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幼なじみを王子に奪われ、EXスキルだけで追放された俺は、捨てられ巫女と魔王領へ亡命する ~新潟の米農家息子、少女魔王とクソッタレ異世界を耕し直す~  作者: ラズベリーパイ大好きおじさん


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7/8

青葉王城潜入、奪われた心を刈り取る

王都へ向かうと決めた日の夜、花巻楓は畑にいた。


魔王と呼ばれる少女は、砦の一番高い場所でも、玉座でもなく、焦げた畦の前にしゃがんでいた。緑の外套の裾が泥につきそうになっているのに、本人は気にしていない。


「楓様、服が汚れるぞ」


俺が声をかけると、楓は土から目を離さずに言った。


「もう十分汚れているもの」


「魔王がそれでいいのか」


「魔王だからいいのかもしれない」


返しづらいことを言う。


楓の手元には、小さな芽があった。王国軍の枯れ瘴矢を受けた場所のすぐそばで、半分焦げながらも生き残った苗だ。俺が昼間、根が残っていると言ったやつだった。


楓はそれを見つめたまま、ぽつりと言った。


「本当に、生きているのね」


「根が残ってるからな」


「あなたはそれを見つけられる」


「うちの親父なら、もっと早く見つける」


「また親父さん」


楓が小さく笑った。


それから立ち上がり、俺を見た。夜の畑で見ると、彼女はやっぱり年相応に小さかった。けれど、その目だけは砦の誰よりもまっすぐだった。


「王都へ行くのね」


「ああ」


「六日さんを救いに」


「それもある」


「それだけではない?」


「レオンを引きずり下ろす。王国の嘘をばらす。召喚者を使い捨てにしてきた仕組みを壊す」


言葉にすると、ずいぶん大きい。


俺は少し笑った。


「まあ、俺がやることはたぶん、また地味だ。抜いて、外して、誰かの足元を耕すくらいだと思う」


「地味なものほど、取り返しがつかないと紫波が言っていたわ」


「数字で殴る人の言葉は重いな」


楓は外套の内側から、小さな布包みを取り出した。


中には、あの水穀の種が一粒入っていた。平泉衣川が「まだ諦めきれぬもの」と言って渡してきた、ほとんど死にかけの種だ。


「持っていくのか?」


「いいえ。これはここに置いておく」


楓は布包みを俺に見せ、それから大事そうに胸元へ戻した。


「あなたが戻ってきたら、田んぼを作るのでしょう」


「そのつもりだ」


「なら、戻ってきなさい」


命令ではなかった。


でも、命令より強かった。


「魔王様にそこまで言われたら、帰ってくるしかないな」


「魔王ではなく、花巻楓として言っているの」


俺は言葉に詰まった。


そういうのはずるい。


「わかった。戻る」


楓は頷いた。


それから、少しだけ口元を緩めた。


「青葉を泣かせたら、雫に射らせるから」


「なんでそこで青葉が出てくる」


「凪も怒るわ」


「俺の味方、少なくないか」


「みんな味方だから怒るのよ」


それは、反論しづらかった。


翌朝、俺たちは砦を出た。


行くのは俺、杜野青葉、遠野雫、宮古凪。それから途中まで道案内として、呪印を抜いた元王国兵の七北田透が同行する。北上紫波は国境の反抗村と連携し、楓はモリューカの本隊を率いて王国軍の目を国境に引きつける手筈になっていた。


