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幼なじみを王子に奪われ、EXスキルだけで追放された俺は、捨てられ巫女と魔王領へ亡命する ~新潟の米農家息子、少女魔王とクソッタレ異世界を耕し直す~  作者: ラズベリーパイ大好きおじさん


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6/8

ざまぁの種は、国境の畑から芽吹く

翌朝、俺の復讐は焦げた畦の修理から始まった。


もっと格好いいものだと思っていた。復讐というのは、剣を抜くとか、城門を蹴破るとか、悪役に向かって決め台詞を吐くとか、そういう派手なものだと。


実際には、焼けた土を掘り返し、黒くなった苗を抜き、まだ生きている根を選り分ける作業だった。


「これ、死んでる?」


例の男の子が、畦の向こうから聞いてきた。


俺は手の中の苗を見た。葉は半分焦げている。茎も弱い。普通なら抜いてしまうところかもしれない。


でも、根は白かった。


「まだ生きてる」


俺が言うと、男の子は目を丸くした。


「こんななのに?」


「こんなでも、根っこが残ってるならいける時がある」


「すごい」


「すごいのは苗だ。俺は泥を触ってるだけ」


男の子は納得したような、していないような顔で頷いた。


王国軍が去ったあとの畑はひどかった。


外側の畝は黒く染まり、苗床の一部は踏み潰され、水路には折れた矢と泥が詰まっていた。けれど、全滅ではなかった。中心の苗床は残った。井戸も無事だった。子どもたちが毎朝見に来ていた小さな緑は、泥をかぶりながらも立っていた。


それが、腹立たしいくらいに嬉しかった。


「大和さん、そこまでです」


宮古凪が背後から言った。


俺は聞こえなかったふりをして、黒い染みの端に手を置いた。


「大和さん」


二度目は声が低かった。


俺はゆっくり手を離した。


「まだ触っただけです」


「触る前から顔色が悪い人は、触ったら駄目です」


「治癒師って、みんな人の逃げ道を塞ぐんですか」


「逃げ道を塞がないと、患者が勝手に崖へ走りますので」


正論だった。


俺は立ち上がりかけて、少しよろけた。凪が当然のように腕を支える。その手つきがあまりに慣れていて、俺は少し情けなくなった。


「俺、そこまで弱ってます?」


「はい」


即答だった。


「少しは迷ってください」


「迷わせないでください」


凪は俺を畦の端へ座らせ、手のひらを診た。枯れ瘴を抜いたせいで、指先が冷たくなっている。凪の緑の光が触れると、じわじわ血が戻ってくる感じがした。


その横で、杜野青葉が板に記録を書いていた。


「大和さん、本日の抽出回数は三回。昨日の戦闘後から数えて八回目です」


「数えなくていい」


「数えないと止まりません」


「青葉まで凪さん側か」


「はい。大和さんの命に関しては、全面的に宮古さん側です」


味方がいない。


いや、味方だから止めるのだろう。そこはわかる。わかるから余計に言い返しづらい。


遠野雫が水路の向こうから歩いてきた。肩に弓を担ぎ、片手に折れた王国の矢を何本も持っている。


「大和、いい知らせと悪い知らせ、どっちから聞く?」


「悪い方」


「悪い知らせ。王国の矢、まだ十七本残ってた」


「いい知らせは?」


「そのうち十五本は私が見つけた。偉い」


「それは雫へのいい知らせだろ」


「褒めてくれてもいいよ」


「偉い偉い」


「心がこもってない」


そんな軽口を叩きながらも、雫の目は畑の外側を見ていた。


王国はまた来る。


それは誰もがわかっていた。


前回は様子見と破壊工作を兼ねた攻撃だったのだろう。こちらの畑がどの程度の意味を持つのか、EXが何なのか、六日がどこまで通用するのか。それを確かめに来た。


次は、もっと本気で来る。


その日の夜、砦の広間には地図が広げられていた。


花巻楓は地図台の前に立ち、北上紫波は豆粒を使って兵と食料の位置を示している。平泉衣川は椅子に座らず、杖をついたまま畑側の水路図を睨んでいた。凪と雫、青葉もいる。


俺は凪に座れと言われたので座っていた。悔しいが、立っていると少し膝が笑う。


「王国軍の再侵攻は早くて六日後、遅くても十日以内です」


紫波が言った。


「根拠は?」


楓が問う。


「前回の被害確認、泥地に取られた騎馬の再編、神殿兵の枯れ瘴矢の再補給。それらを考慮すると最短六日です。ただし、王都から勇者王妃を再出撃させる場合、儀礼上の調整が入ります」


