錯覚
「……ん?」
目覚めると薄暗い倉庫の様な場所にいた。辺りを見渡すと俯いている女性達の姿があり、隣にはメルヴィアが怪訝そうな表情を浮かべていた。
「やっと起きたか、オヒメサマ」
「メルヴィア……此処は何処でしょう」
「海の上。船の中」
「船?何故……」
「……オレの所為で巻き込んだ。ごめん」
「いや、それは良いんだけど……」
呟いた矢先、目眩と同時に吐き気を催した。船の揺れが身体に支障を来す。意識すると口から得体の知れないものが溢れ出てきそうだ。
「我慢するな。吐いていい」
用意周到にも程がある。
メルヴィアに差し出されたバケツにエフレシアは躊躇いもせず嗚咽した。背中を擦るメルヴィアの手が温かい。
「……大丈夫?」
「うん……。出したらスッキリした……」
「良かった」
「ごめんね、メルヴィア。汚れた?」
「平気」
そんなに溜まっていなかったのか、一度吐いたら次は無かった。
「……それで、なんで海の上?」
気分も整い、彼女は改めて状況説明を促した。
「……昨日……フィンと言い合ってオレが勝手に城から飛び出して街に降りたんだよ。あんたはそれを追ってきただけ。そしたらいきなり襲われて、気づいたら此処だった」
「あー……なるほど」
記憶を巡らすとエフレシアも何となく思い出してきた。
その日も何事もなく過ごしていたけれど、何が切っ掛けだったのかいきなり天使二人の論争が勃発し、メルヴィアを追って街に出た途端、意識を失ってしまったのだ。
「そして今に至ると」
「本当ごめん。多分、オレが天使族だってバレた。この船は海賊の船らしくて、そこの女達も町から拐われてきたらしい」
「……そうなんだ。でも、縛られたりしてないね」
「海の上だしな。オレも片翼だけじゃ長距離は飛べない。逃げても無駄だって事だろ」
「まぁ、泳げないし」
「行先はセイラン島だってさ。知ってる?」
「さぁ?地理には疎いもので」
「そうか」
「今頃、お城は大騒ぎかな?」
「どうだろうね。あんたは大変そうだ」
「お兄ちゃんが我を失ってないか心配だわ」
「すぐに助けが来るだろ」
「……意外と楽観的だね。でも、そんな望みは抱いちゃダメだよ」
とても冷たい声色で彼女は言い放った。
「助けなんて求めない方が良いんだ。そうやって期待するから、それが裏切られた時の絶望は耐えきれない程重い。だから、助けを待つより自分達で戻る方法を探った方が得策」
「……ただのオヒメサマって訳じゃないんだな」
「着飾るものが薄いと余計な知識が働くんだよ」
ガコン、と船が大きく揺れ出し、立ち上がろうとしたエフレシアは尻餅をついてしまった。
「着いたかな」
ギィっと重たそうな音を立てながら扉が開かれた。
射し込む陽気に目が眩む。
「出ろ!献上品ども」
柄の悪そうな雰囲気を漂わせた男達が現れ、エフレシア達に命令した。俯いていた女達が徐に立ち上がり、出口へと歩いていく。
「お前らもだよ」
様子を見ていたメルヴィアとエフレシアも無理矢理船から降ろされた。
波の音が清涼感を与えさせる。砂浜の奥には森が存在していてその中を有無を言わさず歩かされた。
整備されていない道を慣れない足取りで辿り、開けた場所に出たと思ったらそこには寂れた教会の様な建築物があった。
よくある女神の像らしきものは真っ二つに割れて転がっており、並べられている鉢植えも手入れがなされてないのか枯れた花ばかりだ。外は明るいのにこの場所だけ暗い雰囲気に包まれている。
「カミサマ。献上品をお持ちしました」
中に入ると黒いローブを纏った人影が動き、海賊達は跪いた。
「今日も大量だな。ご苦労、海賊ども」
褒美だ、と金銭の入った巾着を受け取った海賊達は意気揚々と教会から出ていった。
「……なんだ?紛れ物?」
差し出された女達を奥の部屋へ誘導していると「カミサマ」と呼ばれた人物がメルヴィアとエフレシアに気付いた。
「お前……メルヴィアか?」
「えっ」
「久しぶりだなぁ、同士よ」
ローブのフードを取った彼の姿にメルヴィアは表情を歪めた。
長い朱髪を靡かせた綺麗な青年はにこやかに振る舞う。
「……クロエ……」
「そんな嫌な顔しなくても良くない?こうして逢えた訳だし」
「……会いたくなかった」
「えー?寂しいなぁ。天使狩りに遭って辟易してるかと思ったのに。そんなブスな人間連れて何してんの?」
「黙れ」
低い声でクロエを睨み返し、メルヴィアはエフレシアを守る体勢になった。
「怖っわ……。その人間に惚れてんのか?だったらやめときな。人間はすぐに裏切る」
「違う。こいつはただの世話係だ」