出発前、紫波は俺に小さな板を渡した。


「王都の外郭図です」


「俺、読めないぞ」


「青葉が読みます」


「じゃあ青葉に渡せばよくないか」


「あなたに渡すことで、あなたが責任を持って青葉に読ませます」


「責任の押しつけ方がうまい」


紫波はまったく笑わなかった。


「生きて戻ってください。あなたにはまだ、畑の改良計画が七つ残っています」


「俺の命、畑の計画に紐づいてるのか」


「他にもありますが、今もっとも効果的な理由を述べました」


やっぱり数字で殴ってくる。


衣川は杖をつきながら近づいてきて、俺の肩を叩いた。かなり痛かった。


「王都の石畳ばかり見るな。水の流れを見ろ」


「王都でも水路か」


「人の集まるところに水はある。水のあるところに抜け道もある」


「覚えておく」


「あと、無理をするな」


意外な言葉だったので、俺は老人を見た。


衣川はふんと鼻を鳴らした。


「お前が倒れると、わしが田んぼを作る相手に困る」


「結局それか」


「それで十分だ」


十分なのかもしれなかった。


俺たちは国境の森を抜け、秋保、作並、茂庭の村をたどるように進んだ。どの村も、前に訪れた時より少しだけ空気が違っていた。王国の布告はあちこちに貼られている。魔王の施しを受けるな、裏切り巫女の言葉を信じるな、勇者王妃の戴冠を祝え。そんな文字が並んでいるらしい。


だが、村人たちは俺たちを見ると、家の戸を閉めるのではなく、そっと裏口を開けた。


秋保では、熱を出していた女の子の母親が干した豆を少し分けてくれた。


「これ、種にした方がいいんじゃないか」


俺が言うと、母親は首を横に振った。


「種にする分は隠しました。これは、あなたたちが食べる分です」


隠しました、という言い方が強かった。


王国からではなく、自分たちのために隠したのだ。


作並では、呪印を抜かれた兵士の一人が、王都へ入るための荷札を持ってきた。根白石屯所から流出したものらしい。いいのかと聞くと、彼は少し笑った。


「王命に背くのは怖いです。でも、あの粥を取り上げに行く方がもっと怖くなりました」


人は変わる。


一気にではない。


温かい粥一杯分くらいずつ、変わる。


王都青葉が見えたのは、三日目の夕方だった。


高い城壁と、その奥に青い屋根が重なる街。遠くからでも王城の尖塔が見える。初めて来た時は、何も知らずにあの中へ連れていかれた。白い石、青い旗、王子の笑顔、鑑定板。


思い出しただけで、指先が冷えた。


雫が隣で低く言った。


「顔、怖いよ」


「元からだ」


「元からなら大変だね」


「今から王都に潜入する人間への励ましがそれか」


「緊張をほぐしてあげてるの」


たぶん嘘だ。


青葉は深くフードを被っていた。巫女として王都に顔を知られている。しかも今は裏切り者として布告されているはずだ。凪は薬草売りの女に見えるよう、外套を羽織って薬箱を布で隠していた。雫は何を着ても雫だった。目立つなと言われても、本人が霧みたいなものなので、逆に目立たないのかもしれない。


長町門は避けた。


正門に近いそこは、戴冠式を前に厳重な警備が敷かれている。俺たちは作並から来た薬荷の搬入人に紛れ、外郭の小門から入った。荷札を見た門番は眠そうな顔で検め、凪の薬草袋を見ると少し嫌そうに鼻を押さえた。


「何だ、この匂い」


凪はにこりと笑った。


「解熱と腹下し止めです。必要なら一包どうぞ」


門番は慌てて手を振った。


「通れ」


医者と薬師は強い。


街の中は祭りの準備で浮いていた。


通りには白と青の布が渡され、王家の若葉紋と勇者王妃の旗が並んでいる。広場には壇が組まれ、露店も出ていた。だが、よく見ると売られているものは少ない。焼き菓子に見えるものも小さく、肉の串はほとんど脂身だ。祭りの顔をしているが、腹の底までは満たされていない。


