4. 小さな姫の逃避行 ( 過去 )
これはヴォルカンです。
本当は頭の中ではもっとかっこよく見えているんですが、私の画力ではここまででした 。
https://x.com/Azerun0192/status/2084682858170597892?s=20
地獄の熱い陽光が初めてガラスの翼に触れたその瞬間から、すべての天使たちは自分たちの主が誰なのかを知っていた。
ヴォルカンには、地獄の主となる以外の道はなかった。
白き大地でガラスの翼を持って生まれることには、代償がある。その代償を払うのはヴォルカンだった。
地獄と、そこに住む天使たちを守るのは彼の役目だった。
最初から、生まれながらにして選ばれた主――。
「翼が輝いてる。」
幼い王女は部屋の入り口に立ち、兄を見つめていた。
「ルーナ、おいで。」
地獄の主は、白い石造りの部屋の中央で翼を大きく広げて立っていた。周囲では侍従たちが儀式の支度を進めている。儀式用の衣装をまとい、すべての準備は整っていた。
「主様。」
侍従は儀式衣装の最後の一着である黒いマントを広げ、恭しく差し出した。
ヴォルカンは身体にぴったりと合った長いマントを羽織る。
「お前も儀式に来るか?」
ルーナは兄の支度を興味津々に見守っていた。部屋へ入るのをためらうように、小さくゆっくりとした足取りで彼のもとへ近づく。
「行ってもいいの?」
今日、儀式があることは知っていた。誰のための儀式なのかも知っている。
ルーナも参加したかった。
けれど、その儀式で何が行われるのかは、まったく知らなかった。
「もちろん。」
地獄の主の若々しい顔は、その翼に負けないほど輝いていた。
彼は幼い妹を抱き上げ、そのまま部屋を後にする。
「しかも、私と一緒にな。」
幼い王女は兄の腕の中でとても幸せそうだった。
両腕をヴォルカンの首に回し、憧れに満ちた眼差しで兄を見つめている。
儀式の準備はすべて整っていた。
城の広い中庭には、すでに大勢の天使たちが集まり、その時を待っていた。
カスコ王は家族全員とともに最前列に並んでいる。
ドイエナルテ家のすぐ隣には、第三の王ダルヴェト・ラドゥラスが立っていた。
ラドゥラス家の末の王子アルヴェスは後方へ下がり、身を隠すように端から様子をうかがっていた。
アカンポラ城の中庭には数え切れないほどの天使が集まっていたが、その中央だけはぽっかりと空いていた。
そこは七人の天使とヴォルカンのための場所だった。
ヴォルカンはガラスの翼を大きく広げ、幼い王女を抱いたまま最上階のバルコニーからゆっくりと舞い降りた。
ロルケン・アカンポラ王は儀式を始めるため、ヴォルカンの前へ進み出る。
王はまず、地獄の主に向かって静かに頭を垂れた。
続いて、中庭にいた者たちも一斉に同じように頭を下げる。
誰もがヴォルカンの前で頭を垂れる中、ルーナは兄の首にしがみついたまま、その光景を静かに見つめていた。
そのとき、不意に城の中庭を闇のような影が覆う。
ヴォルカンは顔を上げ、空を見上げた。
地獄で最も美しい存在たちがやって来たのだ。
「前に立っていろ。」
ヴォルカンは幼い王女をそっと地面へ降ろした。
「うん。」
ルーナは裸足のまま駆け出し、ゼヴィアンの隣へ立つ。
七人の天使が一人ずつ中庭へ舞い降りた。
着地すると、全員が順番に地獄の主の前へ跪き、翼を下ろす。
顔を上げることなく、腰から短剣を抜いた。
「テロ。」
ヴォルカンは列の先頭へ進み、手を差し出す。
「主様。」
テロは短剣を両手でゆっくりと持ち上げた。
視線を地面に落としたまま、その短剣をヴォルカンへ差し出す。
七人の天使は誰一人として顔を上げなかった。
それでも、その肩は真っすぐ伸びていた。
両手を腰の前で交差させ、主の前ではまるで従者のように見える。
だが彼らは、地獄と地獄の主に最も忠実で、最も強き戦士たちだった。
ヴォルカンは長い短剣を手に取る。
次の瞬間、その刃をためらうことなくテロの胸の中央へ突き立てた。
「お兄ちゃん!!」
ルーナは目を大きく見開いた。
恐怖だったのか、それとも失望だったのか、自分でもわからなかった。
「静かに。」
ゼヴィアンは小さな翼でルーナをそっとつついた。
ゼヴィアンもルーナとほとんど同じ年頃だったが、この儀式で何が起こるのかを知っていた。
