愁思
「っ……!? り、リリー……!?」
飛び込んできたリリーをとっさに受け止めたものの、勢いで数歩うしろへよろめく。
僕の服の胸元を、彼女の小さな両手が、布地が破れんばかりの力でギュッと強く掴みしめていた。
顔を僕の胸に埋めたまま、リリーの細い身体が微かに震えている。
「ああ、びっくりした。どうしたの?」
驚きで心臓が跳ね上がり、固まってしまう僕。
いつも完璧で、冷徹なまでに冷静沈着な超級アンドロイドの彼女が、まるで迷子の子どものように僕にしがみついている。
だが――驚いていたのは、僕だけではなかった。
「……あ……」
胸元から、消え入りそうな小さな声が漏れた。
リリーがゆっくりと顔を上げる。
その緋色の瞳は大きく見開かれ、自身の起こした行動の意味が理解できていないかのように、呆然と揺れていた。
彼女は自分の両手を見る。
僕の服を強く掴みしめている己の指先を、信じられないものを見るような目で見つめている。
「私……は……? どうして、このような行動を……」
彼女の電子頭脳が、猛烈な勢いで内部エラーを叩き出しているのが、僕のインプラント越しにも伝わってくるようだった。
計算不可能な突発的行動。ロジックに基づかない、純粋な『衝動』。
リリーはそのまま、僕を抱きしめていた片方の手を、自分の胸――リアクターが稼働する場所にそっと手を当てた。
「……そう、ですか……」
消えそうな声で、彼女は呟いた。
「私たちは、初めて『離れて』……いたのですね」
瞳の奥で、データ光が切なく明滅する。
確かに、と僕も思う。
思えば自身が目覚めてから今日まで、会えない距離で過ごすことがなかった。
常に視界の端にあり、体温と通信波形を感じ取れていたはずの僕。
ナインベルの操縦するダンデライオンに乗り込み、ブリーチング要員として出撃してから、制圧完了までのわずか数時間。
真空の宇宙を隔てた、物理的距離にして、わずか数百メートル。
だが、彼女の内部クロックにとっては――狂おしいほどに長い、未知の『不在』の時間だったのだ。
「通信回路も、ドローンの映像データも繋がっておりました……。ですが、肌で感じる空気の振動も、ユーク様の体温も……そこにはありませんでした……」
リリーは緋色の瞳を潤ませ、じっと僕の顔を見つめ直した。
再び両手で僕をぎゅっと抱きしめなおす。
その頬が、熱暴走を起こしたかのように微かに赤らんでいる。
「私は……ユーク様と離れている間……寂しかった……のでしょうか……?」
己の中に生まれた初めての感情の名を、教えを乞うように尋ねてくるリリー。
その問いかけの途方もない愛おしさに、僕の胸も締め付けられた。
「……うん。大丈夫。リリー。僕はここにいるから。また、美味しいコーヒーを淹れてくれると嬉しいな」
「はいっ。はい、ユーク様っ!」
僕は固まっていた腕をゆっくりと動かし、彼女の華奢な背中を、優しく包み込むように抱き返した。
――そして。
少し離れたダンデライオンのタラップ付近で。
2人の間に流れる密やかで甘い静寂を、食い入るように見つめる瞳があった。
「――っ〜〜〜〜〜〜〜〜つっ!??」
リリーに続いてタラップを降りかけていたナインベルは、フライトジャケット付属のヘルメットを脱いだ姿勢で、完全にフリーズしていた。
その顔は、ベリーショートの赤毛と同じような、……つまり、いつものように真っ赤に染め上がっている。
(あ、あああ、あれは、なんだぁぁぁっ!??)
ナインベルの頭の中で、激しい警報が鳴り響いていた。
あの冷酷無比で、感情の欠片もなく完璧な仕事をこなす超級アンドロイドのリリーが。
自身の数々の黒歴史を無慈悲に開陳し、容赦なくいびり倒してきたあのリリーが。
あろうことか、ゲートのエアの充填が終わるか否かのタイミングで、ダンデライオンのコックピットを飛び出し、自分からユークの胸に飛び込んでしまったのだ。
(さ、寂しかったって……!? あのリリーが!? たった3時間離れてただけで!?)