壁には六日の絵姿が貼られていた。


白い鎧、金の飾り、微笑む勇者王妃。


綺麗に描かれていた。


綺麗すぎて、まるで他人だった。


絵の下には文字がある。青葉が小さく読んだ。


「異世界の光、八乙女王家に宿る。勇者王妃五十沢六日様、魔王討伐の聖なる母となられる」


「読むんじゃなかった」


「すみません」


「いや、頼んだの俺だけど」


聖なる母。


紙に書かれたその言葉は、六日を人間ではなく役割に変えていた。勇者、王妃、母。どれも六日自身を見ていない。王国が必要な札を、彼女に貼りつけているだけだ。


通りの端で、二人の女が小声で話していた。


「秋保で魔王の粥を食べたって、本当かね」


「声が大きいよ」


「でも、根白石の兵が何人か逃げたって」


「王命札が効かなかったって聞いた」


「そんな馬鹿な」


噂は届いている。


粥は、王都の石畳にまで匂いを運んでいた。


雫が俺の袖を引いた。


「見つけた」


視線の先に、痩せた男がいた。


宮城野連坊。


魔王領に潜り込んで、レオンへ報告を送った密偵だ。彼は人混みに紛れ、何気ない顔で露店を覗いている。見た目は本当に地味だった。地味すぎて、こちらが気にしていなければ目が滑る。


「どうする」


俺が聞くと、雫はもう歩き出していた。


「四歩目まで待たない」


連坊が路地へ入る。


雫も入る。


俺たちが追いついた時には、連坊は壁に押しつけられ、雫の短刀が喉元に添えられていた。


「久しぶり、連坊さん。畑の粥はおいしかった?」


連坊は青ざめていたが、声は出さなかった。


「声を出したら?」


「二歩目で射る」


「四歩目じゃないのか」


「相手による」


基準が雑だった。


連坊は結局、王城内の警備配置を話した。もちろん、すべてを信じるわけにはいかない。だが青葉の知る構造と照らし合わせると、大きな嘘はなさそうだった。


「なぜ話す」


俺が聞くと、連坊は諦めたように笑った。


「殿下は失敗した密偵に優しくない。あなた方に捕まった時点で、私の帰る場所はありません」


「王国って帰る場所なくすの得意だな」


連坊は何も返さなかった。


雫は彼を眠らせ、路地裏の空き樽に突っ込んだ。


「死なないよな?」


「死なない。たぶん」


「たぶんが多い」


王城へは、正面から入らなかった。


衣川の言葉通り、水路を使った。


王都の地下には古い排水路と祭儀用の清水路が重なっている。青葉によると、昔は神殿の儀式で使う水を引くための道だったが、今は一部が封鎖され、地図にも残っていないらしい。


「神殿の者は、汚れた場所を見たがりません」


青葉は石の蓋を開けながら言った。


「だから、こういう場所に隙が残ります」


「皮肉だな」


「はい」


地下の水路は狭く、湿っていて、嫌な匂いがした。王都の華やかな通りの下に、こういう場所がある。まあ、当然だ。どんな綺麗な街にも水と泥はある。そこを見ないで上だけ飾っても、腐る時は下から腐る。


俺たちは膝下まで水に浸かりながら進んだ。


雫が先頭、次に俺、青葉、凪。雫は暗闇でも足音を立てない。凪は薬箱を濡らさないように苦労していた。青葉は時々壁に手を当て、昔の印を確かめる。


「ここを上がれば、榴岡神殿の東回廊です」


青葉が囁いた。


「榴岡大神官の庭か」


「はい」


青葉の声が少し硬くなった。


俺は彼女を見た。


「怖いか」


「怖いです」


即答だった。


「でも、逃げません」


それなら何も言うことはない。


水路の石段を上がり、青葉が内側から鍵を外した。薄暗い物置に出る。乾いた布、壊れた燭台、古い祭具。神殿の裏側らしい埃っぽい空間だった。


廊下へ出ようとした瞬間、剣の鞘が鳴った。


長町泉が立っていた。


銀の鎧ではなく、王城内用の軽装だった。だが、腰の剣には手がかかっている。短く切った髪、感情の読みにくい目。王都の灯りの下で見る彼女は、戦場で見た時より疲れていた。