勇者王妃。


その言葉が出るたび、胸の奥が軋む。


青葉が一瞬こちらを見たが、俺は何も言わなかった。


「こちらの備蓄は?」


楓が聞くと、紫波は豆を三つ動かした。


「通常配給で九日。切り詰めて十四日。畑の再生分を含めても、次の攻撃までに余裕はありません」


「なら、守るだけでは負けるわね」


楓の声は静かだった。


全員がそれをわかっていた。


畑を作るには時間がいる。水路を戻すにも、土を生かすにも、人の腹を満たすにも時間がいる。だが王国は、その時間を与えない。


雫が腕を組んだ。


「こっちから王国軍の兵糧を焼く?」


「同じことをやり返すのは簡単だ」


俺は言った。


「でも、それをやったら結局、腹を空かせるのは兵士だけじゃない。国境の村も巻き込む」


紫波が俺を見る。


「では、何をしますか」


「飯を持っていく」


広間が静かになった。


前にも同じような空気があった気がする。俺が魔王の前で「まずは飯を作る」と言った時だ。


雫がにやっと笑う。


「今度は敵にご飯?」


「敵っていうか、王国の民に」


「大和さん」


青葉が口を開いた。


「王国の国境村は、魔王領を恐れています。魔王の食べ物は毒だと教えられている場所もあります」


「だから持っていく」


俺は地図を見た。


王国側、国境近くにいくつかの集落名がある。秋保、作並、茂庭、根白石。どれも王国の支配下だが、王都からは遠い。重税と徴兵で疲弊していると紫波が言っていた場所だ。


「王国が強いのは、兵士が多いからだけじゃない。みんなが王国の話を信じてるからだ。魔王は悪い、王家は守ってくれる、勇者は正しい。だから畑を焼いても正義になる」


「その話を、粥で崩すと?」


紫波の声には皮肉が混じっていた。


「粥は強いぞ」


俺は真面目に返した。


「腹が減ってる時に、誰が食わせてくれたかは忘れにくい。魔王の土地の飯を食った口で、魔王は人間じゃないって言い続けるのは難しい」


衣川が低く笑った。


「雑な理屈だが、土に近い」


「褒めてます?」


「半分はな」


半分でもありがたい。


楓はしばらく地図を見つめていた。


「私たちの食料も余っていない」


「はい」


「それでも持っていくのね」


「全部じゃない。種を潰すような真似はしない。薄くても温かいものを、まずは一箇所に。そこで井戸を直せるなら直す。徴兵された兵士に王命の呪印があるなら、抜けるか試す」


「呪印を抜けるのですか」


紫波が問う。


青葉が答えた。


「可能性はあります。大和さんは、私の追跡術を対象から外し、五十沢様のスキルの勝利判定から味方を外しました。王命の呪印も、術式として見えるなら」


「やる」


俺は言った。


凪がすぐにこちらを見る。


「限界は守ってください」


「努力します」


「守ってください」


「……守ります」


念押しが強い。


その時、広間の入口から兵士が顔を出した。


「楓様。捕虜の王国兵が意識を戻しました」


凪が立ち上がる。


俺たちも顔を見合わせた。


医療所にいた王国兵は、前回の戦で泥地にはまり、退却に遅れた若い兵士だった。凪が治療しなければ死んでいた。本人は目を覚ますなり震え上がり、魔王に食われると思ったらしい。王国の教育は徹底している。