テロの胸から血にも似た固い溶岩が流れ落ちる。
その光景に、ヴォルカンの意識は一瞬揺らいだ。
つい数分前まで憧れの眼差しで自分を見つめていたルーナが、今は兄である自分を恐れている。
しかし今は、妹の頭を撫でて安心させる時間などなかった。
ヴォルカンは身をかがめることなく、テロの短剣を静かに彼の前へ置いた。
次はヴィクトだった。
ヴォルカンは彼の前へ進むと、その短剣を手に取り、同じ動作を繰り返す。
短剣がヴィクトの胸を貫いた瞬間、その翼は奇妙なほど大きく天へ向かって広がった。
三人目はアモノだった。
ヴォルカンは彼の前へ進み、その短剣を手に取る。
群衆の中から静かなざわめきが広がり始めた。
天使たちは驚きながら、小声で何かをささやき合っている。
「ヴェルヴェク!」
地獄の主の声には怒りが宿っていた。
ヴェルヴェクは列の最後尾に立っていた。
群衆は、彼が顔を上げたのを見て、再びざわめき始めた。儀式の最中に地獄の主の前で顔を上げることは、この上ない無礼とされていた。
ヴォルカンは怒りに呑まれることなく、儀式の順序を乱さず続けようとした。
だが、ヴェルヴェクは顔を上げたまま、ヴォルカンを見つめ続けていた。
ヴォルカンはアモノの胸から短剣を引き抜いた。
その瞬間、彼の動きが止まる。
ゆっくりと顔を向け、再びヴェルヴェクを見た。
今度のヴォルカンは、ただ見るのではなく、その姿をしっかりと見つめることを選んだ。
ヴェルヴェクの瞳は涙でいっぱいだった。
もう一秒たりとも耐えられそうになかった。
彼も、ほかの天使たちと同じように死にたくなかった。
だが、ほかの天使たちはその恐怖を見事に隠し通していた。
死の瞬間でさえ、誰もが彼らを恐れていたほどだった。
ヴェルヴェクには、それができなかった。
その視線はヴォルカンに必死に訴えかけていた。
それは生き延びたいという願いではない。
その願いの理由は、瞳に浮かぶ涙だった。
その涙がこぼれ落ち、誰もが自分の涙を見る前に死にたかったのだ。
ヴォルカンは、その意味を理解すると、列の最後尾へ歩いていった。
ヴェルヴェクの前に立ち、静かに片手を差し出す。
群衆は再びざわめき始めた。
しかし今度のざわめきは、地獄の主についてだった。
彼が儀式の順番を変えたことで、人々は驚き、同時に戸惑いも覚えていた。
それでも、地獄の主に儀式の作法を教えられる者など誰一人いなかった。
ヴェルヴェクは今にもこぼれそうな涙をこらえながら、短剣を持ち上げた。
短剣を渡すと、静かに頭を下げる。
やがて列の最後にも、固い溶岩が流れ始めた。
順番こそ変わったものの、七人の天使は皆、自らの短剣によって命を落とした。
彼らの胸から流れ出る溶岩は、ヴォルカンの足元へと流れていく。
溶岩が流れ続けても、七人の天使はなお膝をついたままだった。
儀式を終える時が来た。
「我がために、再び生まれよ!」
地獄の主は空を見上げ、誰かに呼びかけるように高らかに告げた。
続いてガラスの翼をいっぱいに広げる。
まるで飛び立とうとするように翼を天へ向けて持ち上げた。
翼が澄んだ音を響かせながら前方へ振り下ろされる。
その瞬間、無数のガラスの破片が七人の天使を包み込んだ。
しかし、そのガラスの嵐は長くは続かなかった。
まるで一つひとつの破片が自らの居場所を知っているかのように、天使たちの前で空中へ集まり始める。
短剣によってできた傷は、ガラスの破片によって埋め尽くされた。
七つの同じ身体に、七つの新たな魂が宿る。
七人の美しき存在は、再び静かに目を開いた。
王子たちがいるのは地獄だけではない。
人間の王国にもまた、王子たちがいた。
彼らもまた、それぞれの世界を治めるために育てられていた。
北の王国は、背後に巨大な城壁がそびえているかのような姿をしていた。
王国は高く険しい山々を背に築かれている。
その山の麓、町で最も高い場所には王の城が建っていた。
高い灰色の城壁の内側では、年老いた王が王子たちを探していた。
「王子たちはどこだ!」
老王は苛立ちのあまり、目の前を通る侍従たち全員に怒鳴りつけていた。
王には多くの子どもがいた。
だが、そのほとんどを失っていた。
病で命を落とした者もいれば、他国との戦で命を落とした者もいた。