「やはり来ましたか」


「待ってたのか」


「水路を使うなら、ここか西倉のどちらかです。杜野青葉なら、こちらを選ぶと思いました」


青葉が息を呑んだ。


雫が短刀へ手を伸ばす。


長町は剣を抜かなかった。


「騒ぎは起こしません。少なくとも、今は」


「見逃してくれるのか」


俺が聞くと、長町は少しだけ目を伏せた。


「私は王国騎士です。見逃すとは言えません」


「じゃあ捕まえるのか」


「捕まえるべきです」


「べき、ね」


長町は黙った。


その沈黙で十分だった。


「畑を焼いた神殿兵を止めなかった」


俺は言った。


長町の眉がわずかに動いた。


「命令でした」


「王命か」


「はい」


「それで納得できたのか」


「できていたなら、ここにはいません」


正直な答えだった。


長町は俺を見た。


「五十沢様を、救えますか」


「助けるつもりだ」


「元に戻せますか」


その質問は痛かった。


「わからない」


長町の目が細くなる。


俺は続けた。


「王国の術式は外す。レオンの道具にはさせない。でも、あいつが傷つけたことも、傷ついたことも、なかったことにはできない。六日を王国からも、俺からも自由にする。それが救うってことだと思ってる」


長町はしばらく俺を見ていた。


やがて腰の小袋から鍵束を取り出し、床に落とした。


「東回廊の先、白扉の鍵です」


「いいのか」


「落としました。あなた方が拾うかどうかは知りません」


不器用な人だ。


雫が鍵束を拾った。


長町は横へ退いた。


「王都の民を巻き込まないでください」


「約束はできない。でも、巻き込まないようにやる」


「それで十分です」


俺たちは長町の横を通り過ぎた。


すれ違いざま、彼女が低く言った。


「殿下は戴冠式の最中に、儀式を重ねるつもりです。時間はありません」


「ありがとう」


長町は答えなかった。


東回廊を抜けると、神殿の奥へ出た。


青葉の顔つきが変わる。ここは彼女が育った場所で、同時に彼女を捨てた場所だ。白い柱、青い紋章、香の匂い。王城に来たばかりの俺なら綺麗だと思っただろう。今は、全部が薄い膜で覆われているように見えた。


小聖堂に入ったところで、榴岡愛子が待っていた。


白い神官服、青い宝石、冷たい目。


初めて廊下で会った時と変わらない。いや、あの時より少しだけ疲れているかもしれない。それでも背筋は伸び、声はよく通った。


「杜野青葉。戻る場所を間違えましたね」


青葉は一歩前に出た。


「いいえ。私は戻ってきたのではありません。終わらせに来ました」


「巫女が何を終わらせるというのです。あなたは召喚の器にすぎません」


「その言葉を、私はずっと信じていました」


榴岡が指を上げると、小聖堂の床に青い線が走った。術式だ。壁の紋章が光り、俺たちの足元から鎖のようなものが浮かび上がる。


雫が舌打ちする。


凪が薬箱を抱え直す。


俺はEXを使おうとしたが、青葉が手で制した。


「ここは私が」


彼女は胸元の若葉の飾りを外した。


ずっと外さなかった、巫女の証であり罪の証。


青葉はそれを掌に置き、静かに息を吸った。


「榴岡大神官。私はもう、王家の巫女ではありません」


青い鎖が彼女の足首へ絡む。


青葉は一歩踏み出した。


鎖がきしむ。


「召喚のために祈る者でも、王命を飾る者でもありません」


二歩目。


飾りが砕けた。


中から薄い光が広がり、床の術式とぶつかる。榴岡の目が見開かれた。


「あなた、巫女印を」


「捨てたのではありません。返します」


三歩目。


青葉は榴岡の前に立った。


「私は杜野青葉。塩沢大和の隣に立つ者です」


こういう時に名前を出されると、かなり困る。


だが、茶化せる空気ではなかった。


榴岡の術式が砕けた。


完全に消えたわけではない。青葉が王国の神殿術を知り尽くしていたから、弱い場所を突いたのだ。巫女として使われてきた知識を、巫女でなくなった青葉が初めて自分のために使っている。


