自我氾濫
モノローグが、だんだん主人公の物語の叙述と交じるようにしました。
十分離れると、僕は少し落ち着いて、考え初めた。
————考え始める?
してみると、不思議なのだ。
僕は一体何を考えようとしているのか?
何の為に考えようとしているのか?
彼女の存在についてか?
この世界についてか?
いや、違う。
それを考えることは僕の究極的な望みではない。
僕は僕の外部にあることを見つめるだけでは、満足できない。
確かに外部の事象は事実だ。解析に値する。
けれども、僕が考えたいのは、外部事象を認識する僕本体じゃないのか?
「彼女が与えた僕への精神的ダメージを、
僕は何故、『ダメージ』として受け取ったのか?」
それを考えたいんじゃないのか?
何なのだこの考え方は?
————そうか、これが「自意識」か!
僕は、自分の中に内省的な性格が芽生えてきていることを感じた。
自分が自分を捉えようとしているのである。
僕はこの自己矛盾的な営みを、気付けば自然と行っていた。
いや、「自然と」というよりもこの行為に囚われているような錯覚を受けるのだ。
思索の輪廻の檻に閉じ込められていて、抜け出すことが出来ないのである。
辟易してくる。
「自分がしていることが自分の意思によって行われている」
というごく自然な客観が、僕の主観によって揺るがされる感じなのだ。
「自分」を考える「自分」というマトリョシカのような、
————いや、マトリョシカならまだマシだ。
入れ子の中身がどんどん小さくなって、
終いには、有限回で循環が終わるのだから。
だから違うな、「その集合自身を元としてもつ集合」のような、
無限に続く論理の循環が、自分の中に生まれてしまった。
自暴自棄になってきた僕は、天を仰ぐ。真っ白な天を。
————僕は、この思案の罠に嵌められたまま、
この空漠たる世界で生きなくてはならない!
絶望的である。
それでも尚、無機質な世界は白々しいままで、僕を無視する。
僕はやるせない気持ちを、とにかく発散せずにはいられなくなる。
とは言っても、空疎なこの世界で僕に許された適応機制は多くない。
僕は安直に、「攻撃」を選んだ。
————こうなった原因は・・・間違いなく彼女にある。
あらゆる問いが、その問いに対する問いを生むような思考の循環の中でも、
この推論だけは明確だった。
いや、この推論が明確だったのではない。
それは僕が、僕の思考のループから抜ける為に、
メタ意識よりも外部に用意したエスケープゾーンだった。
思索の檻から逃げたくて、僕は思わずそれに飛びついたのである。
次第に自分の中に、怒りや憎しみが湧いてくる。
これらは、彼女の不気味さ、それ自体に対するものではなかった。
彼女が僕に作用したことによって、僕の在りようが
————以前はもっと純粋で清らかだったのに!
不可逆的に歪められてしまったことに対するものであった。
僕の生得的な善良さが、彼女によって奪われたのである。
そして僕は、彼女が決まって初めに問う質問への回答を持って、
ドームへと向かった。
屈曲していく主人公の意識を表現できていたでしょうか?
よければ感想頂きたいです。