「なら、その姿勢はなんだよ」
「……こいつに危害が加わると面倒な事になる。オレは責任持てない」
「大した理由じゃん?まぁ、献上品にしては価値が無いしな」
「相変わらず外見重視か。中身も見ろよ」
「綺麗なものは目の保養だし、ブスは見る価値もないし。何が悪いの?」
「……カミサマって呼ばれてる割に差別するんだ」
二人の会話を聞いていたエフレシアはさらっと闖入した。
「ブスが気安く話しかけないでくれるかな」
「ごめんなさい」
あまり関わりたくないタイプだと感じ、エフレシアはメルヴィアから少し離れた。
「なぁ、メルヴィア!折角再会したんだし、此処で一緒に暮らさない?」
「絶対やだ」
「変なことしないよ」
「人間を献上品扱いしてる奴とは関わりたくない」
「……なに?そのブスに絆されでもした?お前らしくないな」
「煩い」
「人間の女は美味しいのに」
「……喰ったのか?」
「煮るなり焼くなりした訳じゃないよ。甘い言葉で誘って天国を見せてあげるだけだ」
「その後は?」
「売人が定期的に来るからね。高値で売るだけだよ」
「……最低だな」
「人間には当然の罰だろう」
「だからって関係ない人達を襲うのは違う」
「……お前さぁ、いつからそんないい子ちゃんになった訳?邪魔するなら殺すよ」
「…ぅあっ……!」
急に後ろから鈍い声が聞こえた。メルヴィアが振り向くと、もう一人の天使に漸く気付いた。
「お話終わった?」
「ヴィト……」
小柄な少年が退屈そうに呟く。その手には血塗れたナイフが握られており、足元にはエフレシアが蹲っていた。
「クロエに従った方が賢明だと思うけどね」
「それは出来ない」
「そう。なら、この子死んじゃうよ」
「何したんだ」
「脇腹を刺しただけ。でも、大量出血は死に至るんでしょ?」
エフレシアは苦痛な表情で脇腹を押さえている。血は止めどなく流れ出ていき、床も紅く染まっていく。
「この子助けたかったらクロエに協力して」
「……卑怯者」
クロエを睨み付けながらメルヴィアは警戒を解き、跪いた。
「聞き分けが良いな、メルヴィア」
出された彼の手の甲に口付けする。クロエの趣味だ。天界でもそんな事ばかりやっていて良からぬ噂があちこちに飛び交っていた。
「メルヴィアに感謝するんだね、人間」
意識が朦朧としているエフレシアにヴィトがそっと触れると、スッと痛みが引いていき、流れ出ていた血も消滅した。
「さて、メルヴィア。手伝って欲しい事がある」
「何だよ」
「献上品の女どもの仕分けだ」
「仕分け?」
「あの中からより美人な女を一人選んでこい。それ以外は商品だ」
「……分かった」
「味見してもいいよ」
奥の部屋に促され、メルヴィアは渋々女達の前に現れた。
待ちぼうけしていた彼女達は疲れ切っていて憔悴している。
その中から一人を選ぶのはちょっと厳しいかもしれない。
「人間」
「……はい」
これまでにも『人間』と呼ばれたことは僅かにあったのでエフレシアは視線だけ向けた。
「本当はメルヴィアの何なの?お前みたいなブスがメルヴィアと対等だとでも?」
「いえ……。ただの世話係で……」
「天使に世話係なんて必要ないんだけど。それにあいつは簡単に靡かない。側にいても泣くだけなんだよ」
「……フラれたんですか?」
「はぁ……?どう理解したらそうなんだよ!」
「過去の恋人っぽい言い方だったので」
「勝手な解釈してんじゃねぇ。人間のクセに」
「……そこまで人間を忌み嫌うのは天使刈りをされたからですか」
「人間は穢い。欲望の為なら手段を選ばないんだろう?おれは仲間が泣きながら囚われるのを見た。それでも人間は笑いながら、大量大量って騒いで仲間達を連れて行ったんだ!許せる訳無い!居場所まで奪われて、最悪な奴らに売られて散々な思いして……!人間には解らないだろ!」
乱れるクロエをヴィトが支えた。
「だからね。これは復讐なんだよ」
「……なんの?」
「今度は人間達が苦しむ番だって事。天使族は綺麗な奴らばっかじゃない。恨みも妬みも持つんだよ」
ヴィトは表情一つ変えず、冷めた視線でエフレシアに聞かせる。
「無関係な人間にも?」
「当然だ。キミは知らないでしょう?ぼくらがどんな目にあったのか。想像するのも嫌になるよ」
「……別に、知りたいなんて思ってない。メルヴィアにも干渉はしないって言った」
「どうだか。人間は嘘つきが多いって聞いたよ」
「どう思われようがどうだっていい。あたしは無事に帰城出来れば貴方達の事なんてどうでもいい」