榴岡は後ずさった。


「愚かな子。王家に逆らって、どこへ行くつもりです」


「帰る場所なら、もうあります」


青葉はそう言って、俺の方を見なかった。


見ないのがまた、何というか、ずるい。


雫が榴岡の背後へ回り、短刀の柄で首筋を打った。榴岡は崩れ落ちる。


「殺してないよ」


「言われる前に言うな」


「大事でしょ」


凪が榴岡の状態を確認し、短く頷いた。


青葉は奥の祭具箱から、小さな鑑定符と白扉の鍵を取り出した。


「戴冠の控え室へ向かいます。五十沢様は式の直前まで、王妃の間にいるはずです」


神殿から王城へ続く回廊は、祭りのせいで人が多かった。


侍女、神官、近衛兵、貴族。誰もが忙しそうに動いている。だからこそ、こちらも紛れ込めた。青葉はフードを深く被り、凪は薬箱を持った侍医見習いに見える。雫は途中でどこから持ってきたのか、給仕の布を肩にかけていた。


「似合うな」


「褒めた?」


「たぶん」


「大和、最近雑に返すの覚えたね」


緊張しているのに、こういうやり取りをしてしまう。


たぶん、そうしないと足が止まるからだ。


白扉の前には近衛兵が二人いた。


青葉が小声で祈り、鑑定符を指先で光らせる。兵士たちの目が一瞬ぼやけた。眠らせたわけではない。ただ、俺たちを見ても「式の関係者」と認識するようにずらしたらしい。


「青葉、今の便利だな」


「悪用していた側の術です。あまり褒めないでください」


「じゃあ、助かった」


青葉は少しだけ頷いた。


白扉を開けると、部屋の中は静かだった。


広い部屋だった。白い布が壁にかけられ、化粧台には宝石と花飾りが並んでいる。窓の外からは、広場の歓声が遠く聞こえた。戴冠式を待つ王都の声だ。


その中央に、六日がいた。


白い衣装を着ていた。


鎧ではない。王妃の戴冠衣だ。肩から長い布が流れ、髪は丁寧に結い上げられている。胸元には青い宝石の首飾り。腹のあたりを締めつけない作りの服で、それが逆に布告の言葉を思い出させた。


