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邂逅

船はゆっくりと海の中を進んでいく。

波は穏やかで陽光も暖かい。

デッキの上で男達の監視の下、エフレシアは水平線を眺めていた。

この船が何処へ向かっているのか分からない。これからどんな境遇に遭うのかすら想像するのも鬱陶しい。


「気分、悪くない?」


隣にいたヴィトが心配そうに聞いた。


「大丈夫だよ」


エフレシアは身体の前で両手だけ拘束されたが、ヴィトとクロエは後ろ手に縛られていた。前科があるので振り解けないように固く結ばれている。クロエはずっと黙ったまま俯いていた。


「ごめんね、巻き込んで」

「謝らなくていいよ」

「でも……ぼくらの事、庇ってくれた」

「君たちが受けた傷を他人が勝手な解釈で片付けるのは違うしね。天使族はまだ生きてるし、そんなに弱くもないでしょう。それにあの人は無知みたいだからこれから思い知ればいいと思う」

「えっ……」


にこっと表情で応えられ、ヴィトはその言葉の意味を理解出来なかった。


「内緒話か?いいご身分だな」


あまり動揺していないエフレシア達に苛立ったのか、男達が口を挟んできた。


「戯言ですよ」

「お前、家族はいるか?」

「……兄がおります」

「おれらはな、その家族を失ったんだよ。こいつらの身勝手な遊びでな!」


ドンッとクロエが蹴り倒された。


「抵抗出来ない者を嬲るんですか」

「こいつがやってきた事と同じだろう。抵抗出来ない女を貪り食って売人に売ったんだからな!」

「かはっ……」


男の足が諸に腹に入り、クロエは咳き込む。


「それは弱者のやる事です」

「何とでも言え。こっちはもう失うもんないんでね!」

「ぅあ゙っ……!」


何度も同じ箇所を蹴られ、流石のクロエも耐え切れず苦痛な声を上げた。


「おにいさん達よりは綺麗な人に抱かれたんだから、いい思いしたんじゃないかな」

「……なんだと」

「エフレシア……」


余計な事を言ったと気付いた時には頬に痛みが走っていた。頭が揺れる。焦点が定まらない。仄かに血の匂いもしてきた。


「やめろ……。この子は関係ない……!」

「親しげにしてる時点で仲間なんだろ?それに、おれ達の事見下してる感じが気に入らねぇ」


あぁ、これは口の中を切ったのかも知れない。鉄の臭いはクセが強くて嫌だ。舌を噛まなかったのは幸いだった。


「エフレシア、鼻血……」

「ん……?」


ヴィトに言われるまで分からなかった。ボタボタ滴っているのは鼻血だったのか。フラフラしているのは多分貧血だ。


「女は殴られないとでも思ってたか?世間知らずが」

「……女だから、男には敵わないとでも思ってましたか?」


何とか鼻血を抑えながらエフレシアが聞く。


「どう足掻こうが所詮、男の方が力は強い。女は子ども産んで呑気に暮らしていればいいんだよ」

「……それなら、女性は貴方達の元から去れて良かったんじゃないですか?」

「馬鹿な事を。子どもの面倒見てるだけでいいんだぜ?男が金を稼いでくれば仕事が出来なくても咎められない」

「育児も大事な重労働ですけどね」

「戯け。それ以上、無駄口叩くならもう一発殴ってやろうか。ブスが更にブサイクになるな」


嘲笑する男達をエフレシアは静かに見据えていた。

鼻血はもう止まった。こんなのは気合だ。気の持ちようが大事だ。痛みも気にしなければ煩わしくない。貧血も治まった。ちゃんと目の前の光景を真っ直ぐに捉えることが出来る。


「先に手を出したのはそちらです」  

「はぁ?お前が挑発してきたんだろ」


エフレシアは口元に笑みを浮かべながら立ち上がり、深く息を吐き出した後、眼前の男の腹に蹴りを入れた。


「ぐぁっ……」


予想外の攻撃に油断していた男はよろけはしたものの態勢を整えた。けれど、その直後にエフレシアが勢いよく飛び乗ってきた。全体重を掛けられたまま馬乗りにされ、次に視界に入ってきたのは振り上げられた彼女の拳だ。