兵士の名は七北田透といった。


年は俺より少し上くらい。腕に包帯を巻かれ、寝台の上で身を起こしていた。顔色は悪い。俺たちが入ると、目に見えて体を硬くした。


「殺さない」


楓が最初に言った。


透は信じられないという顔をした。


「王国では、そう教えていないようだけれど」


「魔王は、捕らえた兵を瘴気の鍋で煮ると」


雫が吹き出した。


「煮ないよ。鍋がもったいない」


「雫」


楓がたしなめる。


透はさらに青くなった。


「冗談です」


凪が優しく言った。


「ただし、怪我を悪化させたら本当に怒ります」


それはそれで怖い。


青葉が透の腕を見た。包帯の下、手首に青い焼き印のようなものが浮かんでいる。


「徴兵呪印ですね」


「喋るなと言われていることを喋ると、焼けるように痛むやつか」


俺が聞くと、透は目を見開いた。


「なぜ」


「青葉から聞いた」


「巫女様が、なぜ魔王側に」


青葉は少しだけ黙った。


「王国の巫女であったことは事実です。でも今は違います」


透は混乱していた。


俺は彼の横にしゃがんだ。


「秋保の出身だって聞いた」


透は唇を噛んだ。


手首の印が薄く光る。


「答えるなって命令か」


透は汗を浮かべて頷いた。


俺はその印を見た。


青葉の追跡印とも、六日の勝利判定とも違う。もっと釘に近い。皮膚に刺さっているのではなく、心の柔らかいところへ打ち込まれている感じがした。


言うな。


逆らうな。


王命を疑うな。


青い釘が、そう命じている。


腹が立った。


畑に枯れ瘴を撒くのと同じだ。人の中に余計なものを打ち込んで、動きを奪っている。


「抜くぞ」


俺が言うと、透が怯えた。


「何を」


「それ」


「無理です。神殿の呪印は、逆らえば」


「逆らうんじゃない。抜くだけだ」


凪が俺の肩に手を置く。


「一度だけです」


「わかってます」


俺は透の手首に触れた。


青い釘が見える。先端が深く、奥へ入っている。無理に引けば、本人の心まで傷つける。土から枯れ瘴を抜く時より、ずっと慎重にやる必要があった。


根を切らずに雑草を抜く。


そんな感じだ。


EX。


指先が冷えた。


釘を掴む。痛みが俺の腕に跳ね返る。透が呻く。凪が彼の肩を押さえる。青葉が息を止めているのがわかった。


抜く。


ゆっくり。


余計なものだけを。


青い釘が手首から浮き上がった。実体はないはずなのに、俺の指には確かな抵抗があった。最後にぶちっと嫌な感触がして、釘は黒ずんだ煙になって消えた。


透が大きく息を吸った。


「秋保です」


彼は震える声で言った。


「秋保の、南の集落です。父と母がいます。弟も。食料はもうありません。税は先月、二度取り立てられました。勇者王妃様の聖戦のためだと」


手首はもう光っていなかった。


青葉が小さく呟いた。


「抜けた」


俺はその場に座り込んだ。


凪に怒られる前に言っておく。


「一回だけです」


「今夜はもう何もしないでください」


「はい」


素直に返事をすると、凪は逆に少し驚いた顔をした。


翌日の夜明け前、俺たちは秋保へ向かった。


大人数では行けない。目立つし、食料も運びきれない。選ばれたのは俺、青葉、雫、凪、それから道を知る兵士が二人。楓は行くと言ったが、紫波と衣川に同時に止められていた。


「領主が粥を配りに敵地へ行くな」


衣川の一言は強かった。


楓は不満そうだったが、最後には頷いた。


「必ず戻って」


「畑があるから戻ります」


俺が言うと、楓は少しだけ笑った。


「あなたには、それが一番効くのね」


荷物は多かった。


乾かした雑穀団子、豆を潰して固めたもの、薬草、塩、凪の薬箱、青葉の記録板。温かい粥をそのまま運ぶことはできないので、現地で水を使って煮る。井戸が死んでいたら俺の出番だ。


作並旧道は、思ったより荒れていた。


昔は交易路だったらしいが、今は倒木と崩れた石ばかりだ。雫が先行し、霧で気配を隠す。俺は背負った荷物の重さに文句を言いそうになったが、青葉も同じくらい背負っていたのでやめた。


「重くないか」


「重いです」


「正直だな」


「嘘をついて軽くはなりませんので」


青葉は少し息を切らしながらも歩いた。王城にいた頃の彼女からは想像できない姿だった。泥道を踏み、枝を避け、時々荷物の紐を直している。


「巫女って、もっと神殿の奥で祈ってるものだと思ってた」


「私も、そう思っていました」


「今は?」


「今は、粥の材料を背負っています」


「出世か左遷かわからないな」


「私は、こちらの方が好きです」


青葉は前を向いたまま言った。


その言葉は軽くなかった。


昼過ぎ、秋保の集落が見えた。


王国側の村だから、もっと豊かかと思っていた。けれど、そこにあったのはモリューカと大差ない疲れた景色だった。畑は刈り取られたあとに見えたが、収穫の喜びはない。納屋は空っぽで、家々の戸は閉ざされ、人の声が少ない。