六日は鏡の前に座っていた。


鏡越しに、俺たちの姿を見た。


最初に浮かんだ表情は驚きだった。


次に、恐怖。


そしてすぐ、冷たい王妃の顔に戻った。


「来ちゃだめだよ、大和くん」


その声は静かだった。


「ここは、あなたが来ていい場所じゃない」


「久しぶりに会って最初がそれか」


「戻って。レオン殿下に謝れば、まだ」


「まだ許してくれる?」


六日は唇を噛んだ。


「そう」


「俺が悪かったことになるんだな」


「違う。そうじゃなくて」


言葉が揺れる。


青い宝石が光る。


揺れた言葉が、また綺麗な形に押し込められていく。


「大和くんは、私を迷わせるの」


六日は自分の胸元に手を当てた。


「あなたを見ると、昔のことを思い出す。田んぼとか、学校とか、雪の日とか。帰りたいって思っちゃう。でも私は勇者で、王妃で、この子の母親になる。逃げちゃいけない」


本物だった。


そこにある感情は、本物だった。


帰りたい気持ちも、怖さも、責任感も、俺への罪悪感も。


だからこそ、レオンはそこに根を張った。


「六日」


俺はゆっくり近づいた。


「俺は、お前を許せるかわからない」


六日の目が揺れた。


「昔みたいに戻れるとも思ってない。お前の言葉で傷ついたことも、消えない」


「……うん」


小さな声だった。


今のは、王妃ではなく六日の声だった。


「でも、お前をレオンの道具で終わらせるつもりはない」


六日の目から涙が一粒落ちた。


「助けて」


聞こえるかどうかの声だった。


でも、聞こえた。


その瞬間、青い宝石が強く光った。六日の表情が歪む。レオンの術式が、彼女の内側から声を押し潰そうとしている。


俺は六日の前に膝をつき、首飾りに触れた。


触った瞬間、吐き気がした。


青い蔓が見えた。


それは六日の心の奥に伸び、記憶に絡んでいた。田んぼで俺の頬の泥を拭った時の記憶。用水路に落ちた時の記憶。高校の帰り道、雪の中で二人して滑った記憶。そういうものに、青い色が塗られている。


俺への感情を失望へ。


不安をレオンへの依存へ。


感謝を恋慕へ。


罪悪感を服従へ。


怒りが湧いた。


けれど、怒りに任せて引き千切れば、六日の記憶ごと壊れる。雑草を抜く時、根を残すのも駄目だが、作物の根まで持っていくのはもっと駄目だ。


青だけを抜く。


上から塗られた色だけを剥がす。


EX。


指先が焼ける。


青い蔓が抵抗する。六日が苦しそうに息をする。凪が彼女の肩を支え、青葉が首飾りの術式を抑える。雫は扉の前で弓を構えた。


「大和くん」


六日が泣きながら俺の手を掴んだ。


「ごめん、ごめんなさい、私、言っちゃいけないこと、いっぱい」


「今しゃべるな。あとで聞く」


「あとで、あるの?」


「作る」


俺は青い蔓を引いた。


一本。


また一本。


記憶から、感情から、六日の内側から、余計な色だけを抜いていく。


最後の一本は、深かった。


レオンへの恋慕として固定された蔓だ。六日の恐怖と孤独に根を張っている。抜けば痛い。残せば支配される。


「六日、痛むぞ」


「もう、痛いよ」


六日は笑おうとして失敗した顔で言った。


「でも、お願い」


俺は抜いた。


青い蔓が引き剥がされ、首飾りの宝石が砕けた。


六日は声にならない声を上げ、凪に支えられて崩れた。俺もその場に座り込む。腕の感覚がない。頭の奥ががんがんする。


でも、六日の目は戻っていた。


泣き腫らした、情けない、俺の知っている五十沢六日の目だった。


「大和くん」


「おう」


「私、何を……」


六日は自分の服を見下ろし、震える手で腹のあたりに触れた。


「この子、私、レオンに、王国に」


凪がすぐに彼女の手を握った。


「落ち着いてください。今はあなたも胎脈も安定しています。詳しいことは後で」


「胎脈って、やっぱり」


六日は顔を覆った。


「ごめん、ごめんなさい、大和くん。私、あなたを傷つけた。あんなこと言った。王妃になるって、私」


俺は言葉を選んだ。


選んでも、綺麗にはならなかった。


「許すとは言えない」


六日の肩が震えた。


「元にも戻れない。でも、お前をあいつの道具で終わらせるつもりはない」


六日は何度も頷いた。


「うん……それで、いい。ごめん。本当に、ごめん」


青葉が静かに目を伏せた。


雫は扉の方を見たまま言った。


「感動の再会中悪いけど、足音」


次の瞬間、部屋の扉が外から開いた。


拍手が聞こえた。


ゆっくりと、よく響く拍手だった。


八乙女レオンが立っていた。


白い戴冠用の衣装をまとい、青い宝石の指輪をはめ、いつもの綺麗な笑顔を浮かべている。後ろには近衛兵と、気を失っていたはずの榴岡愛子がいた。首筋に布が巻かれている。雫が舌打ちした。


「素晴らしい」


レオンは心から感心したように言った。


「本当に素晴らしいよ、大和さん。君ならできると思っていた」


「何がだ」


「六日さんの中に残った不安定な感情の除去だ」


部屋の空気が凍った。


レオンは六日を見た。


「王命恋慕は便利だけれど、完全ではない。彼女の中に君への未練や罪悪感が残る限り、儀式には濁りが生じる。榴岡でも完全には取り除けなかった。だが、君のEXなら抜けると思っていた」