ゴンッ……と頭を諸に叩きつけられ男は意識を失った。


「うわぁ……」


ヴィトが正直な声をあげる。いくら小柄な彼女でもあの距離から頭をやられたら誰でも気を失うだろう。

周りにいた他の男達はただ呆然とエフレシアを眺めていた。襲ってくる気配を感じなかったエフレシアはフラフラしながら男から離れた。


「……ぁ、わっ……」

「無理しないで」


転びそうになった彼女を支えたのはそれまで大人しかったクロエだ。何故か拘束を解いており自由の身になっている。


「クロエ……お腹大丈夫?」

「あんなのはすぐ治る」

「……縄は?」

「焼いた」


エフレシアを男達から離れさせ、クロエはヴィトの拘束も解いた。


「炎?」

「熱だよ。おれの能力は熱。どんなものも焼けるし溶かせる。だから、こいつらだって黙らせようと思えば火傷程度に……」

「やめときなよ。そんなことされたら堪ったもんじゃない」


不意に美人の声が聞こえ、クロエは警戒態勢になった。


「この先のリラン島には、各国から色んな売人どもがやってくる。お前らのことも高く買ってくれるよ。良かったねぇ、綺麗な身形で」

巫山戯ふざけるな。おれらは商品じゃない」

「え?キミがそれを言うの?女どもを献上品扱いしてたクセに?」

「五月蝿い」

「駄目だよー。自分で撒いた種なんだから、ちゃんと償って貰わないと」

「……嫌だ……。もう……あんな目に遭いたくない……!」


ヴィトが怯えながら叫ぶ。クロエも青褪めた表情で瞳が揺らいでいる。


「自業自得じゃん。あんたもそう思うだろ?」


美人は平然と話を聞いているエフレシアに振った。


「……まぁ、貴方が言う事の方が正しく聞こえるよ。外見至上主義者だし、他人の所有物を平気でもてあそぶ様な輩だもんね。同じ目に遭っても文句は言えない」

「なんだ、お前。意外と冷たいんだな」

「ぞんざいに扱われたら誰だって根に持つよ。何度言われたって慣れてきたって、その言葉を言われたらまた傷つく。本当の事だからいくら自分で認めててもやっぱり痛むよ。だから、あたしは助ける事は出来ない」


それは美人にではなく、クロエに向けられた言葉だと分かった。平然としているから何もダメージが無い訳じゃない。表に出さないだけで覚えた感情はいつまでも蟠り続ける。


「お前は商品にしては欠陥品だしな。よっぽど物好きな売人にしか売れないかな」

「……そう。元々、そのつもりも無いけどね」

「……ん?」



ガシャン、と物凄い音で船内で寝ていたメルヴィアは起き上がった。何事かと辺りを見渡す。


「……何処だ、ここ……」


一応身形を確認する。服は着ている。傷も付けられてはいない。拘束も無しだった。

警戒しながらデッキに出ると、何やら激しいバトルが始まっていた。

ダンッと床に背を打ち、その痛みに視界が眩む。美人は呼吸を整えながら態勢を立て直す。 すぐに動かなければエフレシアがナイフを翳して向かってくる。


「何なんだよ、お前……」

「黙れ」


まるで人殺しの様な眼で射抜かれ、美人は足が縺れそのまま尻もちをついた。


「確かに制裁を受けるのもいい刺激になるかも知れない。後悔させる事も必要だ。そうすれば皆納得するんでしょう?だったら好きにしたらいい。それで贖罪がなされるならざまあみろだ。ボロ巾着みたいにズタズタにされてくたばれ」