想定外な彼女の態度にヴィトは言葉に詰まった。今までの人間は天使族というだけで興味津々に弄んできた。だから『どうでもいい』なんて言われたのは初めてだった。
「……そうか。お前、名は?」
「エフレシア」
「綺麗な名前じゃんか。ブスのクセに」
ブスと呼ばれる事には慣れきっているのでエフレシアは何も動じない。
「クロエは髪が紅いね」
「突然変異だ」
「えっ」
「ティタにやられた。あいつと髪色ダブルからって勝手に赤髪にされたんだよ」
「災難だね」
「……ティタのことも知ってるのか?」
「この間親しくなりまして。フィンもいるよ」
「お前……厄介な奴らばっかり構ってるな」
「何も厄介ではないけど」
「気を付けた方が良いぜ。特にティタは、平気で仲間を裏切る奴だ」
「覚えておくよ」
「泣いても知らないからな」
程よく打ち解けた空気になった頃、バキッと扉が吹っ飛んだ。エフレシア達が視線を向けると一人の美人が立っていた。
「メルヴィア!」
美人が腕に抱いていたのは傷だらけになっているメルヴィアだ。何をされたのか、意識も失っている。
「お前らが、カミサマって呼ばれてる奴か?」
「……そうだ」
クロエが答えると美人は薄ら笑い、後ろに声を掛けた。
「テメェ等の探しもんはこいつだろう?」
奥の部屋から出てきたのは体つきの良い男性達。ぞろぞろと現れ、その目には強い意志を感じさせた。
「お前ら何処から……」
「最初から騙されてんだよ。オレの能力は【錯覚】。人の視界を操る。お前らが見てた女達はオレの能力を掛けた男どもだ。みんな、お前らに恋人を奪われたってな」
美人が説明すると男達は怒りに震えながらクロエを睨みつけていた。
「返してくれ!おれの妻を返せ!」
一人が叫ぶとそれを皮切りに同じ様な言葉が降り注がれた。
嫁を返せ、恋人を返せ、妹を返せと男達は必死に叫んだ。
「……返せと言われても無理だ。売人にあげたからな……」
「なんだと……!」
「うちの娘を誰に売った!」
「人間をなんだと思ってんだ!」
飛び交う怒号にクロエは耳を塞ぐ仕草を見せた。まるで他人事のような目で男達を眺めている。
「売人と繫がってんのか。なら、今度はお前らの番だな」
美人はエフレシアを一瞥した後、メルヴィアを放り投げた。その小柄な体躯では受け止めきれず後ろの壁に思い切り背を打った。
「エフレシア……!」
「女達と同じ思いさせてやるよ」
「最初に手を出してきたのは人間の方じゃないか!」
耐えきれず、ヴィトが叫ぶ。
「お前ら、アレだろ?あのー……ほら……何だっけ?」
「天使族?」
「あぁ、それだ!天使族!人間に狩られて悲惨な目に遭ったからその思いを人間に食らわせてやろうとか思ってんだ?バッカじゃね?陳腐な考え」
「なんだと……」
「もう終わってんだよ。天使族は死んだ。残り物は精々、人間に付き従った方が賢明だと思うけどね」
油断していた美人はその寸前まで喉元に刃先が突きつけられた事に気付かなかった。眼前には冷たい眼孔で美人を捕えるエフレシアの姿。先程までくたばっていた筈の彼女に美人は驚きを隠せない。
「何も知らない奴らが、勝手な事を言うな」
「……びっくりだなぁ。あんた、ただのお子様じゃないのね」
「それ以上無駄口叩いたら、喉潰れるよ」
「度胸ある女は好きだよ。ほら、やってみな?そのままブスッってさせたら抱いてやるよ」
「黙れ」
エフレシアは躊躇わず、そのまま刃先を喉元に突き刺した。
呆気ない、と同時に違和感が芽生えその気配に振り向いた。
「お前、やっぱ馬鹿だろ」
今度はエフレシアの首元に刃先が突きつけられ、眼前にはニヤニヤした美人が立っている。
「話聞いてなかったの?オレの能力教えたじゃん」
視線だけ向けると、エフレシアが対峙していたのは男の一人だ。喉を潰され、見開かれた目には恐怖が宿っている。
「甘く見ないで欲しいなぁ」
「やめろ!その女は関係ないだろ!」
見兼ねたクロエが出張った。けれど、何も出来ない。動けばエフレシアが殺されるかもしれないと気配で分かる。
「威勢は良いから、物好きな輩には高値で売れるぜ。お前らを売った金でこの男どもは生活が出来る」
「……生活?」
「女がいないと男は生活できないんだよ。こいつらの街はそういう所だ。女が優先、男は子種を与える為だけの存在。女がいてこそ認められて生活が出来る。どうしても女が出来ない男には大金が与えられて死ぬまで孤独に生きるしかないんだよ」
美人は吐き捨てるように言った。
「大人しくしてれば殺しはしない」
エフレシアをクロエの方に突き飛ばし、美人は男達に視線を促した。




