独り狂い
僕は道中で、自分の足跡が黒くなってきていることに気がついたのだが、そんなことは瑣末な問題であったから、歩調を乱すことなく登山した。
頂上まで登りつめても初めて登った時のような達成感はない。
なぜならば、僕の心はこの時既に、ある感情で占領されていて、
他の一切のものを許容するだけの余白が残されていなかったからである。
ドームを目の前にしても尚、僕の感情はピクリとも動かない。
そのままドームへと入る。
居心地が良い、というのが本音だった。
この空間の中に居ると、外界の情報が遮断され、
自身の内面と素直に相対することができる。
今の僕にとっては、それが好都合なのであった。
その上さらに良いことに、僕の足跡が黒くなったことによって、
この暗い空間が暗いままの状態でずっと保たれるのだ。
何も見えないこの暗闇で、僕は彼女を待った。
「あなたは、自分が本質的に善い人間だと思う?」
————来た!
彼女の声がする。声の反響の仕方から、どうも彼女は僕の右手側にいるらしい。
「ああ、善い人間だと思うさ。」
僕は、用意してきた回答を彼女に告げる。
「そうなの?」
彼女の口調は、何回死んでも直っていなかった。
「じゃあ、どうしてあなたの足跡は、真っ黒なの?」
彼女は続けて質問してきた。
これまでのやり取りで、僕は彼女が何処にいるのか、殆ど精確に把握した。
「それはね・・・」
僕は彼女がいる場所にそっと近づく。
「こうするためだよ。」
僕は彼女に、バッと飛び付いた。
彼女が小さく「きゃっ」と悲鳴をあげる。
僕は構わずに組み敷く。
細いウエストを両膝で挟み込み、完全に彼女の自由を奪った。
「お前がなぁ・・・お前が僕を穢したんだろ!」
彼女に罵声と怒号を浴びせながら、僕は彼女の抵抗を弱めるため、
顔面だと思われる所に何度も何度も、思いっきり拳を振り下ろした。
そのうち何回かは地面に、何回かは彼女の頭蓋に当たったので、
硬く握り締めた僕の拳はひどく傷んだが、僕の血中には十分高い濃度でアドレナリンが流れていたから、全然痛くはなかった。
「やめて・・・痛いっ・・・」
初めこそ強く抵抗していた彼女だったが、大丈夫の容赦ない殴打に、
次第に抵抗を諦めて、僕が殴るのを止めるように泣きながら縋るようになった。
しかし、そのことがかえって僕の嗜虐心を刺激した。
彼女がすっかり抵抗を止めてから、僕は3回彼女の顔面を殴った。
鼻骨が砕け散ったのか、鈍い音がドームに響いた。
「どう・・・してっ・・・」
混濁する意識の中でも尚、彼女は質問する。
「君は本当に質問するのが好きなんだね?」
僕は質問に真面目に答えない。
答える義務もない。
「あぁ・・・またっ・・・」
彼女は世迷言を吐いている。気でも障れたか。
「『どうして』だって?君の存在が僕を醜く変えたんだ!
それで十分だろ?僕が君を殺す理由なんて!」
僕はとうとう、彼女の首に手を掛けて、力一杯締め付ける。
彼女は惨めにもがく。
しかし、僕は怒りのあまり、締め付ける手に自分の体重を強く乗せてしまい、
彼女が窒息するよりも早く、彼女の頚椎を圧壊させてしまった。
当然、彼女は即死した。
僕は冷静になって、それをひどく反省した。
彼女を殺すときは、十分苦しめて殺そうと目論んでいたのに、
こうもあっさりと殺してしまったからである。
けれども僕は直ぐに、それが大した問題ではないことに気がついた。
————もう一度、殺せばいいじゃないか。
とても単純なことだった。