「……言ってる事とやってる事が合ってねーぞ……」

「本気で怒ってるからね。言動が脳についていかない」

「怒るって何に?」 


恐る恐る訊いた美人にエフレシアはゆっくりと歩み寄り、馬乗りになりながら美人の横顔スレスレに思い切りナイフを振り下ろした。


「……狂ってんのか……」

「あたしね、ブスとかバカとか言われんのは構わないんだよ。傷つくけど仕方ない。それ以上に、何も知らないあんたに値踏みされたのが一番ムカつく」 

「……はぁ?」

「お前の勝手な先入観で他人を量るな」 


エフレシアは床に突き刺さったナイフを抜き、そっと美人の喉元に突きつける。


「今度は間違えない」

「……やってみろ。人殺しになりたいなら」

「此処であんたを殺して海に落とせば何の問題も無い。そこの男どもも海に沈んでもらう。証拠も証人も何も残らない」

「それでおれが朽ちるとでも思ってんのか?そんな勇気も無いだろ?」

「だから。勝手な言いがかりはやめてって言った」

「本当の事だろ」 

「……なら、確かめてみる?脅しじゃないよ」

「どうだか」


美人の態度が気に入らず彼女はナイフを振り上げた。


「エフレシア」


ぐっ、と力強さを感じ、手が動かせない。

初めて名を呼ばれた。

振り上げられたナイフが陽光でキラキラしている。


「……なんで?」

「お前が手を汚す必要は無い」

「言われっぱなしは嫌だ」

「オレがぶっ飛ばすから。こんな奴の為に怒るのも体力の無駄だ」

「……それもそっか。ちょっと暴走してたね、ごめん」


冷静さを取り戻したエフレシアは美人から離れた。


「これ以上好き放題にされんのは御免だからな」


メルヴィアが拳を鳴らしながら美人を見据える。

快晴にはそぐわない乱暴な音が響き渡った。



船がリラン島へ到着した。

勝手に賑やかな島なのかと想像していたエフレシアは予想外の静けさに嫌な予感が走った。

港には豪華な船が沢山見られた。けれど、降り立ったその先には人影すら無く気配も感じない。


「こういう島なのか?」


メルヴィアは縄で縛られている美人に訊いた。目一杯ボコられた美人の顔はパンパンに腫れている。


「違う……。普段は売人どもで煩い位だ。こんなに静かなのはおかしい」


恋人を失った男達も纏めて縄で拘束され、道の端に放置されている。


「……メルヴィア……。変な臭いする……」


鼻に付いた臭いにエフレシアは口元を押さえながら伝えた。ヴィトやクロエもその臭いに気付き、すぐに鼻を摘まんだ。


「中央あたりからだな」

「あっちは売人どもが品定めしてる所だ。ろくな光景じゃないけどね」


メルヴィアは美人を盾にするように前を歩かせ、その後にエフレシア達も続いた。

広場のような開けた場所に出ると、臭いがきつくなってきた。言葉にするのも嫌な臭いだ。目の前に広がる光景はまるで血の海だった。


「なんだこれ……」


売人と思われる人間がそこら中に転がっている。周囲には大量の血が飛び散っており、中には無惨な死体もあった。数は相当で、一体どこからこんなに集まったのだろうかと感心する位の人数だ。既に絶命している者が多数で生命の気配が掴めない。


「誰がこんなこと……」

「一一一客人ですか?」


エフレシア達の背後から柔らかい声が聴こえ、一斉に振り向くと漆黒の羽根が目についた。それと同時にその手に持っている生首にゾッとした。


「お前……ラピスか……?」


信じられないという表情で見つめるのはメルヴィア達天使族。

眼前にいるのは大人しそうな印象を持った青年。よく見れば服も返り血でえげつない。


「何して……」

「久方振りですね。まさか、この様な場で再会出来るとは思いませんでした」


ラピスと呼ばれた青年は動揺もせず、やんわりと挨拶した。


「お前……その羽根どうしたんだよ……。漆黒って……」

「クロエとヴィトも、変わりない様で良かったです」

「答えてよ……ねぇ……その羽根……なに……?」


震える声でヴィトが答えを促す。


「……ご覧の通りですよ。漆黒の羽根は堕ちた天使の証。私は、禁忌を犯しました」

「……禁忌……って……」

「これです。人間を殺しました」 


生首を掲げながらそれでもラピスは穏やかに話した。


「キミが……人を……?」

「人間に恭順していたんですけどね。バカらしくなって手に掛けました。我慢して耐えていたのが時間の無駄だと気付きましたよ。嫌な思いは消えない。逆らったら更に酷い目に遭う。だから、堕ちる覚悟で命を奪いました」