村の入口には、木の板が立てられていた。


青葉が読んだ。


「魔王の施しを口にする者、王命に背く者と見なす」


「先回りされてるな」


「王国も必死なのでしょう」


「必死になる方向を間違えてる」


雫が霧を薄くし、俺たちは村へ入った。


最初に見つけたのは、井戸のそばに座り込んでいた女の子だった。年は十にもならない。空の桶を抱え、ぼんやりしている。


凪がすぐに駆け寄る。


「熱があります」


女の子の母親らしき女性が家から飛び出してきた。


「触らないで!」


その声は悲鳴に近かった。


「魔王の者でしょう。お願い、子どもには」


「治療します。毒ではありません」


凪の声は穏やかだったが、女性は首を振る。


周囲の家から人が顔を出す。誰も近づかない。恐怖と飢えが混ざった目だ。青葉を見ると、何人かがざわついた。


「王国の巫女様?」


「裏切り者だと聞いたぞ」


「魔王に寝返った巫女だ」


青葉は一歩前に出た。


石が飛んできた。


小さな石だった。子どもが投げたのかもしれない。それは青葉の肩に当たり、地面に落ちた。


俺は反射的に前へ出ようとしたが、青葉が手で制した。


彼女は頭を下げた。


「私は杜野青葉。王国の召喚儀式に関わった巫女です。あなたたちに信じてほしいとは言いません。ただ、井戸を見せてください」


村人たちは答えなかった。


俺は井戸へ近づいた。


桶を下ろし、水を汲む。水は濁っていた。匂いも悪い。枯れ瘴ほど濃くはないが、似たものが混ざっている。王国が直接撒いたのか、近くの戦で流れ込んだのかはわからない。


「これ飲んだら腹壊すぞ」


「他に水がないんです」


女の子の母親が震える声で言った。


俺は井戸の石に手を置いた。


深い。


土よりも、水路よりも、相手が広い。井戸の底から上がってくる黒い糸を探す。何本も絡んでいる。全部は無理だ。飲み水に混ざる分だけ、まず抜く。


EX。


冷たさが腕に走る。


井戸の中から、黒い煙のようなものが上がってきた。村人たちが悲鳴を上げて後ずさる。雫が弓に手をかけたが、俺は構わず引き抜いた。


凪が封じ布を広げる。


黒いものを落とすと、布の上でじゅっと音がした。


俺はもう一度桶を下ろした。


水を汲む。


濁りはまだ少しある。けれど匂いは変わっていた。俺はその水を自分で飲んだ。


冷たい。


うまいとは言えないが、飲める。


「毒なら俺が先に倒れる」


俺が言うと、雫が横から言った。


「それ、治すの私じゃなくて凪だからね」


「わかってる」


凪は女の子に水を少し飲ませ、薬草を使って熱を下げた。すぐに元気になるわけではない。けれど、女の子の呼吸は少し楽になった。


村人たちの視線が変わった。


恐怖が消えたわけではない。ただ、そこに迷いが混じった。


俺たちは広場で鍋を出した。


最初、誰も近づかなかった。だから俺が先に食べた。次に雫が食べ、凪が食べ、青葉が食べた。青葉が椀を持っている姿を見て、村人たちはまたざわついた。


しばらくして、さっきの女の子の母親が一歩出てきた。


「子どもに、少しだけ」


それが始まりだった。


粥は薄い。豆も少ない。塩もほんのわずかだ。それでも、温かかった。


椀を受け取った老人が、最初の一口を飲んで泣き出した。


それを見て、俺は何も言えなくなった。


温かいものを飲むだけで泣くほど、人は追い詰められる。


そして王国は、その人たちからさらに税を取っていた。