なまじ『親友だったリリー』の印象が強いものだから、見てはいけないものを見てしまったような気がして、ナインベルは視線を右へ左へと狂ったように泳がせる。
心臓が肋骨を突き破りそうなほどドクドクと鳴り、手のひらには汗がじわりと滲む。
そんな彼女の頭裏に、ふと、ある考えが閃く。
(……あれ……、待てよ……?)
ナインベルは、思わず自分の両手を見つめた。
(私だって……。私だって、あのデブリ帯の中、ダンデライオンを操縦しながら……無事に帰ったらユークに褒めてもらえるかもとか、無事でよかったって言ってもらえるかな、とか……ちょっとくらい、思ってた……よな……?)
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるように熱くなる。
(じゃあ、何だ……? 私もあそこへ行って……『無事でよかったよナインベル』とか言われながら、あの胸に……飛び込む、べき……なのか……っ!?)
頭の中で、自分がユークの胸へ勢いよく抱きつく光景が再生された。
ガシッと受け止められ、耳元で「よくやったね、ナインベル」と優しく囁かれ、彼の体温と匂いにあたたかく包まれるイメージに――。
「――う、あ、ぁぁぁぁぁっ!!??」
と、頭を抱えて悲鳴が漏れた。
顔面から火が吹き出すのではないかと思うほどの熱量が、一気に耳たぶまで駆け巡る。
そのまま自分の顔を両手で覆い隠すと、ナインベルはその場に激しくしゃがみ込んだ。
(何を考えてんだ私はぁぁぁぁっ!!? 馬鹿か! アホか! 私は五つ星の元・傭兵だぞ!? たぶん年下の雇い主? に向かって抱きつくだのなんだの、少女漫画の読みすぎか私はっっっ!!)
ガン、ガン、と自分の額を両手に持ったヘルメットで打ち付けたくなる衝動を必死でこらえる。
だが、チラリと指の隙間から覗いた先では、ユークが優しくリリーの背中を撫でている。
その光景を見るたびに、胸の奥がキュッと甘く疼いて、またしても頭が爆発しそうになる。
(なんだなんだなんだ、この感情は、いったい何なんだっ!?)
お目目をぐるぐるにして混乱するナインベル。
そこに、
「おう? お嬢ちゃん、そんなところで何を踊ってるんだ? 顔が真っ赤だぞ、どっか打ち付けたのか?」
あろうことか、あの甘々な空気をものともせず、ひっしと抱き合うリリーとユークの後ろを「おう、ちょっとごめんよ」と、ひょいっと通ってタラップをおりてきた猛者がいたのだ。
そのゴドウィンは、不思議そうな表情でダンデライオン上のナインベルを見上げていた。
「しっかし、お嬢ちゃんも、こんなボロ船でアステロイドの網目を全開で突っ切るたぁ、大したもんだ。さすがは元・五つ星。腕もそうだが、整備も手を抜いてねぇ証拠だ。さすがだなぁ!」
そして、空気を全く読まずそんなことを言ってくるものだから。
「なっ、なんで褒めてくれるのがユークじゃなくてオヤジなんだよぅ! 私だって、私だって――!」
と、高ぶっていた感情が爆発する。
「ほほぅ? どうしたんだ急に。――あいつに褒めて欲しけりゃ、そんなところで百面相してないで、ほれ、さっさと行って反対側から抱き着いてくりゃいいじゃねーか」
それでなんとなく悟ってしまったのか、ゴドウィンはニヤリとほほ笑むと、親指で今も抱き合う主従の方向を、くいと指し示す。
「はへ?」
「ほれ、とっとと行って来いよ」
はっとナインベルが我に返ると、にんまりといい笑顔のゴドウィン。
「あああああっ、私、何言って!? なななナシっ! ナシ、今のナシーっ!!」
思わず本音を叫んでしまったナインベルは、顔を覆った手の内側で、消えてしまいたいほどの猛烈な恥ずかしさに悶絶するのだった。




