出航
「その…、好ましい匂いですか?」
「えっ!? えっと、は、……はい。好きな匂い、だと思います」
タラップから艦内に入ると、空間が狭まり空気が変わる。そのせいで、リリーの匂いをより強く意識してしまう。
彼女が先導しているので、何気なく、おでこぐりぐりされていたところの匂いを嗅いでみたところ、振り向きもせずにそう問われ、白状させられる。
「それはようございました」
するとリリーは、すすす、と、後退してきて、真面目な顔を少しだけ赤くして、反対側の肩の辺りにも、おでこをぐりぐりとしていった。
どうしよう。
『リリー』を愛したユーリーの知識が在ることもあって、このアンドロイドのメイドさんが愛おしくて仕方ない。
そんな、暖かく盛り上がっていた僕のテンションは、
「な、なんだ……これは!?」
『船長室』
そんな既製のプレートが掲げられた部屋を見学した途端、ひゅるるるる、な感じの音を立てて急降下した。
「……ええぇ?」
そこに広がっていたのは、部屋と呼ぶのも憚られる無機質きわまる金属むき出しの空間だった。
壁面に無骨に取り付けられた「高G航行時に肉体を縛り付けるための固定ベルト」と、床にポツンと固定された味気ないスチール製の折りたたみ椅子が一つ。窓もなければ、装飾の類も一切ない。
「……独房、かな?」
そう。プレートが誤りで、道中捕えた宇宙海賊なんかを、一時的に拘留する部屋に違いない。
目頭を揉みながら、慌てて隣の「厨房・食堂」と書かれた区画へ移動する。
ステンレスの台の上に無造作に転がっていたのは、灰色をした無銘のチューブと、ブロック状の乾燥合成食だけだった。冷蔵庫や調理器具はおろか、湯を沸かすケトルすら見当たらない。
チューブを一つ手に取り、キャップを外してみる。漂ってきたのは、無機質で薬品めいた、食欲を一切そそらない匂い。
「……リリー。これ、何?」
このように、ユーリー本人に全く興味のなかった事柄は、記憶のトリガーたりえない。なので彼女に聞いてみるのだが。
「はい。高濃度アミノ酸と糖質を配合した標準栄養ペーストでございます。一口で一食分のカロリーを完全補給できます」
「おぅ…」
あまりの惨状に、膝から崩れ落ちそうになった。いや、実際に崩れ落ちた。前世の社畜時代、締切前夜にオフィスで齧ったバランス栄養食や深夜のカップ麺の方が、まだ人間らしい温もりを持っていたではないか。
「……これ、僕の社畜時代よりひどいよ……!?」
思わず頭を抱えて叫ぶ僕に、リリーは一切の悪びれもなく、どこか懐かしむような穏やかな眼差しを向けた。
「ユーリー様は完全な理系・技術特化型のお方でしたので。ご自身の肉体の維持、特に栄養補給と睡眠には一片の興味もお持ちではありませんでした。『味などどうでもいい、効率よく栄養が摂れれば良い。睡眠も気絶するように横になれれば十分だ』と、常々おっしゃっておられましたね」
「極端すぎるよユーリー……!」
呆れ果てて溜息をつく。
だが、その足で機関部拡張コンテナとドローン整備コンテナへ立ち入った瞬間、僕は再び言葉を失うことになった。
重厚な防音隔壁の奥で静かに唸りを上げるのは、3機の試作軍用リアクター。コンテナ側面に整然と並ぶ無数の工作ドローンと、最新鋭の工作機械や複製装置。さらに巡洋艦級のシールド発生装置に、常軌を逸した処理能力を誇るメインフレームまでが、オイルの匂いとともに久しぶりの稼働を喜んでいた。
「ええと、来たよ、記憶のトリガー。『性能試験をパスできなかった軍の試作品をちょろまかして、3機つないだら試験目標の10倍以上のスペックを発揮した、ざまぁみろ』ってほくそ笑んだみたいだなぁ」
低燃費で高出力、という相反する目標を追求したリアクター群である。開発担当者はさぞかし頭を抱えたことだろう。
関連情報に当たれば、少しずつパラメタの違う試作品がいくつか作られた後にプロジェクト自体がお蔵入り。そして誰もがそのプロジェクトを忘れ去っていたころに、倉庫で埃をかぶっていた試作品群のうち3機が、宇宙海賊に奪われていたことが発覚した、というネットニュースが発掘される。
「私の中のユーリー様の記憶は『リリー様』が生前残された電子のデータによって形成されています。なので、リリー様が愛したそのお人柄等は良く分かるのですが、このあたりのことは知りませんでした」
「そうなんだ」
リリーは、その赤い瞳を細めて、新しいユーリーの面影をいとおしくかみしめる。
「正確には、ユーリー様ご自身で入力されたデータも数多く存在するのですが、多少、いえ、かなり、ご自身を美化しておられる傾向がありました。よって参照する優先順位は低めに設定されております」
「……ユーリー君」
うん、わかるよ。好きな女の子にはいいカッコしたいもんね。
と、僕は前任者の心中を察する。
「ここのクロック同期にはめちゃくちゃお金かけてるね〜。……なるほど、デフォルトでは鹵獲対策で同期率が減衰するようになってるけど、減衰しない長期運用モードもあるのか。そっちにしとくか」
自分の脳内の疑問に、脳内の自分が応えるという不思議な構図。
食事や睡眠には1ガルドすら使わない癖に、ドローンやハッキングの道具には湯水のように資産と情熱を注ぎ込んでいた。
「はぁ。……ユーリー君って、根っからの『そういう子』だったんだねぇ……」
「はい。自分の居住スペースを快適にするリソースがあるなら、ドローンの演算基板をもう一基積むとおっしゃるような方でした」
リリーの言葉に、僕は苦笑いを漏らすしかなかった。
狭小牢獄船長室にディストピア飯しかない食堂。片や、軍用戦艦をも凌駕するのではないかという機関部分。ユーリーという男の尖りきった生き様が、この船の構造そのものから透けて見えるようだ。
「だがしかしっ!」
僕の胸の奥で、前世から受け継いだ一般社畜としての執着が、静かに、しかし激しく燃え上がった。
「いい、リリー? 僕は絶対に味気ないペーストと壁固定ベルトでの生活なんてしないぞ」
僕は力強くリリーを振り仰ぐ。
「これだけの装備と技術が揃っているんだ。自分の体を粗末にする生き方はユーリーの代で終わりにする。リリー、まずは一番近い商業コロニーへ向かおう。まともな家具と、まともな食材を買い出しだ!」
「……かしこまりました、ユーク様。主の『住環境向上プラン実現』のため、最適な航路と取引先の選定を直ちに開始いたします」
リリーの瞳が、どこか誇らしげに細められる。
「システム・オールグリーン」
起動チェックが終了した、ボロくも破格のスペックを秘めた相棒『ヴェルテブラ』の三つ子リアクターが、低く重厚な低音を響かせ始めた。
さぁ、旅の、始まりだ。
この旅の、最初の目的は、自分たちの「快適な我が家」を作り上げること。
リリーの設定した目的地に向け、長き眠りから覚めた船体は、滑らかに暗黒の宙へと滑り出していく。