「魔王の飯は、毒じゃないのか」


誰かが呟いた。


「毒にしては薄味だね」


雫が言った。


村人が少し笑った。


その小さな笑い声を、俺はたぶん忘れない。


だが、長くは続かなかった。


夕方近く、村の入口で馬の蹄が鳴った。


根白石屯所の兵と、神殿の税吏だった。数は十人ほど。村人たちが一斉に身を縮める。税吏は青い札を掲げ、俺たちを見るなり顔を歪めた。


「魔王の施しを受けるとは、王命への反逆である!」


その声に、村人たちの膝が勝手に折れかけた。


本当に勝手にだ。


俺には見えた。青い札から細い糸が伸び、村人たちの首や背中を押さえつける。王命の形をした重りだ。


腹の底が冷えた。


「青葉」


「王命札です。簡易ですが、民に服従を強います」


「外す」


「大和さん、人数が」


「全部じゃない。今ここだけだ」


俺は地面に手を置いた。


王命札から伸びる糸は、六日の金色の線より弱い。だが数が多い。村人一人一人に絡んでいる。全部を抜くのは無理だ。なら、この瞬間だけ、村人たちを対象から外す。


畑の水門を閉じるように。


EX。


「外れろ」


青い糸が村人たちの背中を滑り落ちた。


膝をつきかけていた老人が、踏みとどまった。


母親が子どもを抱いたまま立っていた。


誰も、跪かなかった。


税吏の顔が引きつる。


「なぜ従わぬ! 王命だぞ!」


「王命って、腹は膨れないんだな」


俺が言うと、雫が笑った。


兵士たちは剣を抜きかけた。


だが、そのうち数人の手首が青く光った。徴兵呪印だ。彼ら自身も苦しんでいる。命令に従わなければ焼ける。従えば、飢えた村人から鍋を奪うことになる。


俺は一番近くの兵士へ走った。


剣を振られる前に、雫の矢がその手元を弾く。凪が叫ぶ。


「大和さん、一人だけです!」


「わかってる!」


俺は兵士の手首を掴んだ。


若い。七北田透と同じくらいだ。


青い釘を掴む。


抜く。


兵士が悲鳴を上げた。俺の腕も焼けるように痛い。けれど、釘は抜けた。


兵士は剣を落とした。


「俺は……俺は、弟に食わせるために兵になったんだ」


その一言で、他の兵士たちの表情が崩れた。


青葉が前に出た。


「その呪印は、王国があなたたちを守るためのものではありません。逆らえなくするためのものです。抜くには時間がかかります。でも、今ここで剣を下ろすことはできます」


税吏が怒鳴った。


「黙れ、裏切り巫女!」


青葉は怯まなかった。


王城で榴岡大神官に黙らされていた青葉とは違った。


「私は黙りません。黙っていたから、召喚者も、兵士も、民も利用されました。もう黙りません」


村人たちが、兵士たちを見ていた。


兵士たちは剣を下ろした。


全員ではない。二人は逃げた。税吏も札を抱えて馬へ戻り、捨て台詞を吐きながら去った。追わなかった。追えば戦いになる。今は鍋を守る方が大事だった。


その夜、秋保の広場には、王国の兵士と村人と魔王領の人間が同じ粥を食べるという、かなり訳のわからない光景が生まれた。


味は薄かった。


でも、誰も毒だとは言わなかった。


そこから数日は、走るように過ぎた。


秋保の噂は作並へ流れた。作並の井戸を見に行くと、そこも濁っていた。俺は一日一回だけと凪に釘を刺されながら水を浄めた。茂庭では、村長が最初から鍋を拒んだ。だが、子どもが椀を持って並んだので、最後には村長も食べた。根白石の近くでは、徴兵された男たちが夜中にこっそり訪ねてきた。