「お前」


俺は立ち上がろうとした。


足に力が入らなかった。


レオンは楽しそうに首を傾ける。


「感謝するよ。君は最後まで、彼女のためによく働いた」


六日が凍りついた顔でレオンを見た。


「レオン……あなた、私を」


「六日さん」


レオンの指輪が光る。


だが、六日はもう膝をつかなかった。苦しそうに顔を歪めながらも、凪の手を握って耐えている。


レオンは少し目を細めた。


「なるほど。かなり抜かれたね。まあ、いい。予定を早めるだけだ」


榴岡が術式杖を掲げた。


床に青と金の線が走る。


王妃の間そのものが祭儀室だった。壁にかかっていた白い布が落ち、その下から古い紋様が現れる。鏡が光り、天井の宝石が鳴った。


青葉が叫ぶ。


「駄目です! ここで儀式を起動すれば、五十沢様の魂も胎脈も」


「杜野青葉」


榴岡の声は冷たかった。


「巫女の務めを放棄したあなたに、儀式を語る資格はありません」


「儀式ではなく、これは搾取です!」


青葉が術式を止めようと走る。


だが、近衛兵が前に出た。雫の矢が飛ぶ。矢は兵士の肩をかすめるはずだった。


しかし、矢は逸れた。


何もない空間で曲がり、壁に刺さった。


俺の背筋が冷える。


レオンの周囲に、金色の線が広がっていた。


六日の時に見た、あの勝利判定の線。


「一時移譲」


レオンが笑った。


「勇者の力を、王家へ」


六日が叫んだ。


彼女の体から、金色の光が引き抜かれていく。凪が必死に治癒の光で支える。青葉が術式を解こうとする。俺はEXで外そうとした。


だが、体が動かない。


さっき六日の術式を抜いた反動で、指先に力が入らない。頭の奥で扉は開いているのに、そこまで手が届かない。


金色の光がレオンへ流れ込む。


部屋の中央にある鏡に、文字が浮かんだ。


最強無敵超絶チート天上天下唯我独尊


ふざけた文字列。


なのに、今度は笑えなかった。


レオンの周囲の空気が変わる。


彼が一歩踏み出すだけで、近衛兵たちが自然に道を開けた。雫が短刀を投げる。短刀は途中で落ちた。青葉の術式は発動前にほどけた。凪が六日を庇うように立つと、足元の絨毯が偶然めくれ、彼女の体勢を崩した。


世界がレオンの味方をしている。


「なるほど」


レオンは自分の手を見た。


「これはいい。実にいい力だ。六日さんの感覚を通して理解していたつもりだったけれど、自分で持つとまるで違う」


六日は床に膝をつき、息を荒げていた。


光は完全に奪われたわけではない。まだ彼女の奥に残っている。だが、レオンは今、確かに勇者の力を纏っていた。


レオンは俺の前に立った。


見下ろす角度も、笑い方も、追放された夜と同じだった。


「結局、君は何も奪い返せない。あの時と同じだよ、塩沢大和」


胸の奥で、何かが軋んだ。


怒りではない。


悲しみでもない。


もっと静かなものだった。


田んぼの水門を開ける時の感覚に似ていた。詰まっていた流れが、ようやく動き出す直前の重さ。


青葉が息を呑んだ。


彼女の手にあった鑑定符が、勝手に光っていた。


そこに文字が浮かぶ。


塩沢大和。


EX。


その下に、今までなかった言葉が現れた。


Exception。


青葉の声が震えた。


「世界の……例外」


レオンの笑みが、初めて少しだけ崩れた。


俺はゆっくり顔を上げた。


体はまだ重い。


指先は震えている。


でも、胸の奥にあった扉は、もう完全に開いていた。

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