金策
母艦『ヴェルテブラ』は、巨大な3重の円環構造を持つ商業メガコロニー『グランド・バザール』の中部円環、港湾商業区画へと静かに滑り込んだ。ちなみに上部円環は居住区画で、下部円環は工業・行政区画とのことだ。
重厚な電磁ロックが固定され、二重ハッチが開く。
新しく取得した『ユーク』としての市民IDデータは、港湾税関の生体スキャンを何の問題もなく通過した。追撃の警報が鳴り響くこともなく、僕は胸を撫でおろした。
「ふう……第一関門突破だね」
「当たり前でございます、ユーク様。ユーリー様の被害妄想癖と私の処理技術を舐めてもらっては困ります」
誇らしげに胸を張るリリーを伴い、僕たちは活気に満ちた市場街へと足を踏み入れる。頭上を行き交うホログラム広告、飛び交う異星言語の呼び込み、そして通りに充満する香ばしい匂い。
人口灯に照らされた、前世の東南アジアの夜市を思わせる熱気に、僕は自然と目を輝かせる。
「いい匂いだ……! あっちの屋台、肉を焼いてるみたいだよ。リリー、まずは腹ごしらえに——」
「お止めください、ユーク様」
リリーがすっと僕の袖を引っ張り、無慈悲に制止した。
「あの香ばしい匂いの正体は、最安価な『フードプリンタ形成肉』でございます。アミノ酸ペーストとセルロースを物理圧着して肉の形状に模した代物で……見た目と匂いこそ肉ですが、噛んだ瞬間に繊維がスカスカと崩れ、味はぐんにょりしょっぱいという代物でございます」
「う……なんか、生々しい表現」
僕ががっくりと肩を落とすと、リリーはクスリと可憐に微笑んだ。
「ですが、ご安心ください。もう少し奥の街区へ行けば、適切な設備で培養された『本物の肉質の培養肉』を扱う専門店もございます。そちらであれば、本物に劣らぬジューシーな繊維感と旨味を楽しめます。多少お高い、ですが」
「なるほど……完全なメシマズ世界ってわけじゃないけど、安物に飛びつくと痛い目を見るんだね」
勉強になったと頷きかけた瞬間、僕はハッと重要な事実に思い至り、血の気が引いた。
「……あ」
「いかがいたしましたか、ユーク様?」
「……そういえば僕たち、お金……一銭も持っていないんじゃない……?」
「ユーリー」の死亡に伴い、旧口座はすべて凍結済み。新ID『ユーク』の開設されたばかりの口座残高は、当然ながら綺麗さっぱり『0ガルド』だった。
「買い出しどころか、この船のドッキング料金すら払えない……!?」
頭を抱えて凍りつく僕に対し、リリーは拍子抜けするほど淡々とした様子で、人差し指をすっと立てた。
「ご安心ください、ユーク様。ユーリー様が生前に分散秘匿していた『無記名暗号通貨の物理ウォレット』、平たくいえばヘソクリ、が船内にいくつか眠っておりますし……何より、先にあちらのジャンク街をご覧になりませんか? あそこには、私たちの『飯の種』が転がっておりますよ」
***
案内されたのは、油臭い蒸気と廃材の山が連なる、港湾エリアの裏ジャンク街だった。その一角のジャンク屋の店頭で、頑固そうな店主が作業用ドローンを前に頭を抱えて悪態をついていた。
「クソが! 内部のメイン基板が物理隔離されてやがる。外部からのハックが一切受け付けねえ。分解して基板を丸ごと取り替えるしかねえが、それじゃ利益が吹っ飛んじまう……!」
無言でリリーがそれを指さす。
「ああ、なるほど」
と、僕は即座にその意図を理解した。
「困っているようだね」
僕が声をかけると、店主は不機嫌そうに振り返った。
「なんだい、兄ちゃん。冷やかしか?」
「いや、そのドローンのロック、僕が解いてあげようか? 謝礼を少しもらえるならね」
「はあ? 外部通信を物理遮断してる軍用規格のロックだぞ? 専門の解体業者でも数日かかる代物を、あんたみたいな坊ちゃんが——」
「まあ、見ていてよ」
僕はポケットの中に手をつっこみ、名刺サイズのベースカートリッジを開け、ハッキングドローン『モスキート』を静かに起動させた。
(行っておいで、僕の可愛いモスキートたち)
指先から放たれた数センチ大の極小ドローン群が、美しい編隊を組んでロックされた作業ドローンの装甲の隙間や排気口へと滑り込んでいく。
「な、なんてレベルの精密動作だ……!?」
それを見た店のオヤジがあんぐりと口を開ける。
『モスキート』はそれぞれの侵入口から内部の基板付近まで辿り着くと、口吻――本物の蚊であれば、血を吸う管状の器官――を伸ばし微細ドリルを挿入。基盤皮膜の貫通を終えると、今度はそこからデータケーブルを伸ばし内部通信ポート直結していく。
外部からの電子侵入を拒むオフラインデバイスに対しては、物理的に内部配線そのものを新規構築して『正規の内部命令』を偽装する、ドールマスター流のハードウェア・アタックだ。
「……よし、アクセス確立。リリー、暗号解読の補助を頼めるかな?」
「かしこまりました、ユーク様」
リリーが瞳の奥に淡い光を宿し、翼を目一杯広げて受信アンテナと化したモスキートめがけて演算データを投げつける。その瞬間——。
(ん……? リリーのデータって、なんか特徴的だな……? 前回の『海賊もろとも大爆発』で、なんかコツでもつかんだのかしら?)
通常の論理アルゴリズムとは一線を画す、どこかアナログ的で謎めいた密度の高さを持つ彼女のデータを感じる。
「慎重に、ちょっとずつ…」
当のリリーもどうやらギャグマンガのような爆発オチを引きずっているようで、出力を上げすぎないことに細心の注意を払っている模様だ。
「ここでそおっと右に回して…っと」
この不思議な所作が、どうにも「ロジックで解く」というよりは、繊細な手指の感覚で鍵穴を捏ね回しているような、アナログな印象をそのコード群に与えていた。
『プロトコル解凍——認証完了』
「な、なんだと……!? こんな短時間でロック解除しやがった!?」
店主が目を剥いて叫ぶ。作業ドローンのメインライトが緑色に点灯し、完璧な待機状態へと復帰していた。
うがった微細な穴を、特殊硬化樹脂で塞いだモスキートの帰還を見届け、
「約束の謝礼、もらえるかな?」
僕はいい笑顔でジャンク屋のおっさんに微笑みかける。
「お、おう! もちろんだ! 助かったぜ兄ちゃん、いや旦那!」
店主から即金で支払われた瞬間、
「ダンナッ! 凄腕ハッカーのダンナッ! こっちにも開かずの金庫があるんだ!!」
「こっちにだってあるぞっ!」
「頼むっ! 先にこのロックを解除してくれっ!! 倍払うからっ!!」
次々と舞い込む新たな依頼。
こうして、僕たちはあっという間にまとまった額の電子通貨を手に入れたのだった。