「呪印を抜いてほしい」


全員は無理だった。


俺の体がもたない。抜けば抜くほど、腕の奥に冷たい疲労が溜まっていく。だから、青葉が術式の弱い者を選び、凪が体調を見て、雫が周囲を警戒した。


一人ずつ。


全部を救えないことは、想像以上にきつかった。


「俺は何様なんだろうな」


三つ目の村を出た夜、俺は納屋の壁にもたれて言った。


「抜く相手を選んでる。こいつはいける、こいつは無理だって。そんなこと」


青葉は隣に座っていた。


外では雫が見張りをしている。凪は熱を出した子どもを診に行っていた。納屋の中は藁の匂いがして、少しだけ実家の倉庫を思い出した。


「選ばなければ、誰も救えません」


青葉が言った。


「正論だな」


「嫌いですか」


「嫌いじゃない。痛いだけ」


青葉は膝の上で手を握った。


「私は、ずっと選ばない側にいました。命じられたことをして、正しいと教えられた言葉を信じて、自分では選んでいないと思っていた。でも、それも選択でした」


「青葉」


「大和さんが私を責めないからといって、私の罪が消えるわけではありません」


「消したいのか」


青葉は首を横に振った。


「いいえ。消したら、また同じことをします」


静かな声だった。


俺は藁の上に置いた自分の手を見た。枯れ瘴と呪印を抜いた手。六日の心に絡んだ術式には、まだ届いていない手。


「俺も、六日のことをどうしたいのか、まだわからない」


青葉は黙って聞いていた。


「助けたい。レオンの道具にされたままは嫌だ。でも、元に戻れるかはわからない。戻りたいのかも、正直わからない」


「はい」


「最低だと思うか」


「思いません」


青葉はすぐに答えた。


「傷ついた人が、傷つけた相手をすぐに許せる方が不自然です。たとえ相手にも事情があったとしても」


その言葉で、少し息ができた。


青葉は続けた。


「大和さん。私はあなたに救われました。王国の巫女として終わるはずだった私を、あなたは隣に置いてくれました」


「置いたっていうか、一緒に逃げただけだ」


「それでもです」


青葉は俺を見た。


納屋の隙間から月明かりが入って、彼女の目を薄く照らしていた。


「だから今度は、私があなたの帰る場所になります」


言葉の意味が、すぐには入ってこなかった。


青葉は言ってから、自分で少し顔を赤くした。


「いえ、その、元の世界の代わりになるとか、そういう傲慢な意味ではなくて」


「わかってる」


「あなたが戻ってきて、疲れたと言える場所を、作りたいんです。あなたが誰かを救えなかった日でも、何もできなかったと自分を責める日でも、帰ってきていい場所を」


俺は返事に困った。


困ったけれど、嫌ではなかった。


むしろ、胸の奥に残っていた冷たいものが、少しだけほどけるような感覚があった。


「それ、かなり重いぞ」


「知っています」


「俺、たぶん面倒くさいぞ」


「知っています」


「そこは知らないふりしろよ」


青葉は小さく笑った。


その笑顔を見て、俺も少し笑った。


外から雫の声が飛んできた。


「はいはい、納屋の中でいい雰囲気出すのはいいけど、四歩目どころか一歩目から聞こえてるからね」


「聞くな!」


「見張りの耳はいいんだよー」


青葉が完全に黙った。耳まで赤い。


俺は納屋の壁に頭をぶつけたくなった。


その翌日、根白石近くで呪印を抜いた兵士が、俺たちに情報を持ってきた。


作並の神殿別院に、国境一帯の徴兵台帳と、王都から届く機密文書の写しが保管されているという。王国の召喚儀式に関する古い記録も、一部がそこに移されているらしい。


青葉の顔色が変わった。


「作並別院は、王都青葉神殿の分庫です。巫女見習いの頃、文書整理で一度だけ行ったことがあります」


「召喚の記録があるのか」


「あるかもしれません。少なくとも、榴岡大神官の命令書は残るはずです」


その夜、俺たちは作並神殿別院へ向かった。


雫の霧に紛れて、裏手の林から近づく。建物は王城の神殿ほど大きくはないが、石造りで窓が細い。青葉が裏口の前に立ち、古い鍵穴に手を当てた。


「開けられるのか」


「巫女は祈るだけではありません。書庫の鍵を開けることも仕事でした」


「巫女って意外と便利だな」


「便利に使われていました」


冗談にするには少し重かった。


青葉は短く祈り、鍵を開けた。


中は紙と乾いた木の匂いがした。廊下には神殿兵が二人いたが、雫が音もなく眠らせた。殺してはいない。雫は軽口を叩くが、こういう時の手際は怖いくらい静かだ。