「……ラピス……」

「貴方達も似たような思いをされたんじゃないですか?メルヴィア、その片翼は人間にやられたものですよね?」

「……そうだ」

「殺してしまえば良かったのに」


以前の彼からは想像も付かない言葉が発せられ、その変わりようにクロエとヴィトはもうどうしたらいいのかわからなくなっていた。


「ラピス。どれ位、人間を殺したんだ?」


メルヴィアだけは揺らがずに聞いていく。


「そうですね……。いちいち数えていないのでご想像にお任せします」

「……なんで売人達を殺した」

「こいつらは毒です。生きていたら人害になる。だから纏めて始末したんです」

「……こんな事したって自己満足に過ぎない」

「いけませんか?人間だって自己満足の為に動いているでしょう。天使狩りだってそうです。こいつらの勝手な娯楽で楽園は壊された。天使に殺されても文句は言えませんよ」

「一度……罪に塗れたら……もう戻れない」

「後悔はしていません。寧ろ気持ちはスッキリしています。あの日、メルヴィアと分かれてイヴと一緒に天界を守ろうとしました。けれど、敵わなかった……。私は見知らぬ人間に売られて言葉にするのも億劫になるような仕打ちを沢山受けたんです。思い出すだけで吐き気がする……。だから、解放されたくて主人を破壊しました。その家族も皆壊して、街も国も焼いた。当然の罰なんです。殺されても仕方ない程の事をしてきたのですから。気付いた時には羽根は漆黒になっていました。私はもう天使族ではないんです」


目の前の天使は、天界にいた頃はこんなに饒舌ではなかった。静かでいつも聞き手に回っていた。その変貌振りにメルヴィアも言葉が続かなかった。


「メルヴィア。クロエとヴィトも。貴方達は私みたいになっては駄目ですよ」

「……ラピス」

「とてもいい気分とは言い切れませんから」

「……お前、今一人か?」

「いえ。共に旅をしている仲間がいます」

「そうか……」


誰かと一緒にいるなら良かったとメルヴィアは安堵した。闇堕ちしてそのまま一人でいるのは危険だ。支えが無いといつか爆発してしまうかも知れない。


「私達はこの島を焼き払って出ていきますが、メルヴィア達はどうしますか?」

「えっ…」

「焼き払うってなんだよ……」


クロエの声が少し震えていた。


「ごみ処理です。あのままだと死体は腐るので」

「……なんでそんな平然と言ってんだ……」

「これが私達のやり方なので」


微笑む姿は以前と変わらない。漆黒の羽根さえ無ければ有無を言わせず天使だと断言したい。


「止めますか?」

「なんで?やるなら全うした方が良いよ」


賛同の声を上げたのはエフレシアだ。


「……人間の貴方が促すんですね」

「こんなに大量の死体を放置しておくのも大概だよ」

「変わった方だ」

「そうかな」

「一一一あ、そろそろ燃やす?」


また別の声が現れ、振り向いた先にいたのが魔族だと認識したクロエ達は咄嗟に警戒態勢になった。

鳶色の瞳に褐色の肌、クロエの紅い髪よりも真紅の長髪。魔族だというのに気配が感じられない。


「敵意は無いよ」

「イウラ。手早く片付けをお願いします」

「うん」


彼が死体の山に手を向けると一気に炎が燃え上がった。異様な臭いが漂い、メルヴィア達の後ろにいたエフレシアは口元を手で隠した。


「……ラピスの知り合い?」

「元同族です」

「じゃあ、天使族だ。こんなに居ると壮観だね」


普通に魔族と話しているラピスにメルヴィア達は戸惑っていた。

魔族と天使族は色々とややこしい。敵視したりされたり常に互いの事を意識している。


「……だめだ……ちょっと気持ち悪……」


その臭いに気分を害され、エフレシアは立っているのも適わなくなった。

一一一トンっ、と誰かの腕に支えられ、揺らいでいた視界が定まる。


「辛いか?」


見知らぬ青年が心配そうな表情で聞いてきた。

大抵はこの場合、「大丈夫か?」と訊ねるだろう。いきなり「辛いか?」と聞かれるとは思ってもいなかったのでエフレシアは答えるのに間を置き過ぎてしまった。


「……大丈夫?」


答えずにいる彼女に青年は言葉を変えた。エフレシアは頷こうとしたがまだ気分爽快にはならなかったので小さく首を振った。


「横になるか?」

「……出来ればそうしたい……」

「アクト?なにしてるの?」


二人の様子に気付いたイウラが声を掛けた。それにメルヴィア達も視線を向ける。


「この子が具合悪いみたいだ……」

「……ゆ、うしゃ……」


出した声は震えていた。

メルヴィアはエフレシアを支えている青年に釘付けになった。

その雰囲気は変わらず、一気に彼と過した記憶が脳内を巡る。


「……メルヴィア……」


青年もメルヴィアを見て驚きを隠せない様だった。

共に過した日々はそんなに長くはなかった。けれど、触れ合った時間はとても満たされていた。

また逢えるか分からない、もう二度と逢えないかも知れない。そんな思いと交錯して、メルヴィアは涙を流した一一。

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