近隣諸国との戦争の末、生き残った北の王国の王子は二人だけだった。
幸村王子と信玄王子である。
「信玄王子は氷の宮殿におられます、陛下。」
老王が城の廊下を怒りをにじませながら歩く中、侍従は行く手を遮ることなく答えた。
「幸村はどこだ? すぐに探せ!」
老王は残された時間が少ないことを知っていた。
だからこそ、自らが死ぬ前に王子たちを育て上げたかった。
信玄は若き王子として日々鍛錬を積んでいた。
一方、幸村はいたずら好きな幼い子どもだった。
信玄王子が氷の宮殿で隊長たちと訓練し、剣術を学んでいる頃、幸村王子は遊びや冒険ばかり追いかけていた。
「王子の白熊が見当たりません、陛下!」
侍従の一人が慌てて駆け寄り、王の前で頭を下げた。
幸村王子はまた稽古を抜け出し、城から逃げ出していた。
城中の者が慌てて王子を探し回る中、小さな王子は白熊の子の背に乗り、森へ向かっていた。
「ほら、ボラ! もっと急げ!」
王子は後ろを走る友人に声をかけた。
「ユキ、王様はすごく怒ってるよ。戻ろう。」
ボラは白熊の子の首輪にしっかりとつかまりながら言った。
「君は怒られないじゃないか。」
王子は笑いながら答える。
ボラは王の護衛の一人の息子であり、王子の一番の親友だった。
城には王子と同い年の子どもが大勢いた。
それでも、幸村王子が友達に選んだのはボラだった。
幸村王子は七歳の幼い子どもだった。
信玄王子が同じ年頃の頃には、すでに戦士たちの隊長のそばを離れなかった。
しかし幼い王子にとっては、白熊や森のほうがずっと魅力的だった。
王子はほとんど毎日のように白熊の子の背に乗り、広い森を抜けてプラタナスの城壁 までやって来ていた。
「この向こうには何があると思う?」
王子はいつも城壁を見つめながら、物思いにふけっていた。
「わからないよ、ユキ。昨日もわからなかったし、今日だってわからない。」
ボラのうんざりしたような口調に、王子は思わず笑った。
プラタナスの城壁 の向こうでは、地獄の若き主が儀式を終え、自室へ戻るところだった。
アカンポラ城の中庭は再び静けさを取り戻していた。
だが城内の廊下では、侍従たちが果物籠を抱え、慌ただしく行き交っていた。
「王女はどこだ?」
ヴォルカンはルーナを探していた。
若き主が廊下を歩くと、侍女たちは道の端へ下がり、一列に並んで頭を垂れる。
「わかりません、主様。」
天使たちは皆、果物の収穫から戻ってきたばかりだった。
城で何が起こっていたのか、誰一人知らなかった。
侍従の天使たちは頭を下げたままだったが、手にした果物籠は少しだけ前へ差し出していた。
ヴォルカンは侍従たちの前を通り過ぎると、列の先頭に立つ天使へ目を向けた。
「お前は、なぜ果物を差し出さない?」
先頭に立っていた天使は、小さなぶどう籠を持ったまま、それを差し出すことなく頭を下げていた。
その時のヴォルカンは、果物を食べたいと思っていたわけではない。
ただ、その侍従の行動が不思議に思えたのだ。
若き主はその天使の前で立ち止まり、返事を待った。
「主様は、紫ぶどうがお好きではありませんので。」
侍従は顔を上げることなく、落ち着いた声で答えた。
「お前たちは下がっていい。」
若き主は、美しい天使の迷いのない口調に興味を引かれた。
主の言葉を聞くと、ほかの侍従たちはその場を離れていく。
ぶどう籠を持った天使だけが、頭を下げたまま残っていた。
「ほかには、私は何が嫌いなんだ?」
侍従の天使は、若き主の声に混じるからかうような響きを感じ取っていた。
彼女は勇気を出して顔を上げ、ヴォルカンの瞳を見つめる。
主の微笑みに、一瞬心を奪われた。
「お前の名前は?」
ヴォルカンは、自分でも理由がわからないまま、その侍女から目を離せなかった。
「ペルーナと申します、主様。」
ペルーナは再び視線を伏せた。
地獄の主の心が、激しく恋へと向かい始める一方で、ルーナはプラタナスの城壁 へ向かっていた。
王女は熱い地面を裸足で踏みしめ、泣きながら走る。
幼いルーナの世界は崩れ去っていた。
誰よりも信じていた人が、自分の目の前でほかの天使たちを殺したのだ。
恐怖に包まれたルーナは、地獄から逃げ出したかった。
プラタナスの木々へ近づくと、木々の間から涼しい風が吹き抜ける。