書庫は地下にあった。


青葉は迷わず棚へ向かい、巻物と冊子を選び出していく。俺には文字が読めない。だから、彼女の表情だけが頼りだった。


最初は険しい顔。


次に、血の気が引いた顔。


最後に、唇を噛みすぎて切れそうな顔になった。


「何が書いてある」


青葉は一冊を開いたまま、声を絞り出した。


「過去の召喚者の名簿です」


彼女は読み上げた。


浦佐翔吾。剣のスキル。王女の護衛として登用。公式記録では魔王討伐戦で戦死。実際の備考には、王命不適合、処分。


石打真白。治癒のスキル。神殿所属。公式記録では病没。実際の備考には、帰還希望強く、隔離。


大崎冬馬。鍛冶のスキル。王国軍に武具を供給。公式記録では英雄。実際の備考には、王家への技術移転後、不要。


読まれる名前の一つ一つが、胸に積もっていった。


俺たちが初めてではない。


青葉から聞いてはいた。けれど、実際に文字として残っていると重さが違う。誰かが呼ばれ、使われ、消された。その上に王国の歴史が乗っている。


「帰還術式の記録もあります」


青葉の声が震えた。


「未完成ではありません。条件付きで、過去に二度、帰還に近い転送が行われています。ただし王家の承認と、召喚者本人のスキルを対価にする必要があると」


「レオンは調べるって言ってた」


「知っていた可能性が高いです」


俺は拳を握った。


あいつは最初から、帰す気なんてなかった。


青葉はさらに奥の箱を開けた。


封蝋には榴岡愛子の印が押されていた。


「五十沢様に関する報告です」


俺は息を止めた。


青葉が読み進めるほど、顔色が悪くなる。


「勇者スキル、王命恋慕との接続安定。王妃化による王家帰属進行。胎脈、神殿鑑定にて確認。胎児を王家継承器とする儀式案、承認待ち」


「継承器?」


「勇者スキルと王命を、王家の血に固定するための器です。五十沢様の子を使い、八乙女王家が召喚者の力を代々継承できるようにする計画だと」


視界が狭くなった。


六日を奪った。


心をいじった。


王妃にした。


それだけじゃ足りず、子どもまで道具にする。


「母体感情残滓は儀式阻害の恐れあり。塩沢大和との接触は厳禁。必要に応じ、勇者スキル一時移譲を王子殿下へ実施」


青葉の声がそこで止まった。


俺は文書を奪うように見た。読めない文字が並んでいる。だが、そこに書かれている意味はもう十分だった。


「レオンが、六日のスキルを奪う気か」


「一時的に、とあります。でも儀式が成功すれば」


青葉は言い切れなかった。


俺も聞きたくなかった。


雫が入口から低く言った。


「巡回が戻る。持てるだけ持って」


俺たちは記録を袋に詰めた。


その時、書庫の入口に若い巫女が二人現れた。青葉を見るなり、目を見開く。


「杜野先輩……?」


青葉の体が一瞬固まった。


巫女たちは震えていた。敵意より恐怖が強い。命令されたら叫ぶだろう。叫べば兵が来る。


青葉はゆっくり近づいた。


「逃げなさい」


「え」


「今夜、ここで見たことは忘れて。王都へ戻ってはいけません。榴岡大神官は、知りすぎた者を守りません」


「でも、私たちは」


「私もそう言って、ずっと従っていました」


青葉は静かに言った。


「その結果、たくさんの人を呼び、傷つけました。あなたたちは、まだ戻れます」


巫女たちは泣きそうな顔で頷いた。


青葉は彼女たちを傷つけなかった。


それでいいと思った。


別院を出ると、遠くで鐘が鳴り始めた。俺たちは霧の中を走った。背中の袋が重い。食料より重い紙なんて初めてだった。


砦に戻ったのは、夜明け近くだった。


広間で文書を読んだ楓は、しばらく何も言わなかった。紫波は顔色を変えずに内容を整理し、衣川は杖を握りしめていた。凪は青葉の手を治療しながら、何度も唇を結んだ。


「王国は、民にも兵にも召喚者にも嘘をついていた」


楓が言った。


「はい」


青葉が答える。


「この記録を国境村へ流します」


紫波がすぐに言った。


「全文を読める者は少ないでしょうが、要点は写せます。青葉、あなたが読み上げれば効果が高い」


「やります」


青葉は即答した。


もう迷わなかった。


その日から、王国の国境沿いで小さな火が点き始めた。


武器を取った反乱ではない。


秋保の広場で、青葉が召喚者名簿を読み上げた。作並で、帰還術式が秘匿されていたことを話した。茂庭で、徴兵呪印が兵士を守るものではなく縛るものだと示した。根白石の近くでは、呪印を抜かれた兵士たちが自分の手首を見せた。


