは、あの方の護衛で学校にいらしたんですよね?」
「そうだね」
「……護衛の方は大丈夫なんですか?」
「大丈夫なんじゃない?あの子のお兄様が新たな護衛になったから」
「学園に来たのって何かが起きるからとかですか?」
「らしいよ。詳しい事は解んないけど。でもまぁ、来て良かったかも」
「それは良かったですね」
「うん」
クロエは楽しそうに微笑んだ。
「それ食べたら学園戻る?」
「はい」
意外と大食いなのかカタリナはペロリとパフェを平らげた。その上締めのコーヒーまで飲み、大分腹は満たされただろう。
程よい休息も取れて二人は店から出た。変わらない賑やかさにも耳が慣れてしまった。
「……だから謝れって言ってんだよ!」
一際デカい声が響き、二人も何事かと辺りを見渡す。
大通りのど真ん中で何やらトラブル発生らしい。
すぐに野次馬で溢れ、中心にいる人物達が悪目立ちしていた。
「喧嘩?」
「最近多いですね、揉め事」
「そうなの?」
「クロエ達が来る前にも大きなトラブルが起きたんです。食い逃げした子どもを店主が撃ち殺してしまって大騒ぎでした」
「それはヤバいな」
「はい……。国にも報告が行ってその店主は処刑されたそうです」
「……そうか」
「その子が食い逃げをしなければその店主も処刑される事は無かった筈です。もし食い逃げをしたのが大人だったら店主はそれでも処刑されたでしょうか?」
「どっちも許されない事なんだろうけど……撃ち殺さなくても良かった筈だ」
「商売をしている側も厳しいって聞きます。だから無断で商品を盗まれたら堪らないですよ」
「……そうだなぁ……」
「けれど、食い逃げするしかないという選択肢しか無かった現実も否めません」
「そうだな」
話している間にも喧騒は大きくなり、見過ごせなくなっていた。
二人も何が起きているのか把握する為に人垣を掻き分けて現状が見渡せる位置に出た。
身形の汚い若者が片腕を切られ、膝をついていた。その眼前には刀を手にしたエプロン姿の店主。切断された片腕が足元に転がっており、凄惨な光景に言葉を失う。
「稼ぐ努力もしないでタダ飯食えると思うな!」
「こいつはやってない!」
怒鳴る店主と若者の側に寄り添いながら反論するレイファ。周りの目は好奇なものから胡乱げなものに変わっていた。
「ただ店の前を通りかかっただけだ。何も盗ってない」
「なら何でその果実を持ってんだ?」
「子どもに貰ったんだよ」
「ガキに売った覚えはねぇぞ」
「でもちゃんと手渡しで貰ったんだ」
冷静に説明するレイファに対し、店主は疑い深くなっている。
「見え透いた嘘だな。代金を支払えって言ってんだ」
「だから貰っただけなんだって……」
「黙れ!」
店主が振り翳した剣をレイファはサラッと避け、苛立つように溜息をついた。
「もういい」
一瞬にしてその目に殺意を宿し、睨まれた店主の動きが止まった。
段々と息遣いが荒くなっていき、剣も手放してしまった。落ちた剣をレイファが拾い、剣先を店主の首元に突き付ける。
「どうせ信じる気なんて無いんだろう?ならその五月蝿い口潰してもいいかな」
店主は脅されても喉が鳴るだけで悲鳴すらあげられない。恐らく神経操作でもされたのだろう。自分の意思ではどうにもならないらしい。
「クロエ……」
状況を見ていたカタリナが怯えながらクロエの腕を掴んだ。青褪めた表情で震えている。
「……カタリナ。先に学校に戻ってて」
「でも……」
「キミには目に毒だ。これ以上は悪影響でしかない」
「……クロエは?」
「おれはエフレシア達に報告するから。最後まで見届ける」
「……分かりました。お気をつけて」
「カタリナも」
彼女は素直に帰校した。
周りの人々も段々と顔色を悪くしていき、パラパラと散っていく。
「お前一人殺したってこの世界は何も変わらない。精々オレが処刑されて終いだ」
彼は本気だ。人を殺すことに躊躇いなどないのだろう。
「くたばれ……」
「やめろ!」
クロエが叫ぶとレイファは手を止め、視線を向けた。
「……なに?」
「そんな事をしても無意味だ」
「あんたに解る?信じてもらえない側の気持ち。育ちが悪いとか貧しいとかそんな理由で蔑まれる思いした事あるの?」
「無いけど……」
「ただの正義感だけで割り込んでこないで」
「駄目だ!」
レイファは苛立ったように標的をクロエに変え、剣を飛ばしてきた。余裕で交わしたクロエだったが気付いた時には眼前にレイファの姿があり、そのまま腹に一撃を喰らった。
「邪魔立てするからだよ」
そのまま複数の打撃がクロエを襲い、意識が遠退いていった。
天使族の姿ならこんなやられ方はしない。
人間の姿は無力だ。傷の治りも遅いし痛みも重い。すぐに意識が遠退いて痛覚が麻痺していく。
天使族の姿に戻る訳にもいかず、クロエは散々な暴行を受けた末、目覚めた時には城の治療室にいた。
側には衛兵が一人、見張りをしており静寂が流れている。
「……痛っ……」
軽く手を動かしただけで激痛が走った。
全身包帯まみれだ。相当酷かったのだろう。
「クロエ……?」
小さな声で呼ばれ、いつの間にかエフレシアの姿があった。
「エフレシア……?なんで……」
「怪我……大丈夫?」
「あぁ……。結構痛いけど」
「クロエ……一緒にいた子は学校に戻ったって」
「そっか。なら良かった……」
「ごめんなさい!」
クロエが安堵したのと同時にエフレシアは深々と頭を下げ、謝罪した。
「……何のごめんなさい?」
「あたしが……一緒に行ってって言ったから……怪我を負わせた……。無責任な事した……から……」
「お前の所為じゃねーし。おれが勝手に首突っ込んでやられただけだ」
「でも……天使の姿に戻ればそんな傷だらけにはならなかったでしょ……?」
「あんな人だらけの場で正体晒してもな……。お前こそ、怪我してんの?」
「……うん」
「なら、ちゃんと休め。安静にしてろ」
「……クロエ……あたしの事嫌いになってないの?」
「なんで?」
「この間……一方的な言い方しちゃったから……」
「あれはおれの所為だし、もう気にしてない」
「……そっか」
まだ不安気な表情にクロエは次の言葉が見当たらない。
「そしたら、もう戻るね」
「部屋まで送る」
「ありがとう。でも安静にしてて。外にティタが待っててくれてるから」
「……そう」
「おやすみ、クロエ」
「あぁ……。おやすみ」
少しだけ笑みが灯ったエフレシアを見て蟠っていたものが浄化された。
あとはこの傷を全力で治すのみ!
ティタが彼女の護衛にいたことはさっさと忘れて深い眠りに落ちた。