それでも彼女の決意は変わらなかった。
怖くても、泣きながら城壁を越えた。
ルーナが人間の国へ足を踏み入れると、裸足に伝わるひんやりとした感触に思わず足を止める。
幼い王女は立ち止まり、足元を見つめた。
地面は緑色だった。
冷たく、乾いた土ではなく草が一面に生えている。
足の指を動かしながら、その隙間をくすぐる草に触れた。
寒いのは苦手だったが、その緑の草は幼い王女の気に入った。
「なんて大きなお庭なの!」
目の前に広がる大きな木々を見ても、それが森だとは思わなかった。
地獄には森はなく、果樹園しかなかったからだ。
幼い王女は果物が大好きだった。
そのため、この森も大きな果樹園だと思い込んでいた。
しかし、大きな木々の間を歩いても、見えるのは緑の木ばかりだった。
「上にあるのかな?」
木々は高く、大きかった。
王女は小さな翼を広げて空へ舞い上がり、果物は上にあるのだと思って探し始める。
「僕の勝ちだ!」
ボラは水晶の剣を幸村王子の喉元へ突きつけた。
森へ来るたびに、二人は剣も持ってきていた。
もちろん、訓練のためではない。
ただ遊びたかっただけだ。
果物を探していたルーナは、人間たちを見つけた。
人間の子どもたちの姿を見ると、空中で思わず動きを止める。
そして慌てて木のてっぺんへ飛び移り、枝葉に身を隠して二人を見つめていた。
幼い王女はとても臆病だった。
少しのことでもすぐ驚いてしまう。
幸村王子とボラは、剣を振り回しながら楽しそうに遊んでいた。
「降参しろ!」
今度は幸村王子が勝っていた。
剣先をボラの胸へ向け、降参するのを待っている。
「きゃああっ!」
幼いルーナの心は、それ以上耐えられなかった。
驚いた拍子にバランスを崩し、木の上から落ちてしまう。
また翼を使うことを忘れていたのだ。
「君は誰だ!?」
音を聞いた王子とボラは、すぐに駆け寄った。
幸村王子は翼のある存在を目の前にして、真っ先に助けようとするのではなく、その正体を尋ねた。
「大丈夫?」
ボラは少しためらいながらルーナへ近づき、手を差し伸べる。
ルーナは翼を強く打ってしまっていた。
立ち上がるために、ボラの手を握る。
「ルーナ。」
ルーナは王子の質問を、自分の名前を尋ねられたのだと勘違いした。
「どこから来たの?」
ボラが興味津々に尋ねる。
「あっち。」
王女は指で後ろの城壁を示した。
「プラタナスの城壁 の向こうから?」
幸村王子は目を輝かせながらルーナへ近づいた。
「うん。」
幼い王女は少し怖がって後ずさる。
王子とボラはルーナにたくさんの質問をした。
ルーナには、どうして二人が地獄にそんなに興味を持つのかわからなかったが、それでも一つひとつ答えていった。
二人は新しい友達になったルーナを森の中へ案内した。
「ここ、寒い。」
幼い王女は両腕をさすった。
地獄の熱い大地に慣れた彼女には、この場所はとても寒かった。
「何してるの?」
幸村王子は、ボラの首に巻かれていたマフラーを外した。
「はい。」
まるで自分の物であるかのように、それをルーナへ差し出す。
「カラフル。」
幼い王女の服はすべて黒一色だった。
幸村が青いマフラーを差し出すと、ルーナは少し戸惑った。
「すごく似合うよ。」
王子はそのマフラーを幼い王女の首に優しく巻いてあげた。
「もう帰らなきゃ。」
ルーナは木ばかりの大きな森で、結局一つも果物を見つけられなかった。
そのうえ、とても寒かった。
一刻も早く家へ帰りたかった。
「また来てよ。」
幸村王子は嬉しそうに、もう一度ルーナへ近づく。
だが今度は、ルーナは怖がらなかった。
「来ない。」
そう言って首を横に振る。
「どうして?」
王子の声には焦りが滲んでいた。
「あなたたちのお庭には果物がないもの。それに、地面がすごく冷たい。」
幼い王女は、その日二度目のがっかりを味わっていた。
「ここは庭じゃないよ。森なんだ。それに、僕が果物を持ってきてあげる。」
幸村はルーナの大きな瞳を見つめたまま、その前から動かなかった。
「でも、地面が冷たい。」
ルーナは自分の足元を見つめる。
「靴も持ってきてあげる。また来て。」
幸村王子は、その焦りを隠せなかった。
「うん。」
約束を交わすと、小さな天使はプラタナスの城壁 へ向かって飛び立った。