王国はすぐに布告を出した。


魔王の偽文書だと。


裏切り巫女の妄言だと。


でも、一度温かい粥を飲んだ人間は、もう簡単には戻らなかった。


一度呪印の痛みから解放された兵士は、もう王命を神聖なものだとは思えなかった。


一度、魔王領の治癒師に子どもを救われた母親は、絵本の魔王を信じきれなくなった。


紫波はそれを「支配線の断裂」と呼んだ。


雫は「王様の話に穴が開いた」と言った。


俺には、そっちの方がわかりやすかった。


数日後、砦の広間で紫波が地図に印を増やした。


「国境徴兵線は一部機能不全。根白石屯所から脱走兵十二名。秋保、作並、茂庭の各集落は王国の追加徴税を拒否。王国軍は鎮圧部隊を出すでしょうが、次の大規模侵攻は遅れます」


「どれくらい?」


楓が聞く。


「五日から七日。ただし、別の問題があります」


紫波は文書を一枚、地図台に置いた。


「五十沢六日様の王妃戴冠式が、十日後に青葉王城で行われます。同日に、神殿儀式が組まれています」


青葉が目を伏せた。


「継承器の儀式ですね」


「はい。完了すれば、勇者スキルの一時移譲が可能になると見ていいでしょう」


広間の空気が重くなった。


俺は文書を見た。


読めない文字。


でも、その向こうにレオンの笑顔が見える気がした。


「王都へ行く」


自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。


楓が俺を見る。


「危険よ」


「ここにいても危険だ」


「王都青葉は王国の中心です。兵も神殿も、レオンもいる」


「六日もいる」


それを言うと、胸が痛んだ。


痛みは消えない。


たぶん、これからも消えない。


でも、その痛みを理由に立ち止まるほど、俺はもう暇ではなかった。


「六日を奪っただけじゃ足りなくて、子どもまで道具にするのか、あいつらは」


誰も答えなかった。


答えはいらなかった。


俺は拳を握った。


「六日を助ける。許せるかどうかは、その後だ。レオンを玉座から引きずり下ろす。王国の嘘を、王都のど真ん中でばら撒く」


青葉が一歩前に出た。


「私も行きます」


「危ないぞ」


「知っています」


「榴岡大神官もいる」


「だから行きます」


青葉の目はまっすぐだった。


「私は王国の巫女として、召喚の嘘に加担しました。なら、その嘘を終わらせる場所にも立ちます。それに」


彼女は少しだけ言葉を切った。


「あなたの帰る場所になると言いました。帰る場所は、待っているだけでは作れません」


雫が口笛を吹いた。


「青葉、最近強いねえ」


青葉は少し赤くなったが、目を逸らさなかった。


凪がため息をつく。


「行くなら、倒れる前に言ってください。大和さんは言わないので、私が見張ります」


「凪さんも来るんですか」


「怪我人が怪我をしに行くのに、治癒師が行かない理由がありますか」


「言い方」


雫が弓を肩にかけた。


「じゃあ私も。王都って罠が多そうだし、四歩目まで待ってたら遅そうだから」


紫波は地図を見下ろしたまま言った。


「私は本隊を動かします。楓様には国境で王国軍を引きつけていただく。王都潜入班は少数。目的は六日様の確保、召喚記録の公開、儀式阻止」


楓は静かに頷いた。


「モリューカは王国を滅ぼすために戦うのではありません。嘘で縛られた人たちを、そこから出すために戦います」


その言葉で、広間の空気が決まった。


俺は地図の上の青葉王城を見た。


あそこから始まった。


田んぼに落ちた光。


王城の鑑定。


六日の最強スキル。


俺のEX。


外れと笑ったレオン。


追放された夜。


青葉と歩いた暗い道。


モリューカの畑。


薄い粥。


黒い矢。


六日の涙。


全部が、一本の水路みたいに繋がっていた。


なら、流れを変えに行く。


王国が作った物語から、奪われたものを外すために。


ざまぁの種は、国境の畑から、王都の石畳へ根を伸ばし始めていた。

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